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April 14, 2008

放射性汚染物質による暗殺事件を経たロンドンの危機管理

日本では7月の洞爺湖サミットを控え、テロ警備に当局の緊張感が高まり、また中国も北京オリンピックを控え、テロ警備の緊迫感を伝える報道が盛んになってきています。

その中で、特に放射性汚染物質を使ったテロに関し、死角があるとの指摘が行われていますが、筆者が居住する英国も実のところ、この放射性物質によるテロに対して敏感になっている事情があります。ロンドンは北京オリンピックの4年後の2012年にオリンピック開催を控えているからです。

英国の内務省は、現在の英国のテロ脅威度は“severe”に位置づけ「高い確率で起こり得る」状態としています。

英国の公安機関であるMI5は危険人物と位置づけその動向を追っている者の数が昨年の1600人から現在は2000人以上に増えたと発表し、また危険人物とされる者が英国の原子力発電所を下調べしている証拠があるとも指摘しているとの報道もあります(Local Government Chronicle2008年1月17日号)。

英国の脅威はイスラム急進派による脅威が主たるものですが、実際に放射性物質が使われたのは、ロシアのスパイによるものであると英国政府は認識しています。2006年11月の元ロシア諜報員のアレクサンダー・リトビネンコがポロニウムという放射性物質により殺害されたのは記憶に新しいところです。この事件はいまだに尾を引き、現在でも元KGB高官のアンドレイ・ルゴヴォイ容疑者の引き渡しを巡り英国政府とロシア政府は対立関係にあります。

そのポロニウムを使った暗殺事件は、ロンドンの中心部にあるウェストミンスターで発生し、地元自治体のウェストミンスター市はこの事案に対応できる有効な計画を持っていなかったために、事態の進展に伴い結果的に大がかりな対応事案となりました。事件当時のウェストミンスター市の対応については、私どもの事務所が2007年12月に愛知県の関係者と共に、当時の事案対応の責任者であった同市の事務総長のPeter Rogers 氏と危機対応計画部長のBrian R. Blake 氏の両氏に当時の模様を伺う機会がありました。

そのヒアリングの結果は、そのウェストミンスター市にしても、この事件の結果、現在の対応が万全になったといえるかというと手探りで対応を模索しているというのが実際のところのようです。

では英国の各都市はこの課題にどのように対応しようとしているのでしょうか。リーダーズ・ダイジェスト社が2006年10月に英国の主要10都市の危機管理計画・体制の調査を行い公表しています。その結果によれば、ロンドンはバーミンガムに次いで高いスコアを獲得していますが、これは2005年7月にロンドン市内で同時多発爆破テロが起きた結果として、その後の危機管理の対応能力が高まったことによるものと考えられています。

2005年のテロの際に機能を発揮した仕組みの一つに「自治体ゴールドプロトコル」(英語では「Local Authority Gold Protocol」と表記)という仕組みがあります。これは33の大ロンドン市内の地方自治体の事務総長が順繰りに交代で大ロンドン全体の被害管理の指揮をとるというものです。その事案が自らの所管区域で起こったのか否かに拘わらず、大ロンドン全体の危機管理の統一指揮を執るというものであり、指揮系統の混乱を避けることができるというメリットがあるとされています。

もう一つの究極の被害管理手法として、「オペレーション・サスーン」(英語では「Operation Saasoon」と表記)と呼ばれる大ロンドン全体の避難計画があります。ロンドン内の地方自治体は、この計画の中でそれぞれが必要な役割を果たすことが想定され、膨大な数の人々を収容する地区の特定を要請されることになります。

同時多発爆破テロの経験を踏まえ、これらの進化した対応策が緊急時計画に逐次盛り込まれているのです。尤も、テロ対応関係の具体の対応計画は、当然のことながら一般向けには公表されていません。これはテロリストがそれを参考に裏をかく対応が予想されるためであることは言うまでもありません。

ところで、カウンター・テロリズムという意味でのテロ事案対応に関しては、国の関係省庁が主導的な役割を担うのは英国も日本と同様です。テロ事案であれば警察、インフルエンザ蔓延に対しては厚生省、テロ攻撃に備える特別の専門能力の向上は非公表の国庫資金提供が存在しています。

しかしながら、テロ事案対応という観点で地方自治体に特別の法律上の対応義務がないところに実は大きな陥穽があるのではないかとの指摘もあります(例えば、Local Government Chronicle2008年1月17日号記事)。英国の9ヵ所の原子力発電所からカンブリアのセラフィールドの施設に再処理・貯蔵のために列車で運び込まれる放射性廃棄物は潜在的な標的になり、その場合に数十万人が放射線被害に晒されるとのグリーンピースの指摘がありますが、この場合の被害対応に関して地方自治体間で調整された対応計画はまだないという指摘です。

放射性物質による汚染の除染に関する専門知識を有する者が地方自治体にほとんど確保できていないことも課題とされています。この面に関しては、リトビネンコ事件の経験を踏んだウェストミンスター市の経験は結果として大きな遺産となっています。

リトビネンコ事件の際に被害対応に従事した上述のウェストミンスター市危機対応計画部長Blake 氏は、雑誌(Local Government Chronicle2008年1月17日号)の取材に答える中で以下の経験を語っています。

・放射性汚染物質の除染は初めての経験であったが対応状況は時間の経過に連れ急速に改善した。
・専門家チームに、例えばこの分野の専門業者はどこにいるのか、この汚染物質はどこで処理を行うのが適切かなどの質問を行い、適切なアドバイスを得ることができた。
・この事件対応の経験は市の危機管理計画に盛り込んでいる。
・非常時の対応計画は定期的に見直し、実際に計画を動かしてみてその機動性を検証している。
・地方自治体の対応という観点からみると、テロ攻撃に対する被害管理も他の事案と同様の対応になり、減員の如何に拘わらず、緊急対応サービスや復旧に向けたルールと責任に差はない。
・留意すべきは、計画が盛りだくさんになり扱いにくいものになると却って効率が低下するということである。
・公共部門のテロ対策訓練の仕組みとして、公安部門向けのプロジェクト・グリフィン(GRIFFIN)が、ショッピングモールなど多くの市民が集まる公共スペースの管理者向けのプロジェクト・アーガス(ARGUS)がある。
・2007年4月からウェストミンスター市ではテロの標的となる危険が想定される事業所で働く人向けに44のコースを用意している。
・このコースでは、地域社会やショッピングセンターに焦点を当て、地域の課題としてこの問題を議論してもらえるように心がけている。
・4-6週毎に、近隣の地方自治体や緊急対応機関と協力し、職場の責任者などに事前の予告なしに連絡を行い、電話番号が最新のものに改訂されているか、緊急時訓練が1年に2-3回実際に実行されているかなどを確認している。

このようにリトビネンコ事件を経たウェストミンスターの経験は、ロンドン全体の放射性汚染物質によるテロ対応に生かされつつありますが、英国に22か所ある原子力関連施設がテロ攻撃された場合には、これとは比較にならない大規模な汚染が生じることになります。原子力施設所在の地方自治体は法律に基づきオフサイト非常対応計画を策定することとされている一方、そのほかの地方自治体も管内に原子力施設の有無に拘わらず放射能汚染が生じた場合には住民向けの情報提供の義務は生じてきますが、果たして十分な対応ができるかは定かではないようです。

さて、以上、最近の2005年と2006年のテロを経たロンドンの経験とその後の対策の進化の状況は、我が国にも参考になる面が少なくないように思われます。特にウェストミンスター市の経験と現在の取り組みはより深く観察すべき事例のようにも思われます。

危機管理面の国際協力は、国レベルだけではなく自治体レベルでも不可欠です。

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