「尋ねまほしき園原や」
週の後半、長野県飯田市、阿智村、群馬県伊勢崎市の3箇所を一気呵成に廻りました。コミュニティ政策に関する政府の取り組みの話をするためです。
政府の「基本方針2007」でも、コミュニティ政策について、短い言葉ですが、はっきりと位置付けられました。このことの持つ意味はとても大きいと思います。
マスコミの報道では、全くといっていいほど、この記述は無視されていますが、「そろりと始動した」第二期コミュニティ振興策の持つ意味は、漢方薬のようにそのうちにじわじわと浸透してくると思います。
現在のところは、社会保険庁の事案など社会面の記事で騒然としていますが、そのような時にこそ、地に足の付いた施策を粛々と進めていかなければなりません。
飯田市、阿智村、伊勢崎市に伺ったのも、基本的には同じトーンの話を申しあげるためでした。飯田市は、南信州広域連合の総会での講習でした。都市と農村の教育交流の全国展開の件について、少し詳しく話をするようにとのご下問があり、そのことをお話してきました。広域連合として受け皿機能を果たしていただければ、この地域の実績からして全国のモデルになるのではないかと、期待感を表明させていただきました。先月の予備的調査を行った確信を踏まえての話が出来たことはよかったと思います。
広域連合の講習会の後で、天龍村の大平巌村長から、長野県歌の「信濃の国」を扇子に書いたものを頂戴しました。村長ご自身が筆でお書きになったものでした。物凄い達筆で「嶽仙」という署名でお書きになっているもので、これはいいものです。木曽川や天竜川のことも「信濃の国」には書かれており、郷土のよさをコンパクトに収めたうってつけのお土産になりえます。『はぐるま会」という天龍村にある団体(0260-32-2780)が限定販売しているものなのだそうですが、私も外国に行くときなどは、お土産にすると喜ばれると思いました。
それにしても大平村長の達筆には驚きました。何故下伊那地域には、政治をなさる方に文化人や哲学的な方が多いのか不思議な思いがします。
その次の阿智村の講演は、岡庭村長のお誘いで、どのような会合かよく分からないままに行ったのですが、地元町内会の方、下伊那西部地区の村議会の方、一般の方などが100人を優に超えてお集まりで、びっくりしました。
最近、南信州に「嵌っている」観もあり、やや気安くなっている勢いも手伝って、「熱のこもった」講演をしました。
・最近は都市住民が2世3世になりシンパシーが失われている。
・農村の生活を知らない人たちが、交付税で農村は甘やかされている、といった印象を持っている。
・市場原理的な経済学者がそれを煽り、都市と農村の対立を慫慂するような発言をすると、都市ではそれが受け入れられるような雰囲気が出ているのが心配である。
・実際の農村はどうか。それを知ってもらうような手立てを意図的・戦略的に講じなければならない。特に子供の頃からの体験が不可欠である。
・子供が来ると大人も釣られてついて来るものだ。
・都市と農村がそれぞれ分かれて存続できないことを理解させなければならない。
・コミュニティ振興と教育再生の双方の観点から、都市と農村の教育交流の全国展開の企画を各省連携で企画しつつある。
・南信州地域は、その先進地域だ。羽場睦美さんという阿智村在住の山村留学の指導者は様々な観点から全国展開可能な処方箋もお持ちだ。
・このようなこの地域の先進的取り組みを国も真摯に勉強させていただき、コミュニティ振興の起爆剤(「一点突破全面展開」)の手本としていきたい。
といった話をしました。
会場の皆様には結構インパクトがあったようでした。この地域の取り組みが、全国の模範になって、それを国も参考にさせていただくということが、地域の皆様を元気付ける効果があるようです。
岡庭村長は、常日頃、「農山村の人たちは、(政府から)見捨てられていない、気にかけてもらっている、ということがとても心の支えになるのですよ」と言っておられます。
講習会を行ってみて、そのことをはっきりと実感しました。
講習会の後、地域の方々との懇親会もありましたが、とても盛り上がりました。阿智村、清内路村、根羽村、平谷村の村長さんや村議会の方々もご一緒でしたが、村議の中には、俺は昔「社青同」だったとか、「民青」だったといった話を正直になされる方もおられ、それで理屈が立つ方が多いのか、と感じ入ると同時に、執行部の皆様のご苦労も偲ばれました。
清内路村長の櫻井久江さんは、極めつけの小規模自治体で財政も不如意で、気持ちの上でも随分と落ち込んでおられるのかと思いきや、全く屈託の無い明るい方で、地元の名産の「あかねちゃん」という赤根大根の焼酎を勧められるままに飲まされました。とてもすっきりとした味で、赤カブの風味を感じる絶品の焼酎でした。
私から、「村長さんの名前は、私の母親と同じ名前なのですよ」、と申しあげると、櫻井村長さんは更に光度を増し、「やっぱり一緒に飲まないと駄目なのよねー」などとすっかり打ち解けました。
近くにいた、原憲司さんという阿智村の村議会議員が、ヤーコンという芋をジュースにしたりその葉を煎じたものを「あかねちゃん」を飲む前に飲んだら、益々美味しく飲めるとアドバイスを頂きました。
実は、前回阿智村を訪問した折に、「末廣庵」というお蕎麦屋さんで、ヤーコンジュースを頂いたのですが、確かに体が元気になり、翌朝の便通も促進されるなど、効能が高いことを感じました。
でも、ヤーコンを飲みながら焼酎を飲むと、いくらでも飲んでしまい、却ってよくないのではないかなあなどと、馬鹿な想像をしながら、時間のたつのも忘れ皆さんの話を伺っていました。
それにしても、講習会、懇親会を通じて得たこの地域の方々の印象は、皆さんご自身でものを考え、自立しようとする意志が強いことをひしひしと感じます。どうも、国が何をしてくれるのか、というのではなく、自分自身で何が出来るのか、という観点でものを見ています。国に対しては、勝手な政策変更で自治体を惑わせてくれるな、という視点で注文が飛んで来ます。
岡庭村長の話を聞いて驚いたことですが、阿智村では、幹部から介護師といった現場の職員に至るまで、全員が、本来の仕事とは別に個別の地域を担当し、そのことにより個々人がトータルとしての村の行政を理解しながら自分の仕事をしているということにつなげていることのようなのです。全員参加の「地域担当制」です。
そのことが村民一人一人の意識の高さにもつながり、文字通り「民が立つ」理想的な地方自治のあり方に近づいているという印象を持ちました。今流行の言葉で言えば、村全体にガバナンスがある、ということでしょうか。
我々が、「コミュニティ研究会」の中間報告書で書いたことが、何年も前に、この地では当然のように実践されているのです。まさに、現場にこそ知恵があり、です。伺ってみなければこの雰囲気は分かりません。
阿智村役場の佐々木正義協働活動推進室長には、日程調整や送迎などでお世話になりましたが、何を聞いても的確な答えがピンポイントで帰ってきます。私が、大平天龍村村長の筆による扇子を見ながら、「『信濃の国』の中で『尋ねまほしき園原』と歌われているけれども、何で訪ねる価値があるのですか」などというぶしつけな話に対しても、源氏物語(箒木の巻)、枕草子の記述(「原は たか原、みかの原、あしたの原、その原、萩原、あはづの原・・・」)、伝教大師縁の宿(815年関東に教えを広めるために峠を通った伝教大師はその険しさと宿がないことを知り峠をはさんで中津川側に広済院、阿智側に広拯院という宿を設けた)、義経伝説(義経が奥州下向の折り駒を繋いだという伝承のある「義経駒つなぎの桜」という巨木)、自然の風物(神坂峠の「日本武尊の腰掛石」)などに関して具体的でとても分かり易い返答が返って来ます。自分の地域を愛して誇りを持って普段から学習していることが偲ばれます。岡庭イズムが徹底していることは明白です。
園原は、県歌「信濃の国」に歌われているだけではなく、
・園原や伏屋におふる箒木のありとはみえてあはぬ君かな(坂上是則)
・箒木の心をしらで園原の道にあやなくまどひぬるかな(光源氏)
・数ならぬ伏屋に生ふる名のうさにあるにもあらず消ゆる箒木(空蝉)
・まれに待つ都のつても絶えねとや木曾の神坂を雪埋むなり(宗良親王)
・うつせみの世のちりはかで園原の伏屋にひとりおふるははき木(有賀光彦)
といった和歌にもとりあげられるように、確かに名跡なのです。佐々木室長の話では、阿智村が源氏物語や枕草子に取り上げられたり、歌枕になっていたりするのは、「ここにその昔東山道が通っていたので当時は京都の文化に直結していたからだ」ということでした。
東山道がなくなった現在も、阿智村は、歴史文化を学習・伝承し、大切に受け継いでいるように見受けられます。岡庭村長や佐々木室長はひょっとすると、日本武尊や伝教大師の子孫なのかも知れないと思ってしまいます。
何度来ても、南信州地域からはその都度教えられることばかりで、感動の連続です。次回は、園原を歩いて廻らなければなりませんね、と佐々木室長と約束しました。
The comments to this entry are closed.
Comments