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May 31, 2007

立川飛行場と飯沼正明飛行士

朝日新聞の「飛行場があった街」という特集記事が5月29日から連載されていますが、その中で飯沼正明飛行士のことが書かれていました。

飯沼飛行士が所属した朝日新聞社航空部は戦前、国内の民間航空の一翼を担っていたのだそうですが、大正12年11月、東京湾岸にあった洲崎埋立地から立川飛行場に移転したそうです。そして昭和3年8月末には立川ー大阪間と立川ー仙台間で国内初の旅客定期輸送をはじめたのだそうです。

昭和初期には立川飛行場に数多くの外国機も飛来し、その整備技術を信頼され、記録を目指す飛行機の経由地として利用され、国際飛行場「TACHIKAWA」の名は世界に知られていたのだそうです。

さて、件の飯沼飛行士が操縦する朝日新聞社機「神風」号は、昭和12年4月、94時間17分56秒の亜欧連絡飛行スピード世界新記録をうち立てたのですが、その記録飛行の出発地は立川だったのだそうです。当時の羽田空港は滑走路が狭く、十分な燃料を積んで飛び立てなかったのだそうです。

この記録飛行は、ヨーロッパ各国が挑戦し失敗し続けた記録を、国産機神風号が樹立したものであり、「航空日本」を印象づける歴史的快挙となったと記事は続けます。

しかし、神風号がこの記録を達成してからわずか3ヶ月後の1937(昭和12)年7月、日中戦争が始まり、世界に秀でた機体と乗組員は軍に徴用され、偉業を成し遂げた飯沼飛行士、塚越賢爾機関士の2人は、朝日新聞社航空部に所属したまま、陸軍に徴用され、同年9月から同僚らと共に神風号で偵察飛行を行ったのだそうです。

飯沼飛行士は、その後、北部マレー方面作戦展開中に戦死していますが、時代が下った現在では、安曇の出身者でも飯沼飛行士のことを知る人はそうはいません。

熊井啓監督の訃報を契機に、少し郷土の歴史とそれに関連する事実をほんの少しですが知ることが出来ました。故人の冥福をお祈りしながら感謝しなければなりません。


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