漱石先生が教えてくれた地域づくりのヒント@Blue Plaque
5月5日の休日もよい天気なので、私の宿舎のあるチェルシーのテムズ川対岸に夏目漱石の最後の下宿があるという話を英国人の知り合いから過日伺ったので、少し長い距離でしたが歩いて見に行ってきました。
1900年(明治33年)10月28日に英国に到着した漱石は、1903年(明治36年)1月に帰国するまでの2年強を英国で過ごしました。100年ちょっと前の日英同盟締結で対日観がよかった頃の英国です。
この間、漱石は下宿を4度変えたのだそうですが、私が訪問したのは、漱石先生最後の下宿でした。私のチェルシーの宿舎から歩くと、テムズ川を跨ぎチェルシー大橋を渡り、バタシー・パークを右手に見ながら、クラファン・コモンズの手前のCHASEという地区のフラット(住所は81 The Chase, Clapham, SW4)です。ロンドンの中心地区からは少し離れていますが、当時の円安の時代の留学生としては、精一杯の下宿だったのでしょう。この下宿に籠もり、神経衰弱と疑われるほど、漱石は読書と研究に没頭したはずです。「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり。余は英国紳士の間にあつて狼群に伍する一匹のむく犬の如く、あはれなる生活を営みたり。」と形容した生活がこのフラットの下宿で営まれたのです。

私は、一人で、建物を外からじっと眺め、自らのロンドン生活の実感を踏まえながら100年前の漱石先生の気持ちに感情移入しようと試みましたが、何とはなしに共感する気持ちになるのは不思議なものです。これが現場感覚というものでしょうか。

ところで、この建物には、Blue Plaqueと呼ばれる円形のプレートが貼り付けられていました。日本人の足跡が英国の建物に刻印されているのを見ると誇らしくなります。そのプレートには、次の文言が記されていました。
English Heritage
Natsume
Soseki
1867-1916
Japanese Novelist
lived here
1901-1902
このBlue Plaqueは、歴史に残る功績のあった人物や出来事を縁のある地域や建物に結びつけ表示するシステムですが、英国ではこれを運用するための機関としてイングリッシュ・ヘリテージという機関までできているのです。1863年にある下院議員のアイデアから始まったこの仕組みはその後変遷を経ながら1986年からこのイングリッシュ・ヘリテージに引き継がれているのです。勿論表示に至るには厳しい要件があるのですが、この表示のある建物は、それだけで建物やその地域に高い付加価値を付加します。
こうした表示があると、その建物に住む人やその地域の人々に、自ずと過去の歴史に思いを馳せ、将来にむけそれを大切に引き継がなければならないという気持ちにさせることは確かです。逆にこうした仕組みがあるために、歴史を掘り起こし、地域のアイデンティティ作りに結び付けようとするインセンティブにもなり得ます。漱石先生の下宿先訪問で、日本の地域づくりのヒントを仕入れることができました。
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