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September 12, 2007

東郷提督から日産自動車までの日英交流史

ロンドンの生活で恵まれている点の一つに、様々な文化的行事の機会が至る所にあることです。ミュージカル、演奏会、オペラ、講演会、展示会、美術館、博物館など数え上げたらきりがありません。大英博物館やナテョナルギャラリーは行こうと思えばいつでも行けるとの安心感があるため、まだ行っていません。宝の持ち腐れというべきか、可能性のポジションを楽しんでいるというべきか、微妙な感じです。

そのような中で、リージェントパークの近くにある大和日英基金主催の催し物に11日夕方に出かけて見ました。富田潤さんというテキスタイルの芸術家の作品展でした。前日の保守党のHUSTINGSとは異なるタイプの人たちの落ち着いた熱気が会場に溢れていました。

会場での会話の中で、「桐生の新井淳一さん」という言葉が耳に入ってきました。新井さんは布の魔術師と言われ、日本よりも外国でより有名な方ですが、私が群馬県庁に奉職した時代、今から20年前後も前になりますが、何度か新井さんの工房を訪問したことがありました。ロンドンで新井さんの名前を耳にするとは思いもよりませんでしたが、やはり織物芸術の話になると新井さんの存在を抜きには語れないようです。たいしたものです。

その新井さんは、体調を崩されているとの話も耳にし、少し心配になりました。富田さん自身は、富山のご出身で、英国滞在の経験もあるかたですが、日本的な中間色を生かした絣のタペストリーの展示を楽しませていただきました。Rimg0293

ところで、この企画を主催した大和日英基金は、大和証券の寄付により設立された日英の文化交流を促進するための基金で、奨学金、助成金、プロジェクト支援、講演会、企画展などを精力的に実施されており、英国と日本の相互理解の促進に大きく寄与しています。

過日、基金の事務局長のMarie Conte-Helm女史にご挨拶に上がった際に、この方からご自身が書かれた「Japan and the North East of England」(邦訳名「イギリスと日本」)という本を頂戴しました。Conte-Helm女史自身も非常な知日家で、米国に生まれ、ハワイ大学東西センター大学院で東洋学を学ばれ、卒業後はロンドンの日本大使館に文化官として勤務し、その後イングランド北東部のサンダーランドポリテクニックに教職の座を得、やはり歴史学者である英国人のご主人と結婚され、今日に至っている経歴をお持ちの方です。

頂いた本(日本語版)を少しずつ読み進め読了しましたが、江戸時代末期から今日に至るまでの日英の軍事経済文化交流の歴史を、特にイングランド北東部との交流に焦点を当て生き生きと浮かび上がらせています。幕末の時代、薩長がアームストロング砲を手にし幕府軍を駆逐したことは司馬遼太郎の本の中で記憶が鮮明ですが、実はそのアームストロング砲の生産地がイングランド東北部のニューカッスルだったのです。アームストロング砲は、天才的な科学者兼実業家アームストロングの発明によるものなのだそうです。そして、このアームストロング砲を日本に売り込んだのが、イギリス商人のトーマス・グラバーであり、グラバーは実のところ武器商売で得た巨万の富でグラバー邸などを作ったことが分かります。

アームストロング砲の製作者は、次に造船業に乗り出し、日露戦争でバルチック艦隊を打ち破った戦艦三笠などの日本艦船は、イングランド北東部で製造されたのです。岩倉遣外使節団もこの地を訪れ、そこには麻生太郎前外務大臣のご先祖、牧野伸顕も参加していたのでした。

陸軍はドイツ、海軍はイギリスに範を仰いだ日本は、日英同盟の時期に友好関係の最盛期を迎えました。東郷提督も若い頃ケンブリッジで数学を学び、グリニッジで航海術を習得しているのだそうです。1911年、ジョージ5世の戴冠式に出席した東郷提督は、ニューカッスルを訪問し、その昼食会で、「ニューカッスルという名前は日本海軍の歴史と切り離せないものがある。この地の造船所ではあまたの軍艦が建造されてきた。多くの日本人士官と技術者が、造船および大砲製造術を学んできた。この地の人々の援助がなかったら日本海軍の成長の歴史はまったく異なったものになったであろう。」と演説をしているのだそうです。

英国ではこの頃、「日本人は東洋のイギリス人」という認識があったとの紹介もあります。東京帝大で化学の教授を勤めたアトキンソンは、「日本の学生たちの能力、熱意、勤勉さは賞賛に値する。性格も明るく、ユーモアにも富んでいる。1世代から2世代のうちに、科学分野における日本の業績は西欧諸国と肩を並べるものになるのではないかと考えられる。日本が東洋のイギリスになることを妨げるものは何も存在しないのである。」とニューカッスルで語っている記録があるのだそうです。

日英の関係は海軍だけに限らず、日本の外国航路用の商船もその多くがイングランド北東部で製造されたのだそうです。日本郵船と英国の深い関係もこの本の中で紹介されています。

こうした日英の良好な関係も、日英同盟の終結とともに終わりを告げ、第二次世界大戦では敵味方に分かれて戦うことになったのです。

ところで、明治以降、日英同盟とともに活況を呈したイギリス北東部は、その後の産業構造の変化の中で経済的苦境に陥り、その中で1980年代の日産自動車のこの地への進出は、地域再生の救世主として期待されたということが書かれています。英国北東部は19世紀末から日本の近代化に貢献し、100年後、今度は日本企業の投資がイギリス北東部の活性化のために貢献し、両国の関係は一巡した感がある、とConte-Helm女史は結んでいます。

この本を読むと、英国側から見た日英関係の歴史の一こま一こまが鮮明に伝わってくる感があり、日本人の対英国史観が若干修正されるのではないかとの印象を受けます。日本の富国強兵は、確かにイギリス北東部と運命共同体だったのです。海軍軍縮条約でイギリス北東部も不況に陥ったことなどには、なるほどと納得させられます。やはり歴史的事実の認識には複合史観が必要です。

そう考えながら、最近の日産を始めとした日本企業のイギリス北東部での操業状態と地域経済への貢献度合いはどうなっているのか気になりました。あまりニュースで見かけることがありません。英国経済が好景気のなかで、目立たないだけでしょうか。

そう考えながら、LGCという週刊誌の9月6日号を読むと、英国北部地域は、「バーミンガム、リヨン、ミュンヘン、ミラノに繋がる欧州の繁栄の弧の枠外におかれている」との記述が目に留まりました。Conte-Helm女史のこの本は、1990年時点の観察です。その後の10数年で、また異なる展開があったものと思われます。

サンダーランドに本拠地のあるConte-Helm女史に、改めてじっくりと話を伺う機会を得たいと思いました。 

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