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September 02, 2007

ヒトラーにミンチにされたドイツ財政学者

8月末に英国で開催された国際財政学会に地方財政審議会の伊東弘文会長がご参加になられ、そのついでにロンドンの私どもの事務所にお寄りになられました。当方から伊東会長に英国の最近の地方行財政の課題をご説明申し上げましたが、せっかくの機会なので、伊東会長に、ご専門のドイツ財政調整制度の歴史などについて事務所でご講演を賜りました。

伊藤会長からは、1世紀近いドイツにおける財政調整の考え方とそれにまつわる奇譚を含めた興味深いお話を賜りました。

財政調整とは、ドイツ語で Finanzausgleich と言うのだそうですが、言葉通りに訳すと、「財政を更に平らにする」という意味が込められているのだそうです。

元々は、オーストリアで1918年に造語されたのだそうですが、それがドイツに入り、ドイツでは早くも1920年には「Finanzausgleich Gesetz」(財政調整法)が制定されているのだそうです。

第一次大戦で敗戦を喫したドイツでなぜこのような法律が制定されたのか、ということに関し、伊東会長は、まさにドイツが戦争に敗れたというそのことに遠因があると私見をお述べでした。理由は次のとおりです。

・ドイツは戦費調達の96%を国債に頼った。これに対して英国は戦費の2/3を所得税増税で賄った。
・この違いは何か。それはドイツの連邦主義にある。
・ドイツの州は自分の財源である所得税を連邦政府に渡すのを拒んだ。戦時中でさえも。その結果連邦政府はやむなく戦費の国債調達を行った。
・戦後、ドイツの敗戦責任の追求の中で、ドイツ国内の財政が州単位で独立しすぎることは問題であり、そのためにドイツ全土を視野に入れた財政調整が必要であるとの議論になっていった。
・つまり、財政調整論争の背景には連邦と州の財政構造論があり、更にその背景には戦争責任論があったのだ。

この財政調整という考え方が日本に輸入されたのは、当時ドイツに留学していた中川与之助京都帝国大学助教授だったのだそうです。当時財政制度のあり方をドイツに学んでいた日本ですから、政府内では内務省がドイツの動きに注目していた見方もあるということですが、学会ではいち早く、中川助教授が京都大学の学会誌「経済論争」にこの「Finanzausgleich」という概念を紹介してこの概念に関する議論が始まったとのことです。

実は、中川助教授が、財政調整という言葉をこのドイツ語訳に使い始めたのだそうですが、調整という言葉に、「不足財源を埋める」という意味まで含ませて考えていいのかは、今日的観点で疑問があるとの見解を伊東会長は示されておられました。

ところで、財政調整の議論が進化し、市町村の不足財源の確保をこの財政調整で行うべきか否かについて議論が生じ、当時のドイツでは市町村財政主義と連邦の州財政主義の二つの考え方があったのだそうです。前者は、市町村を大事にしてその財政基盤をしっかりしたものとするとの考え方です。後者は、市町村は信用できないので上部団体からの補助金で厳しく締め上げるという考え方です。

この二つの考え方の中で前者の立場に立ち、市町村主義を掲げ、活躍したのが、ヨハネス・ポーピッツという官僚兼学者のような方だったのだそうです。伊藤会長がドイツの財政を勉強するようになったきっかけは、ポーピッツの「将来の地方財政」という本を読んで感動したことが要因だったとのお話も伺いました。

そのポーピッツは1883年生まれ。ビスマルク政権下のプロイセン内務省に入省したのだそうです。そして1920年代には早くもドイツ大蔵省の次官に就任したのですから、早い出世です。因みに、内務省に入ったポーピッツがなぜ大蔵省の次官になったのかとの私の質問に対して、伊東会長は、「それは、ビスマルクの使命はドイツ統一であったが、当時各地域の中では役所として大蔵省を作るとどうしても中央集権的発想になってしまうので、それを防ぐために当初はプロイセン内務省がドイツ統一の省としての大蔵省の役割を兼ねることにした経緯があった。その後、大蔵省を設置する動きとなり、ポーピッツも税制の専門家として内務省から大蔵省に移籍してきた経緯がある。」とのご回答を伺いました。

大蔵省は設置の理念からどうしても中央集権的になるとのドイツの発想には、思わず笑ってしまいました。国の如何を問わず、このことは定理に近いのでしょうか(笑い)。

さて、このポーピッツは、1930年に、財政制度の組み換えに関する研究会のメンバーとして、政府に答申を提出しているのだそうです。その中身は、まさに市町村中心主義であり、市町村に対する自主財源付与、その一方で財政の弱い団体には精算金を支払うこと、その精算金の財源は所得税、法人税などであること、といった内容であったのだそうです。

1938年にはこの答申の考え方が、「ドイツ市町村財政調整法」として結実したのだそうですが、時既にドイツはナチス政権下で戦争状態に入っていたことには留意が必要です。

ドイツで何故強い市町村主義の考え方があるかという背景には、ドイツに非常にたくさんある自然集落を保持し、その財政を安定させることが国家としてのドイツを安定させるという信念に近いものがあると、伊東会長は解説されます。

しかし一方でそのことが逆にポーピッツ以降の財政調整の進化を阻んでいるという認識も伊東会長はお持ちでした。

何故かと言うと、ドイツにおいては1970年代に自然村を行政村に変え、行政基盤を整えた上で権限の拡大、税源移譲、更には財政調整の強化を図ろうとしたものの、自然集落に愛着をもつ州において(特に保守的な地域が中心)その転換が進まず、結果として行政基盤の強化の遅れが財政調整の停滞感を招いているとの解説でした。

因みに、ドイツの財政調整は、税収調整であり、日本の交付税のような経費調整はないとの指摘もありました。もともと州の税収財源が大きい中で、税収格差の調整を超えて経費の調整まで他所の地域の面倒を見るということは、ドイツの連邦主義に中ではなじまなかったのでしょう。これに対して日本の場合は、単一国家で、税収がまだまだ国税が過半である中で、戦後、国土の均衡ある発展という国家目標を達成する一環として、地域ごとの経費需要の多寡に関する地域間調整も交付税の機能として適切に位置づけられるべきとの考えが支配的だったのでしょう。これからの交付税のあり方に関しては、まさに地方分権改革推進委員会を中心に議論が行われていますが、今回の参議院議員選挙の結果ではありませんが、政府においても国民の考え方に耳を傾けながら、舵の取り方に注目が集まります。いずれにしても、日本の交付税のあり方の議論の基本には、日本の国土構造をどのように考えていくのかという基本論があるべきだと思います。伊藤会長から、ドイツにおける連邦主義ならではの考え方を聞けば聞くほどその必要性を痛感します。

ところで、ヒトラードイツは第2次大戦に敗れましたが、ドイツが連合国の占領から脱し、1949年に憲法を制定する際に、連邦制度ではなく単一国家制をとるという案が、実はドイツの官僚組織の原案だったという伊藤会長のお話にはびっくりしました。国家としての機能を高めるには連邦制よりも単一国家の方がよい、税制度も政府が徴収することとし、地方には政府が配分するという考え方が原案だったということでした。

これに対して、当時のドイツ占領軍である連合国司令官のクレイ将軍は、米国の連邦制度の信望者であり、ドイツ側のこの原案に対して拒否権を発動し、ドイツの連邦制は復活し、税の徴収も州が行う体制とされ、財政力の強い州と弱い州の格差を埋めるために、その後の連邦と州の共同税制度の導入やドイツに独特な財政調整制度の発展につながっていった、とのお話もありました。

やはり国のあり方の基本がどのようなものか、によって、長い目で見てその後の社会の制度や仕組みが演繹的に構築されていくのだということが、伊藤会長の話を伺うと、よく分かります。大変勉強になった感があります。私どもの事務所はドイツ所管地域になっていますので、このような話を伺うことはとても有意義でした。

伊藤先生は、講義の内容も質もさることながら、講義の合間合間に、制度改革を推し進めた学者や官僚の生き様を語っていただいたことがとても印象的でした。

ドイツに市町村財政の確立の考え方を定着させたポーピッツですが、その人生は数奇なものだったそうです。ヒトラー政権下で市町村財政調整制度を確立させたのですが、穏健な保守派であったポーピッツは考え方がヒトラーとは合わず、「戦後政権のアピール」を書いたことがヒトラーに咎められ、偶々1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件に連座し、裁判も受けずに、残酷なピアノ線による絞首刑、更にその後遺体はミンチに砕かれ、下水溝に流されるという仕打ちを受けたのだそうです。通常であれば刑死した遺体は家族に引き渡されるのですが、遺体がないので引渡しはなかったのです。

ドイツの市町村財政調整制度を作った立役者がヒトラーにミンチにされてしまったというのは、おぞましい歴史です。強権政権の下で、当時の学者は政権との距離のとり方によっては命の危険があったのです。それに比べたら、今の学者は幸せだ、というのが、伊藤会長の一言でした。もっとしかっり発言していくべきだ、との言葉にも聞こえましたし、我々に対しても、同様の叱咤激励にも聞こえました。まあ、あまり詰めないで余韻を楽しむのがこの場ではよいのかなあと思いながら、伊藤会長のロンドン講義を聞き終えました。

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Comments

Ausgleich とは、言葉通りには、「更に平らにする」ということですね。関連して、ひとつおもしろい用例を指摘しておきます。ドイツでは行政機関の地方分散にもこのAusgleichという言葉を用いるのです。最近、ドイツの地方公共団体でも合併が進んでいますが、行政機関の所在地も様々な分野毎にAusgleichするんです。日本ではなんでも金で解決しようとしますが、ドイツ人は組み立て自由なドイツ語を駆使して、財政ではできない分を調整するのです。

Posted by: 石川義憲 | September 03, 2007 at 12:00 AM

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