注目される「地域担当制」
コミュニティ活性化の議論をしていて、「地域担当制」の導入ということがよく話題になります。「地域担当制」とは、一般的に、市町村職員が、普段の仕事とは別に、市町村内の地区担当になり、町内会の会議に参加したり、その地区の住民の方の話を聞いたりするという仕組みです。
季刊「都市政策」(07’4)の中で、立木茂雄同志社大学教授は、コミュニティ支援の行政の支援軸にひとつとして、「地域の自立度に応じて直接・間接の支援策が必要であること、東灘区で進められている地域担当制やまち育てサポーター制度が地域のソーシャルキャピタルの醸成に効果的であることが確認された」と指摘しています。
もっとも、立木教授は同時に、「住民から地域活動の支援策として高い評価を受けている地域担当職員制でも、職員自身のファシリテーション技能によって、制度の効果が大きく左右される」と指摘しています。
さて、地域担当制は、最近では、意欲的な自治体が徐々に取り入れ始めている手法です。地域の方々が、自らの地域をどうすべきか真剣に考えていくときに、市町村がタテ割の業務分担制度では十分に対応することができないことがままあります。
そこで、地域の住民とトータルで向き合えるように、市町村職員の一人ひとりが各コミュニティの担当職員となり、担当コミュニティの問題解決にはどうしたらよいかを市民とともに考えていこうとする試み、という発想が一般的です。
例えば、習志野市では、地域担当職員は、①「広報・広聴活動の担い手」、地域における「まちづくりの担い手」として位置付けられ、②まちづくり会議やまちづくり予算会議に出席し市の施策や計画等の情報を市民と共有し、地域からの市に対する意見・要望を受けとめ市政に反映させるとともに、③地域活動に直接参加し、地域の方々と直に接しながら地域に根づいた発展の方向を模索する、とされています。
福島県の檜原村、長野県上伊那郡宮田村、松川町などでも同趣旨の取り組みが行われています。
住民にとっての効用はもとより、職員にとっても日ごろの仕事の仕方にも影響があるでしょうから、大変よい制度のように思われます。
しかし、ある地域のトータルな担当になるということは、その地域との接点になるのですから、責任重大です。住民の評価も厳しくなるでしょう。あの人は繋ぎが悪いから別の人に代えてくれ、という声も出るであろうことは容易に予想されます。
立木教授が指摘する、職員のファシリテーション技能が問われることになります。
そうなると、この分野の情報共有、技能アップのシステムなども必要となって来るでしょう。少なくとも、自らの所管以外の分野についても幅広い勉強は不可欠になります。「私は担当ではないから分かりません」と言って逃げることはできません。地方公務員の志とスキルアップが問われます。
市町村議員との関係も微妙です。本来こうしたことは議員の役割ではないか、という意見も当然出るでしょう。コミュニティがしっかりすればするほど、議員活動のあり方が問われてきます。議員活動も、地元要望をかなえることから、その行政区域のあり方全体に関する政策論に転換していく必要があるかもしれません。
さて、この地域担当制は、何も市町村職員向けの発想に止まりません。宮腰光寛衆議院議員は、内閣府の沖縄担当の政務官であった折に、沖縄の40の有人離島(現在は39)を全て訪問したのだそうです。その時の思いもあり、内閣府の沖縄担当職員一人ひとりに担当する離島を割り当てたのだそうです。一人ひとりが特定の沖縄の離島については誰よりも現状をよく知っているようにする、そのために「旅費も確保する」、ということで、地元にも内閣府職員にも喜ばれたようです。「今も続いているのかなあ」とおっしゃっておられますが、あとで担当者に伺うと、続いているようでした。ただ、やはり、担当者の「熱意」のあり方には、差異があるとの話も伺いました。
地方分権議論の中で、国と地方の役割分担を明確にする議論がこれから始まろうとしていますが、役割分担の明確化と、その地域をよく知るということは両立する話です。コミュニティの地域担当制の発想には、地方と国の双方で、縦割り行政の殻を打ち破るエネルギーを持っているように思えます。
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