政府の住宅政策に翻弄される英国の地方自治体
ロンドンの住居価格の上昇は異常ですが、その影響は周辺地域にも波及しています。ロンドン周辺の農村風景の広がる地方の閑静な町をこのところいくつか訪ねる機会がありましたが、ご当地の理事者の方の話は、最終的に住宅問題に行き着きます。
この一週間に訪問したのはTunbridge Wells とMarket Harboroughです。前に行ったMedway、SEEDAのあるGuildfordも同じロンドン近郊の都市です。
ロンドン近郊の町は所得の高い人が多いのでそれなりに経済的には恵まれていますが、これらの地方の町には共通の悩みがあります。そのうちのひとつが、住宅不足という問題です。住宅といっても勤労者が購入可能な安価な(Affordable)な住宅です。実はこれが非常に入手困難になっているのです。
上述の町の駅に降り立つと必ずといってよいほど地元の不動産屋の前を通りますが、写真付きの家やflatの価格を日本円に換算すると驚くべき価格です。何気ない大して立派でもないレンガ造りの家が軒並み5-6千万円を超えています。こちらの貨幣では20万ポンド(5千万円)を下回る物件は目に入ってきません。
Tunbridge Wellsのチーフ・エキュゼキュティブのShella Wheeler女史の話では、ロンドンで働く金持ちが、通勤に便利なこの町を選択し、物件の値段が上がり、町はドーミトリータウン化しているという話をしてくれました。市役所に勤める人も建物が高価なためなかなかこの町には住めず、ロンドンから見て更に遠方の町から通っているのだそうです。Wheeler女史も、隣のサリー・カウンティにお住まいなのだそうですが、彼女の場合はどちらかというとより便利な住宅を確保しているようでした。
さて、労働党のブラウン政権は、住宅不足に対応するため、折にふれ、住宅対策が国政の最大課題のひとつであることを強調しています。2007年7月には住宅緑書「Homes for the future: more affordable, more sustainable」を発表し、
・ 2016年には年間24万戸の供給水準を実現、
・ 2016年までに200万戸の新規供給、2020年までに300万戸の新規供給、
・ アフォーダブル住宅供給増のため2008-2010年度で80億ポンドを投資し、最低18万戸のアフォダブル住宅を供給、
・ 2010年度までにアフォーダブル住宅の年間供給水準を4万5千戸以上に引き上げ、さらにその後年間5万戸に引き上げ、
・ 住宅公団等の助成によるキーワーカー等が対象の安価な住宅は2010年度までに年間2万5千戸以上の供給水準を実現、
との意欲的な考えを公にしましたが、更に10月のプレ・バジェット・レポート及び包括的歳出見直し(Pre-Budget Report and Comprehensive Spending Review)を発表し、この中で、
・ 2010年度までに住宅に関する歳出を100億ポンド(2007年度は88億ポンド)に増加
・ 税制及び都市計画制度を改革
・ 2016年までに200万戸の新築住宅を建設
といった方針を明らかにし、緑書の考え方を再確認し財政的裏づけを与えました。
しかし実際にこの実施は容易ではありません。在英国日本大使館の鎌原宣文一等書記官の話では、「新規住宅の着工は現在過去17年間で最高水準に達しているのですが、それでも18万5千戸に止まる」のだそうです。金利に高い英国で、この水準を更に上げて住宅供給を加速するのは大変なことです。
しかし需要は旺盛で、人口増と世帯の小規模化の影響で世帯数は2026年までに年間22万3千世帯のペースで増え続けるのだそうです。この需給ギャップが住宅価格を押し上げています。この10年で住宅の価格は倍になったと言われています。
また、英国の場合に注意が必要なのは、グリーン・ベルトと呼ばれる地域は開発が規制されているのです。グリーン・ベルトに対する言葉は、ブラウン・フィールド(すでに住宅がある地域や工場があった地域)であり、この地域での住宅建設しか現実的な選択肢はありません。(註;グリーン・ベルトは町・都市を囲む開発が禁止されている地域のことです。一般的な未開発土地はグリーン・フィールドと呼ばれますが、ここにも規制があることが多いものの、グリーン・ベルトほどは厳しくありません。)
しかし、サッチャー改革の流れの中で、地方自治体は安価な公営住宅の供給者の地位を剥奪され、住宅需要について助言するなど主として「戦略的な決定」を行う機能を有する地位に立ってしまっています。公営住宅の売却も相次ぎ、現在は自治体管理の公営住宅は大きく減少しています。
こうした中で、Tunbridge Wells やMarket Harboroughのような、閑静な住宅地を抱えるところは、制約条件が多い中でどうやって住宅供給を増やしていくか頭を抱えているのです。Tunbridge Wells のWheeler女史は、現在あるフラットの内部を細分化し、高層化するなどして供給数を増やすことしか選択肢はないのではないかとぼやいておられましたが、その場合も一定のAffordable住宅をどうやって確保するのかは妙案がなかなか浮かばないようです。
Market Harboroughのチーフ・エキュゼキュティブのSue Smith女史と副チーフ・エキュゼキュティブのKamal Mehta氏の話では、同自治体では10戸を超える住宅建設が行われる場合には3割の住宅をAffordable住宅にすることにしているのだそうですが、そのAffordable住宅の定義が難しいようです。
大卒の初任給が2万ポンド(500万円)と高額な英国では、その年収の5倍くらいがAffordableとされているのだそうですが、その基準からすると10万ポンド(2500万円)となります。しかし、その価格水準の住宅は、Tunbridge Wells やMarket Harboroughでは良質な住宅とは言えなくなります。
Smith女史の話では、大学卒の学生が家を買うことが出来ないので(貸家も高い!)、社会人になっても両親と同居するというこれまでの英国の常識では考えられない実態が生じているのだそうです。また、見ず知らずの人にネットで家の共同購入・同居人を求める事態も生じたりしているのだそうです。
英国の大学生は、昔は授業料はただだったのですが、現在は年間3000ポンドを上限に授業料を納める仕組みになっています。これに生活費を加えると結構な出費です。日本と異なり、英国の大学生は自分で借金をして大学生活を送ります。Mehta氏の感覚では、概ね年間6000ポンドの借金、4年間で24000ポンド(600万円)の借金をしょって社会に出るのだそうです。
最近英国で日本のJET参加者の申し込みが減っていますが、円安で日本のJETの給与が目減りし(年間14000ポンド強相当)、借金を抱えた学生としては日本に興味があっても踏み切れないのではないかと思わず想像してしまいます。
ちなみに、英国経済の好調さは住宅バブルによるものだとの分析をする経済学者もいらっしゃいます。1993年の個人ローン残高は約4千億ポンドであったものが、2007年では1兆4千億ポンドに膨らみ、そのうち約1兆1千億ポンドが住宅ローンなのだそうです。急激に膨らみすぎです。米国のサブプライムローン問題も英国のノーザンロックという住宅金融会社に飛び火し、政府は信用不安解消に躍起になっています。
住宅需要はあるけれども価格が高すぎてどうしようもない。政府は高金利の中で民間主導で住宅の大量供給政策を遂行しようとしている。片や住宅バブルが弾ける可能性も囁かれている。そのような中で、果たして政府の思惑通りに安価で良質な住宅の大量供給につながるのか、今後注視が必要です。
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