« 「カカア天下」のコミュニティ振興 | Main | 武蔵野市と川上村の交流の実践現場を見る »

July 08, 2007

武田勝頼寄進の小野神社梵鐘の価値

川上村を6月30日の午前中に発ち、中央線の小淵沢経由で上伊那郡辰野町を再再度訪問しました。今回は塩尻市北小野地区と辰野町の北小野地区の両小野地区の共同主催の講習会の講師として伺うためでした。川上村の講習に次いでの強行軍です。

辰野町小野地区で造り酒屋を営んでおられる高校の一期後輩の小野能正氏のご招待を受けてのものでした。少し前にも、私が最近取り組んでいるコミュニティ振興の話を、辰野町の町内会の集まりで行ったのですが、そのときの短い話が結構受けたので、話す対象範囲を広げて改めて講師をして欲しいとのリクエストに応じました。演題は、「コミュニティ振興で『秀吉以来400年来の地区の泣き別れ』の解消を!」というものでした。

天正19年(1591年)、当時の領主同士の領地争いを秀吉が裁定し、小野地区が北と南に分断され、爾来、伊那郡に属していた小野地域がそのまま筑摩と伊那との郡境となり、この境界が後世に引き継がれ今日に至っているという歴史的事実を踏まえ、今日的視点で、小野地域の活性化のために何が出来るか、何をすべきかを考えたいとの高邁な趣旨に立つ講演会が主催者の希望でした。

講演会に先立ち、小野能正氏に、矢彦神社、小野神社をご案内いただきました。塩尻市南小野地区にある二つの神社は同じ境内にありますが、境内の真ん中に小さな堀があり、ここで二つに分かれています。070630_12320001
これも秀吉の裁定の結果です。矢彦神社は辰野町北小野の飛び地になっているのです。両神社の鬱蒼とした社叢は、古代のこの地域の雰囲気を伝えています。針葉樹と広葉樹が入り混じった混交林です。地区の真ん中にこのような社叢が維持保存されていることは凄いことです。小野さんと共に、この社叢をぐるりと巡りました。070630_12350002

矢彦神社と小野神社にも御柱祭りがあり、諏訪大社と並ぶ諏訪信仰にメッカなのだそうです。古くは、木曾義仲が両神社を信仰し、木曾の材木で両神社を建造したとの記録も由来に書かれていました。

神社訪問の後は、枝垂れ栗の自生地を見学しました。とても珍しい栗の種類です。070630_13020001

その後は、小野宿を訪問。伊那街道の宿場町で、江戸時代一時期権勢を振るった大久保長安(武田信玄の猿楽師の出で、後に徳川幕府に仕え、全国の金銀山の統括、交通網の整備など内政面に才能を発揮し、天下の総代官と称された人物)の命で作られた古い宿場なのだそうです。中山道には初期中仙道があり、塩尻経由ではなく、辰野経由で木曾に抜けるルートが設定され、小野宿はその結節点だったのです。

小野宿で庄屋を務めていたのが「問屋」と呼ばれる小野家住宅であり、小野能正氏のご親戚の小澤和延さんにご案内いただきました。070630_13480001
小澤さんは、小学校の社会科の教師をされておられたそうで、小野家に残されている貴重な古文書を整理されたり、地道な地区の歴史文化の保存に尽力されておられます。80歳を超えたいまでも矍鑠とされ、歴史的建造物の畳の上で、じっくりと話に聞き入りました。こういう一期一会の関係は、とてもすばらしいと思えました。

「問屋」は江戸時代、寺子屋も営んでいたとのことで、寺子屋に使った部屋も見せていただけました。小野地区の人々が江戸の昔から地区の子供たちの教育に力を入れていたことがよく分かりました。070630_14310001

問屋のあとは、斜向かいにある小野能正氏の造り酒屋を訪問しました。ご両親様とも話をさせていただきました。今回は家族親戚を総動員でお世話になってしまいました。

さて、夕方からの講習会ですが、小野農民研修センタ-に、100人を超える地区の人がお集まりでした。講師は、私のほかに、信州大学人文学部教授笹本正治氏でした。実は、小野の歴史に学び、コミュニティ再生を考える以上は、地元の第一級の研究者の話を聞くべきだと考え、たまたま最近親しくなった縁もあり、笹本教授に無理をお願いしたところ、極めてタイトなスケジュールの合間を縫って何とか駆けつけていただけました。

笹本教授の演題は、「中世の音・近世の音ー小野神社の梵鐘をめぐってー」というものでした。実は私も笹本教授の講話をじっくり伺うのは実は初めてであり、とても楽しみにしておりました。笹本教授は、「問屋」が県の文化財に指定された際に、県の文化財保護審査会の会長をされていたことも、何かの縁のように感じられました。

私の講演は一時間。何とか笹本教授の前座を務めることができました。真打の笹本教授がその後に登場され、中世の宗教観、小野神社にまつわる梵鐘の歴史的意味、地元の人が小野の歴史を知ることで小野が一つになることの意義などを強調されておられました。1時間の予定の講演が、30分超過しましたが、聴衆の皆さんは緊張感を持続し、聞き入っておられました。講演後は、皆さん少し興奮状態で会場からお帰りになったように見受けられました。070630_18050001070630_18050002

以下、私の記憶に残った笹本教授の講話を簡単に掻い摘みます。
・ 小野神社にある鉄製の小さな梵鐘は、歴史的に由緒ある大変珍しい貴重な存在。
・この梵鐘は永禄7年(1564年)11月、武田家を継ぐ前の高遠城主諏訪勝頼が小野神社に寄進。
・今では神社に梵鐘ということは違和感があるが、当時はそうではない。
・江戸時代までの神仏混交の時代、神社の境内には寺があるのが当たりまえであった。諏訪大社の中にも大伽藍の神宮寺があったが、廃仏毀釈で寺の伽藍が取り壊された。
・善光寺の中にも実は神社があった。本地垂迹説によれば、善光寺如来は八幡様であり、八幡様は甲斐源氏の守り神でもあった。
・その小野神社の梵鐘には、今では判然としないが、銘文が刻まれている。これは新編甲州古文書から知りえた。「信州小野大明神宮鐘之銘」という中にその銘文が記されている。
・その中に、梵鐘の機能として、「朝に聞けば苦を停め悪を絶ち、暮れに聞けば迷いを脱し厄を出づ」と記されている。
・天正元年(1573年)、信玄病没後、勝頼が武田家の家督を継ぐ。
・天正8年(1580年)、信濃国筑摩郡小池村と内田村の両村間で山の入会を巡って争いが発生。
・小池の人たちは甲府に出向き、善処を嘆願。しかし埒があかず、天正9年、勝頼自らが甲府の志摩の湯で両当事者を呼び出して様子を聞き、小池の入会権の主張を認める裁決を下す。
・その際に、勝頼は、「御岳で神慮を伺ってから帰るように」と注文をつけた。
・その意味は、「お前たちの話からはその主張が正しいように思われるが、もしお前たちが私をたばかっているような事があればそれにより神罰が下るであろう。その証を神慮にかけて示すように」、ということであった。
・御岳とは、御岳金桜神社のことで、そこの梵鐘は、当時、正邪の見分けがつかない場合に神慮に委ねる観点から最終の裁きに使われていた経緯がある。
・ところが、裁きを求めた信州の人は、我々は信州人であり、「神慮は信濃の神社で得たい」と、小野神社での神慮を希望。
・武田の奉行衆は勝頼の下知はないものの、その旨を了解。小野神社での神慮を命じた。
・小野神社の梵鐘は雨乞いにも使われ、霧集山にがんがん叩きながら担ぎ上げ、下りるときには転がし落とした記録まである。
・中世において鐘の音には様々な意味が込められていた。武士が刃や鍔を打ち合わせる鐘打(キンチョウ)は約束に違背しない誓いの儀式。和平の印としてならされた諏訪大社の宝鈴。裁判の際に使われた御岳金桜神社の鐘。あの世とこの世を繋ぎうる音。無間の鐘(遠江の無間の鐘はこの鐘を撞くとこの世では富を得る事が出来るがあの世では無間地獄に落ちると言われている)。などなど。
・元々諏訪を中心とする鉄製の小さな鐸の残存はとても貴重。諏訪大社の鉄鐸と弥生時代の銅鐸には関連性がある。
・鉄鐸は、諏訪大社以外には、小野神社、弥彦神社、朝日村の五所神社くらいしかない。それが歴史的な古文書に記録され、現代に引き継がれている。
・見事な社叢に包み込まれた歴史ある信州二ノ宮の神社に、このような鐘が残されていることの意味を地元の人がしっかりと知り、それを誇りとして地域の発展を考えて欲しい。

笹本教授のお話は、豊富な資料の出典を明らかにし、多角的観点から時代考証を適切に行い、我々を当時の日本人の精神世界に誘いつつ、その上で歴史的事実の持つ意味をしっかりとご教示いただけるものでした。歴史の一級の専門家と講談師が同一人物に同一化された感があり、話もとても面白いものがあります。おまけにその知識を地域を元気にする活動に結び付けているところに、笹本教授の特異なすばらしさがあります。

その笹本教授が、小野宿を分断する国道153号線のことについても触れられました。「折角の歴史的建造物群の真ん中を突っ切って国道が走っており、信号機が少ないこともあり、大型トラックが、スピードを落とさずに走っていく。観光客が来ても、これでは危なくて子供などは一人で遊ばせられない。」070630_14580001

私も全く同感で、前座の講習の中でもそのことに触れました。

地元の方に後で伺ったところ、国道153号線小野バイパスについては、数年前に国土交通省から調査費をつける打診があったのだそうですが、脱ダムで知られる前長野県知事が、反公共事業の立場を貫き、小野地区が採択されそうであったせっかくの調査費の計上を自己の思いにより止めたのだそうです。

コミュニティ再生の取り組みは、歴史探訪に加え、公共事業のあり方にまで波及して行きます。時の権力者のちょっとした判断の揺らぎが、ある地域にとっては塗炭の苦しみとなりうることが往々にしてあるのです。このことは、昔も今日も変わらなくあるということも改めて感じました。

|

« 「カカア天下」のコミュニティ振興 | Main | 武蔵野市と川上村の交流の実践現場を見る »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/15691806

Listed below are links to weblogs that reference 武田勝頼寄進の小野神社梵鐘の価値:

« 「カカア天下」のコミュニティ振興 | Main | 武蔵野市と川上村の交流の実践現場を見る »