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May 06, 2007

町屋の復活を見る北越紀行

5月3日の朝、須坂を発ち、新潟県村上市に向かいました。つい最近知り合ったばかりの吉川美貴さんのお誘いを受けて、数人の友人と車で向かいました。

途中で小布施に立ち寄り、小布施堂の栗羊羹をお土産に購入しました。小布施の町並みは、小布施堂中心に目を見張るものがありますが、まちづくりの全国ネットワークの中で小布施堂の市村次夫社長は村上市の吉川さんをご存じだということでした。栗羊羹を購入しているときに、市村社長がわざわざお出ましになられたのです。

驚いたことに市村さんは、SNSの動きやYOU TUBEの機能をよくご存じでした。長野県域のN-SNSの中の80人ほどの買い物グループで作っているコミュニティの口コミ情報が、商店街の売り上げに大きな影響を与えていることを話していただけました。私が昨日須坂で話をしたこともそのネットワークの重要性だったのですよ、と申し上げましたが、まだ御本人はSNSには参加されていないということでした。今度誘ってみようかなと思いました。

ところで、吉川美貴さんは「町屋と人形さまの町おこし」という本を書かれ、ご主人である吉川真嗣氏の村上市の商店街振興に向けた取り組みを克明に解説しています。

保守的なまちで、廃れかけた商店街再生に向け、町屋に蓄積されている人形さまや屏風を町屋をそのまま活用して表に出し、町屋の奥深さを客に見せることで、観光客を呼び込むというものです。

マスコミの理解も得ることで、予想以上の大成功を収めたということ、嬉しかったのは、まちのお年寄りが人形の系譜や屏風の字の説明を買って出た結果、自分たちの待ちに誇りを持ち元気になっていったということも書かれています。

まちが元気になると年寄りも元気になり、介護費用も軽減されるかも知れません。よい循環がまちづくりから始まるのです。

吉川さんの実家は、市内を流れる清流三面川で捕れる鮭を加工し付加価値を付けて売るという商家です。店は奥行きが深く、天井からは塩引き鮭がつるされています。店の地下には「日本一美味しい」地下水が流れており、自然の恵みと地形を十二分に生かした場所で商売をしてこられました。吉川さんのお父上のご当主の哲しょう(「しょう」の字は「魚に生きる」と書く)さんからは、新茶のご接待と供に鮭と共生してきた村上の歴史を詳しく話していただきました。Photo_47

さて、この歴史ある町屋の真ん中に都市計画道路を通し、この町屋を壊して近代的都市づくりをしようという構想が市にあり、それに反対することから町屋復興の運動が始まったとのことでした。確かに吉川さんの店のある道の手前まで、拡幅された都市計画道路が迫っています。その道路の両側の店は、普通のまちと変哲のない店がぽつぽつと並んでいます。

全国町並み保存連盟会長であった五十嵐大祐氏が吉川真嗣氏に、村上市の道路拡幅に関して、「村上市の素晴らしさは城下町を構成する武家町と町人町の両方が残っているからだ。この一方の町人町を近代化することは町屋が壊され城下町としての価値を著しく失うことになる。商店街にとっても道路を広げて栄えたまちは全国どこにもない。車優先で商店街は分断され、買い物は不便になり客足は遠のき年寄りにとっても危険で住みづらい町になる。村上は城下町の伝統的な古き趣を生かしてこそ活性化できるはず。近代化しては取り返しのつかないことになる。」とのアドバイスを与えたことから吉川氏の取り組みが始まったとのことでした。

実は、この考え方は、総務省のコミュニティ研究会の第4回で京都大学の中川大教授が話されているところと完全に一致します。自動車交通により中心市街地は寂れたとの意見です。

確かに狭い道路ではありますが、商店街が凝縮されて古い店が片寄せあっている方が、ぬくもりがあるような気はします。問題は、どうやって「伝統的な古き趣を生かして」まちの活性化を図るか、です。

その経緯と今後の展望を吉川氏がパワポを駆使し熱っぽく語ってくれました。Photo_44

語っていただいた部屋は、店の二階で、格子窓からは土間の塩引き鮭が垣間見えるという風情のある場所でした。Photo_45
Photo_46

吉川ご夫妻には、店だけではなく、現在取り組んでいる黒塀復活事業の現状、古い民家を改装し内装をしゃれたエキゾチックなものにして浪漫亭と名付けてお祭りなどには一般公開している現状、武家屋敷の現状、そして市の歴史資料館をフルアテンドでご案内頂きました。Photo_48
そして昼には、鮭尽くし昼食を頂きました。特に鮭茶漬けは、これこそ鮭茶漬けというべき味と質感で、驚嘆しました。吉川さんのお母さんが腕によりをかけてお作りいただいたものでした。

村上市郷土資料館では微笑ましい出来事もありました。吉川真嗣氏が村上の歴史・祭りを解説してくれていたのですが、たまたま私が鞄を取りに下の階に行ったところ、館長の名札を付けた本間哲朗さんという方に出くわしました。私が、折角なので館長さんから話を聞かせていただけないでしょうか、と頼むと、いやいや私なんか、と言いながら、二階に上がってきて解説をしていただくことが出来ました。やはり館長さんだけあって、歴史考察がしっかりしています。中学で社会科の教師をされていたということでした。吉川氏のことを「吉川君」と呼ぶので、ひょっとしたらと思い、関係を伺うと、「中学時代の教え子」だったとのこと。

吉川氏も照れくさそうにしていました。私が更に、「吉川氏の日本史の成績は」、と聞くと、「吉川君は剣道ばっかりやっていて頭を叩かれていたから」と答えられたので、一同大笑いでした。吉川観光カリスマも恩師にきれいに一本取られた瞬間でした。

本間館長からは、戦国時代から江戸時代・幕末にかけての村上藩の歴史を伺いましたが、とにかく藩主の交代が頻繁で、侍の転勤も大変だったことが思い浮かびます。しかし、そこはパターンが出来ており、どの位の侍がどの屋敷にはいるかは概ね決まっており、案外とすぽっとはまったのではないかとの話も伺えました。城下町が形成されたのは戦国末期で、それまでは武士は自分の屋敷に分散して居住していたというお話も伺えました。上杉景勝が領内の地図を大きな絵図に書き、豊臣秀吉に見せたという原寸大の模型がありました。佐倉の国立民俗博物館で展示してあったのを譲り受けたのだそうですが、本間館長はその地図の模型の前で印象に残る解説をしていただけました。Photo_49

上杉景勝が山形に移封されたあとに村上頼勝が村上藩主になったのですが、この村上氏と信濃の村上氏は関係があるのかどうかを本間館長に伺いましたが、よく分からないとのことでした。私としては、ちょうど戦国時代に信濃村上氏が勢力を誇っていた北信濃から来たこともあり、そのところが気になったのですが、これはそれこそ日本史の大専門家に聞いても分からないかも知れません。今度、笹本正治信州大学教授に伺ってみることにしましょう。

その晩は、瀬波温泉の大和屋旅館に宿を確保しました。料理がとてもよいとの評判の旅館のようですが、実際にその通りでした。旅館の専務の前澤範子さんによると、明治37年の瀬波温泉開湯の宿なのだそうです。

翌日4日は朝早くに起き、羽黒神社にお参りし、村上市を眺望しました。自然の中にゆったりと体を休めている風情がとても優しい感じを受けました。Photo_50

理想のまちづくりに向けた人の営みと自然と歴史と味と人情に接した一泊二日の北越紀行でした。それにしても、吉川美貴さんは、とても能力の高い輝くばかりの麗人なのですが、常に夫である真嗣氏をたてようとする気持ちが伝わってくるような印象を受けました。持ちたいものは、「金の成る木とよい女房」、とはよく言ったものですが、真嗣氏は、少なくともそのうちのひとつは確保していると見受けました。今後の更なるご活躍をお祈りして村上を去りました。

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