ロンドンで「信濃の国」を歌う
ロンドン長野県人会の発足後二回目の懇親会が、2008年の新年会を兼ねて1月18日の夕刻からロンドン市内のパブで開催されました。
初回は2007年の11月1日でしたが、その後口コミなどの掘り起こしを行い、メンバーも倍以上に増え、30人を数えるに至りました。今回はこのうち20名ほどの会員にご参加いただけました。JETのOBも3-4人来ていただける手筈でしたが、急きょ欠席となりこの点は残念でした。
今回は、空席であった県人会の会長として、長野県旧浅科村出身(現佐久市)の井出健義伊藤忠商事欧州総支配人にお願いすることができました。井出さんには、英国に滞在する限りということでお引き受けいただきました。
その井出さんは、野沢北高校のご出身なのだそうですが、たまたま元大英博物館のビクター・ハリス氏の奥様の加津子・ハリス(旧姓は柳川)氏も野沢北高の先輩であることが判明し、思わぬ高校同窓会も実現することになりました。共通の恩師の思い出を語る姿は、いずこも変わらぬ同窓会風景でした。
ビクター・ハリス氏は、日本との間を50回ほど往復されたのだそうですが、最も思い出に残っているのは、奥様のご実家のある佐久まで結婚の申し込みに出かけたことなのだそうです。小海線に乗車し周囲の風景がきれいであったことも記憶に残っているのだそうです。
私が、大英博物館の日本展示が、日本文化の精神性をとてもよく表現していただいていることに感謝申し上げると、「当然のことだ」とおっしゃっておられました。ビクター・ハリス氏は、現在でも明治大学で講義をすることがあるのだそうで、心底日本贔屓であることが言葉の端々からわかります。とにかく、奥様が日本人なのですから。
その奥さまの加津子さんですが、非常に前向き、快活な方で、英国在住の日本人の奥様を集め、大英博物館、ビクトリア・アルバート博物館といった名所を丹念に解説しながら案内する活動をされているのだそうです。「私のほうが主人より詳しいんだから」という言葉には、豊富な読書量に裏付けられた自負の程を感じました。ご主人はそういう奥さんのことを目を細めながら聞いておられるのが印象的でした。
県人会の最大派閥は、エプソン欧州です。今回も家族参加を含め、6名の皆様にご参加いただけました。滝沢武彦副社長の後押しが大きかったものと思われます。その滝沢さんは長野高校出身ですが、今回の参加者のうちの4名が長野高校出身でした。前長野市長の塚田佐氏にはこの会の名誉顧問の御一人としてご就任いただいていますが、塚田氏は現在長野高校の同窓会長をなさっておられ、2007年年末にお会いした際には、長野高校同窓生がロンドンで頑張っていることを心強く思っているとおっしゃっておられました。
下伊那郡売木村ご出身の松村尚子さんは、現在シェフィールド大学に国費留学していますが、今回わざわざロンドンまで足を延ばしていただけました。お父様が売木村村長をされておられ、人口約700人の村の生活の様子を尚子さんから伺うことができました。小学校時代のクラスメイトが4人だったという話には一同皆驚いていました。出席者は長野県出身にもかかわらず、売木村がどこにあるのか知らない人が大半でしたが、今回の会合で、しっかりと皆の頭に売木村の存在が位置付けられました。売木村は、どのように生計を立てているのか質問が飛びましたが、私から、「木を売って生業を立ててきたのですよ」と申し上げました。
日本大使館の中村隆幸一等書記官は、東筑摩郡生坂村のご出身なのだそうで、私から、生坂村の藤澤泰彦村長は私の高校の同級生だと申し上げると驚いていました。
また、長野県人会のメンバーのうち少なくとも4人の女性は、英国人の男性と結婚されているのが今回判明しました。日本女性は、英国にかかわらず、大変人気があるようです。日本人男性が外国人女性に人気があるという話を全く聞かないのは残念なことです。
一通りの自己紹介を終え、暫しの歓談の後、恒例の「信濃の国」の合唱をして、その後一締めによりお開きにしました。会場がパブではありましたが、仕切りがあったので、それほど周囲に迷惑をかけることなく歌えたと思います。加津子・ハリスさんは、本当に久しぶりに「信濃の国」を歌ったとのことで、県人会に参加できたことを喜んでいただきました。「北に犀川、千曲川」の箇所で急に大きな声が出ていたのには笑ってしまいました。
次の県人会の事業として、加津子・ハリスさんが引率し、ロンドン市内名所巡りを企画することも決まりました。
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