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April 13, 2008

スウェーデンの近隣自治組織「地区委員会」の実際

日本に限らず欧州諸国にも「近隣組織」あるいは「地域自治組織」といったものが存在することはよく知られています。

筆者の限られた体験でも「英国のパリッシュ」、「ドイツの基底自治体」などの事例を見聞していますが、更にスウェーデンの事例である「地区委員会」と呼ばれる近隣自治組織の実例を2008年3月に訪問・調査する機会に恵まれました。

戦後スウェーデンの地方自治の歴史の中で最も重要な変化の一つは、何と言っても大規模なコミューンの合併でした。1952年から1974年の間に、コミューンの数は2500から278に激減、その後の分離等を経て現在は290コミューンとなっています。大規模な合併が行われる一方で、合併によるコミューンの人口と地理的規模の拡大は、住民と自治体政府との間の距離を広げ住民の民主主義に対する関心と参画を薄らげるマイナスの面を生んだと言われています。この点を問題視したスウェーデン政府は、住民自治を強化するための幾つかの改革改革を導入しています。

その改革の代表例が、1980年代中盤に行われたいわゆる「フリー・コミューン実験」と言われる手法でした。これは、政府が特定の自治体に内部組織を自由に改定させる実験的な政策であり、その経験から生まれたのが「地区委員会制度」だったのです。この実験を経て、1991年の自治法改正により、この自己組織権はすべてのコミューンに与えられることとなりました。

このように、合併が進展したスウェーデンでは、コミューンの中で人口も面積も拡大した自治体にあっては住民との関係が希薄になることを懸念し、1980年代と90年代に、地方政府と住民の距離を縮めることを目的に、地区委員会制度が導入されてきました。この地区委員会は市議会の下に置かれ、市の各地域に関わる事務やサービスを担当し、サービスの提供の中身を自主的に決定する組織です。委員は市議会に議席を持つ政党から選ばれ、直接選挙で選ばれるわけではありません。したがって各地区委員会の委員の構成は、その市議会の政党の議席の構成を反映することになります。委員は必ずしもその地区の住民でなくても構いませんが、少なくとも委員長は大概その地域の出身者が就任するようです。なお、地区委員会は市政府から年度ごとに、その地区で提供する公共サービスのための予算の配分を受けますが、自らの課税権はありません。

実際にこの「地区委員会」はどのように導入され、現在はどのような運営実態になっているのでしょうか。そのことを実況検分すべく、2008年3月にストックホルム市西部の比較的裕福な地域であるヘゲーステーン地区委員会を訪問して実情をお伺いすることができました。なおストックホルム市には現在14の地区委員会が存在しています。

さて、訪問先の委員会の本部はテレフォンプランというところにあります。エリクソン社が最初に本社を構えた地域で、19世紀後半に第一世代の電話組み立て工場があった場所です。その経緯で地名がテレフォンプランとなっているのです。現在その地区の人口は2万9千人。前年に隣接するリルエホルメン地区と合併したばかりなのだそうです。

マリア・マンネルホルム女史(ヘゲーステーン・リルエホルメン地区の行政部長)からこの地区委員会制度導入の歴史の説明を受けました。10年前にストックホルム市にこの制度が導入された当初の目的は、住民参画を活性化し、政治をもっと住民に近づけることだったのだそうです。当時、右派政党はこの制度導入による行政の細分化で行政コストが上がるのではないかと心配し、一方で左派政党は、住民参加が増進され民主主義の質の向上がもたらされることを期待していたのだそうです。ところが、実際のところ、双方の予想ともに的外れであったのだそうです。現実には、地区委員会制度は行政コストを増やすことはなく、一方で期待されたような住民参加の拡充も起きなかったということでした。

住民アンケートや調査から判明したことは、ストックホルム市民の大多数は、市政全般に関することにも、また地区委員会の制度の仕組みについても、おぼろげにしか理解していないことが判明したのだそうです。

一方で、地区委員会導入のメリットとしては、ばらばらに地区内で提供していた行政サービスを地区委員会の管轄の下、一箇所に集中したことにより行政的効率が良くなったということなのだそうです。

前述のとおり、地区委員会制度のもとでは委員は直接選挙ではありません。市議会の選挙結果により地区委員会の委員が市議会の政党議席比率に基づき任命されるのです。その結果意外な結果が生じるとのことでした。例えば移民が多いストックホルムのリンケビー地区では、選挙の際は、住民の70-80%の有権者は社会民主党に投票すると言われていますが、2006年のストックホルム市議選で穏健党が大勝した結果、リンケビー地区委員会の委員構成も穏健党と右派系の委員が多数を占めることになったのです。しかし、この地区には保守・右派の党員は少ないので、他の地区から委員が「通勤」する形になっているのだそうです。

ストックホルム市議会の与野党逆転の政権交代により地区委員会の裁量の度合いや所管事務が変わることもあるのだそうです。例えば、2006年の選挙の後、小中等教育(地区委員会の予算の30%を占めていた仕事)が、地区委員会の所管からストックホルム市直轄の仕事に変更されたのだそうです。しかしこの決定に対して住民からは特に大きな反対はなかったのだそうです。反発はあったものの、一部の政党からの反対に止まったのだそうです。

住民にとっては、教育関連サービスが適切に提供されればそれでいいのであって、それがストックホルム市であれ、地区委員会であれ、提供主体にはそれほど大きな関心はないのだそうです。また、教育事務に携わっている職員の勤務の場所や勤務実態が変わったわけではなく、責任の主体が、地区委員会のマンネルホルム女史からストックホルム市に代わっただけで、要は報告の相手先に変更があっただけ、との話でした。尤も、教育行政が自治体業務から外れたわけではない(例えば「国」に移管)のでそれほどの大きな議論になっていないのかもしれません。

さて、実際のところ、当初この地区委員会を導入したスウェーデン国内の大多数のコミューンがその制度を廃止しているのだそうです。例えば、地区委員会のパイオニア的存在であったウップサーラ市もこの制度を廃止しています。現在のところ、大きな都市ではストックホルム、マルメ、ヨーテボリ、中規模の都市ではボロースが継続しているくらいなのだそうです。多くの調査やアンケートが行われましたが、この制度は住民の市政へ対する興味と政治参画を活性化する上であまり効果はなかったようです。多くのコミューンでは、結局、これが廃止の大きな理由となったようです。

その背景には、地区委員会の委員が直接選挙ではないこと、課税権がない委員会に対する住民の関心が薄かったことなどがあるようです。一方で、大都市地域では、この制度の導入により行政的効率が上がり、そのことが地区委員会継続の理由とされているようです。

地方自治の最先進国であるスウェーデンでは、地区委員会制度の運用の経験の面でも学ぶべき点が多いようです。

地区委員会制度のほかにも、スウェーデンでは様々な民主主義増進の実験が行われています。最近では、住民によるコミューンへの直接請求を可能とさせる法改正が行われ、全コミューンのうち3分の2がこの議案イニシアティブ制度を導入しているのだそうです。しかし、現在までに120件のイニシアティブ(法的な拘束力はない)が住民から提案されたものの、このうち15件がコミューン議会に採決されるに止まっているのだそうです。実際のところ、多くの議会では直接民主主義には懐疑的立場を取っているようです。その代わり、住民協議会、青年議会(選挙権の無い若年層の議会活動への参画)、利用者委員会(user boards)、市民パネルなどの住民組織との協力には非常に前向きであり、住民のニーズや声を吸い上げる諮問機関の役割が拡大しているのだそうです。

住民自治の強化策以外にも、近年、スウェーデン政府は、コミューンとランスティングの自主財源の強化、財源保障の拡充、および分権化を一段と進めています。自治体間で財源調整する水平的財政調整システムも存在しています。また、90年代には、国の特定補助金が非効率的であり自治体の自主性を侵害するという批判を受け、政府は自治体への補助金制度を抜本的に改革しています。その結果、特定補助金は特別な理由がない限り一般補助金として交付されることとされ、現在では、自治体が受け取る補助金の75%は一般補助金なのです。

1993年に導入された「財政原則」 (“financing principle”)により、中央政府が法改正などで自治体に新たな事務を義務付けた場合には、中央政府はその業務の遂行に必要な財源を自治体へ保障することが必要となっています。そして、この原則に基づき、自治体側の新たな支出を積算しその財源獲得のため財務省と交渉する機能が、スウェーデン自治体協議会(SALAR)の重要な仕事の一つとなっています。

スウェーデンを訪問して見て感じることは、世界有数の分権先進国のスウェーデンですら、常に制度の在り方をふるいにかけ、たゆまぬ刷新の努力をしているということです。果敢に挑んである仕組みが十分機能しなければどんどん変更を加える。しかもそれを個々の自治体の判断に委ねる。日本の自治制度の20年後の姿をスウェーデンに見た思いがします。

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