« 「ロイヤルフェスティバルホール」と「まつもと市民芸術館」を繋ぐ糸 | Main | イングランド北部の都市再生@リバプール・ニューキャッスル »

December 16, 2007

Elgin伯爵の見た150年前の日本

英国はこの時期、クリスマス気分が満ちています。今週の金曜日(14日)から土曜日(15日)にかけて、ニューカッスル市に行ってきましたが、凍てついた金曜の夜にも拘らずニューカッスルの市内は若い人たちの熱気で沸き返っていました。

驚いたことに女性は夏の服装で中には水着のような格好で歩いている人もいます。とても寒そうでかわいそうなくらいですが、これがニューカッスル流なのかもしれません。

土曜の昼過ぎにロンドンに戻りましたが、ロンドンもクリスマス気分でにぎわっています。トラファルガー広場の近くで沢山のサンタクロースのコスチュームの若者に会ったので、「あなたたちはノルウェーからわざわざ来たのか」と聞くと、「ただの遊びですよ」と笑われました。英国人は、人の目を驚かせる滑稽なことをどうも好んでするようです。Rimg0631

そう言えば、英国ではクリスマス休暇が21日から始まり、クリスマス休暇前の週末としてはこの週末が最後なので、多くの人が町に繰り出しているということなのかも知れません。

その中で、クリスマスをこのように大掛かりに祝う習慣のない私も、折角の機会なので、日英音楽協会が主催するクリスマスコンサートに出掛けてみました。土曜日の夕方から、St.Jone’s Wood Churchで行われるとの案内があったのを思い出したのです。ヴィバルディのグロリア・ミサ曲などをパイプオルガンや弦楽奏団の伴奏で日英の混声合唱団が歌うコンサートには、ロンドン在住の日本人の方も沢山お見えで、クリスマスにふさわしい雰囲気を実感できました。Rimg0634
「きよしこの夜」や「もろびとこぞりて」、「O come, all ye faithful」などの聖歌を観客も交えて合唱するなど、一体感のある演奏会になりました。私も子供の頃、近所の日曜学校に通っていたことがあり、これらの歌は馴染みがあり、つい大きな声を張り上げてしまったようで前の席の日本航空の支社長ご夫妻から少々冷やかされてしまいました。

コンサートの後は、教会の小ホールで簡単な立食のレセプションがありました。このコンサートを後援した大使館の西ヶ廣渉総括公使の挨拶がとても興味深いものでした。西ヶ廣氏は、2008年が日英の外交関係150周年であることを紹介し、その話の中で、条約締結を行ったのがElgin伯爵(Earl of Elgin)であり、彼の書簡などをまとめてたものが出版されていること、その内容が当時の日本の雰囲気を知るのにとても参考になること、をご披露されておられました。

風物の美しさ、人々の清潔さ、正直、道徳心の高さなどが書かれているとの話でした。残念ながら今日の日本では見られなくなっているが、という言葉も添えられた挨拶でしたが、興味がそそられたので西ヶ廣氏に本のことを確認すると、その本の内容(letters and journals of James, 8th Earl of Elgin) がインターネット上で公開されていることをお教えいただけました。著作権の問題が解決されているのでしょう。

それを読んでみると、確かに興味深い記述に思わず引き込まれます。
・(日本人は)とても清潔な人々である
・丁寧で敬意に満ちている
・異邦人に親切であり、決して親切の対価を受け取ろうとしない
・向学心がとても強い
・宝石や黄金の装飾は法廷にさえ見当たらず、贅沢とか派手さがない
・コミュニティには自助の機能が備わっている
・穏やかな感情がコミュニティに漂っている
・内外ともに平和である
・不足感がない
・階層間での憎しみがない
・日本の社会的道徳的位置づけの高さは風物の美しさと同様に驚かされる
・天皇から平民に至るまで、日本人は法的慣習的な厳格なルールの下に生きている
・私も見張る幕府の役人はいるが、その態度からは煩わしさを感じることはない
・幕府との間で交渉が暗礁に乗り上げても、冗談を交わすことでたちどころに元に戻る
・100年の鎖国の後に(1858年の時点で)発見した事実であるが、今後20年たってどのような変化を遂げるのか

私なりにざっとまとめると以上のような感想がこの書簡には書かれています。読んでみて、150年前の日本にはそのような雰囲気が漂っていたであろうことは何となく想像がつきます。まさに藤原正彦氏の指摘する当時の日本人の精神世界です。これが、西洋化の中で、日本人の純粋さは劣化してきたのかもしれません。外国との接触が始まり、「朱に交わって赤く」なってしまったのかもしれません。

「今後20年たってどのような変化を遂げるのか」という獏とした思いを抱いたElgin卿が150年後の今の日本を見たとしたら何と日記に記すのか興味が沸きます。まだ捨てたものではないと思うか、まったく変わってしまったと思うのか。

ところで、Elgin伯爵の日記の中で私がもっとも印象深かったのは、「神は、日本人の国を西洋に開くに当たって、我々が日本人に悲惨さと破壊をもたらさないことを許したもうた。(God grant that in opening their country to the West, we may not be bringing upon them misery and ruin.)」という記述です。日記の全体のトーンからすると、西欧に勝るとも劣らない規律と道徳を備えた日本は、敢えて西欧の世界観を押し付けるまでもなく、平和的に開国をもたらしてもよいのである、とでも言っているような視点です。明らかに優越感に満ちたそもそもの発想には馴染めませんが、歴史の事実としてはそれなりに受け止めざるを得ません。

実は、Elgin伯爵は、アヘン戦争の際に、当時の中国の政庁であった英語で「Old Summer Palace」と呼ばれる美しい公園兼建物を徹底的に破壊しつくした人物なのです。現在の紫禁城の5倍、バチカンの8倍の広さのあった日本でいえば皇居、英国で言えばウェストミンスターのようなところを、徹底破壊したのです。現在でも中国人はこのことを文化に対する歴史的侮辱として受け止めているようですが当然のことです。

その意味ではElgin伯爵はその民族の民度により付き合いの仕方を変えたとも言えるかも知れません。

しかし、当時の日本人はそのようなことは知る由もありません。中国がアヘン戦争で受けた惨状を目の当たりにして、同じようにならないために明治維新まで実現し、瞬く間に中央集権国家を作り上げたのです。日英関係150周年の年に、改めて150年前の日本の姿を日本人自身が調べなおしてみることが意外に重要なのかもしれません。現在の日本が抱えている様々な問題の処方箋が詰まっているような気がしてきます。

|

« 「ロイヤルフェスティバルホール」と「まつもと市民芸術館」を繋ぐ糸 | Main | イングランド北部の都市再生@リバプール・ニューキャッスル »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/17380590

Listed below are links to weblogs that reference Elgin伯爵の見た150年前の日本:

« 「ロイヤルフェスティバルホール」と「まつもと市民芸術館」を繋ぐ糸 | Main | イングランド北部の都市再生@リバプール・ニューキャッスル »