ヨースト教授の講演で想起した諸井虔先生の「重い」言葉
4月6日の夕方、東京アメリカンセンター主催の定例の講演会に参加してきました。今回は、ジョージタウン大学外交研究所所長のカシミール・A・ヨースト(Casimir A. Yost)氏から、民主党主導の米国連邦議会が共和党政権との関係でどの様に外交政策に関わっていくのか、また、2008年の大統領選挙と今後の政治・外交に関する概括的な話を伺うことが出来ました。
講演のモデレーションを行った東大法学部教授の久保文明氏の解説によれば、ヨースト氏は、アカデミックな世界だけでなく、外交官として、また上院議員の外交政策スタッフとしてパーシー、ルーガー、マティアスといった穏健派共和党議員を支えてきた経歴の長い方で、米国の政治外交の勘所を知りつくしたプロだということのようです。
そのヨースト氏の話のエッセンスは、概ね以下のようなものでした。
(米国の分断と民主党主導の議会)
・2000年の大統領選挙で、米国は共和・共和が真っ二つに別れ、分断された国のようになってしまった。
・2002年の世論調査も、共和党、民主党それぞれ43%の拮抗した支持率で、米国においてはこの100年見られない状況であった。
・その中で、共和党はこれまではホワイトハウスと連邦議会の双方を支配してきたが、2006年11年の中間選挙はその様相を全く変えた。
・上院・下院とも民主党が多数を占めるに至った。上院は1議席民主が多く、下院は民主が32議席多くなった。
・しかしその実質は、民主対共和の対立というよりも、共和党内の路線対立と言った方が的を得たものであった。
・それは、元NSCのスコークロフトなどに代表される共和党伝統主義とヲルフォウィッツなどに代表される変革主義の二つの路線上の対立であった。
・選挙結果は、連邦議会共和党の議会運営の失敗という要素による面もあった。共和党が多数を占めていた議会は、ブッシュ政権に意見を差し挟まず、本来あるべき議会と執行部とのチェックアンドバランスという機能を果たしていなかった。議会が仕事をしなかったということだ。
・その証拠に、当時の大統領支持率35%以上に議会の支持率は低く、17%に過ぎなかった。
・また、2006年の選挙は、政府のイラク政策に対する国民投票的な位置づけになったことも大きかった。2001年には民主・共和の支持率は五分五分だったのが、2006年は民主は50%であったのに、共和は35%低下した。政策の満足度も55%から30%に低下した。
・その結果、現在の連邦議会は、民主党主導で動いており、民主党は公聴会を多数設け、ブッシュ政権の監視活動を進めている。イラク復員兵の取り扱いの問題によりゴンザレス司法長官が難しい立場になっているなどはその例である。
・しかし、こうした民主党の議会運営は、チャンスでもありジレンマでもある。チャンスとはブッシュ政権のイメージを悪くするという意味だが、逆にこの手法ばかりにのめり込むとアウトプットを問われかねないジレンマが出てくるからだ。
(大統領選挙の争点)
・大統領選挙は、早く始まることになる可能性がある。今回の大統領選挙は、1950年以来はじめての現職の大統領・副大統領が出馬しない選挙であり、2008年2月には大統領候補が決まり、20ヶ月後には大統領が決まることになる。
・その争点は、一にイラク、二にイラク、三にイラク、という状況にある。ワシントンポストに、毎月、fallen heroes というイラクでその月に戦死した兵士の写真が載るが、人々はそれを見て嫌でもイラクの現実を思い知る。
・民主党支持者の95%はイラク撤退を支持している。60%の国民は撤退の具体的日にちを決めるべきだとしている。
・米国の移民政策も争点である。アジア政策も通商政策を中心に争点である。
・米国がイラク問題にエネルギーを傾注しているうちに、アジア、その中でも特に中国が変貌を遂げ、それに対応していく必要が出てきている。
・対中国政策に関しては、国務省主導で2国間的視点で3つの代表的立場がある。①ひとつはキッシンジャーに代表される“GET CHAINA RIDE”という中国を同じ土俵に乗せる立場。②二つ目は、アーミテージやナイ、ペリーに代表される日本などの友好国との関係を重視する立場、③三つ目は、ラムズフェルドなどに代表される、中国を次の時代の脅威と考え備える立場、である。これに対し、グローバル思考で環境問題などの観点でものを考えるという立場も別途ある。
・これらの立場は、民主・共和で、党派的対立があるものではない。6ヶ国協議の最近の結果に関しても、むしろ共和党が批判的で、民主党が支持しているというねじれも見えている。尤も民主党は、クリントン政権時の達成点と同じではないかという皮肉を込めて支持しているのだが。
・2008年の大統領選挙では、アメリカの世界における役割が議論になる。
・国内的な観点では、先ず、アメリカ政府の機能の仕方、意思決定の在り方が変わりつつあり、例えば、外交政策に関しては、従前は国務省、財務省、NSCが主たるステークホルダーであったが、今は全ての省庁が積極的に関与してきている。
・また、アメリカにおける中間層の衰退という問題があり、政治的コンセンサスづくりが難しくなっている。
・対外問題では、イラクの教訓をどう受けとめるかという問題がある。これはベトナク戦争の時に似ている。
・積極的に紛争に関与しないのか、関与するが別のやり方があると考えるのか、ということだ。選択肢としては、①孤立主義に戻る、②軍事的プレゼンスを持ち続ける、③オフショアバランサーとして、物理的には撤退するが常に介入の可能性を持って監視する、という3つの立場があるが、①の可能性は少ないだろう。
・派生する問題として、イスラム世界とアメリカの関与、中国の台頭への対処、中国と日本の関係もある。
・中国への対応は、党派の違いはなく、国際社会への取り込みは必要だと考えるが、軍事面の脅威は懸念する人が多い。
・グローバル化の中のテーマとしては、通商問題、市場経済の中の勝者と敗者の二極化の問題、環境、移民、人口動態の問題、高齢化問題、社会の変容の問題もある。
・環境問題に関しては、アル・ゴア氏が国民の関心を高めるのに力を発揮し、また財界が環境問題を考えるようになっている。最近CNNが、1フィートの海面上昇によりマイアミやニューヨークがどの様な影響を受けるか特集し、大きな反響を呼んだ。国民の関心も高まっている。
(バランサーの不在)
・最近の上院は、民主党はよりリベラルに、共和党はより保守的になり、中間的なバランサーがいなくなっている。その意味では、双方ともより PURE になりつつある。
・下院は、選挙区の区割りを、それぞれの政権党が自らの党派に有利に変えてきており、勝ち負けが予想しやすいものになってきている。
・北部は民主党が強く、南部は共和党が強いという傾向は変わらず、その色彩がより鮮明になっている。
・それでも、北部の共和党は選挙民の意識を受けよりリベラルで、南部の民主党は逆に、かなり保守的でもある。
・したがって、仮に民主党政権になったとして、あまりにリベラルな政策をとると、南部の民主党の議席は失われることになり、南部出身の民主党議員には危機感がある。特に2006年の中間選挙で議席を確保した民主党議員には危機感がある。
・ワシントンでは、飛行機のために党派を超えた宥和が出来なくなったという声がある。航空が不便な時代は、議員は週末も地元に帰ることはなく、家族とワシントンに住み、党派を超えて野球観戦をしたり、家族ぐるみのつき合いがあった。
・現在は、仕事以外でのつき合いがない。特に現在は、火曜から木曜しか議会の採決をしないというルールが決められ、それを変えようとすると、“ family friendlyでない”と難色を示す議員が多い。こうしたことも宥和の欠如に案外大きな影響を与えている。
・1948年の議会は何もしなかった議会との評価が固まっているが、昨年の議会は、「1948年以来セッションが最少」との評価を受けてしまった。
(慰安婦問題に関する非難決議)
・ホンダ下院議員の慰安婦問題に関する決議の件は、問題を「大きくさせすぎた」観がある。
・連邦議会でこの手の決議案は山ほど出てきているが、日本政府の反応があったことが却って問題を大きくクルーズアップすることになった。
・議員の一人ひとりは選挙区事情を抱えており、決議案提出も思惑で動いている。それに過敏に反応してしまった。
・結果として、今後に尾を引く問題にしてしまった。こうなった以上、安倍総理は一貫した姿勢を示すしかない。
講演の概要は以上のようなものでしたが、報道に見る米国事情を、インサイダーの観点から伺え、大変刺激になりました。今後の米国政治を眺める上で、参考になります。
ところで、このヨースト氏の履歴を伺い、上院の上級スタッフという履歴が印象に残りました。モデレーターの久保東大教授がおっしゃっておられましたが、日本の国会と米国の連邦議会の調査体制・能力には大きな差があるとのことです。
さて、米国の連邦議会には、このヨースト氏のような政策顧問が沢山おり、連邦議員の政治活動を支えているようです。その結果の是非については詳しく分かりませんが、質量において彼我の差は小さくないように感じられます。
翻って、現在日本では、キャリア公務員の天下りの問題が大議論になっています。私がつらつら思うに、識見のある一定水準のベテラン公務員は、出身省庁と縁を切って、国会の上級スタッフとして、国会議員を支える役割を与えたらいいのではないかと思えます。
以前、諸井虔先生(当時の地方分権推進委員会委員長)と岩手県に一日分権委員会で出張した折に、たまたま諸井さんから新幹線の中で、上級公務員の退職後の処遇に関して所論を伺う機会がありました。諸井さんは、「官僚の天下りは本人にとっても社会にとっても余りよいことではない。地方分権改革が進まないのも、いつまでも出身省庁と縁が続くことに淵源がある。かといってずっとその役所に置いておくことも組織の活力によくない。そこで私は、国会の上級スタッフとして名誉ある処遇をすることが解決策になると思っている。キャリア公務員が長年の経験の中で培った知見を、天下国家の観点から生かすのだ。親元から切り離すことで親元への遠慮もなくなる。本人の名誉も保たれる。例えば、一人年収2500万円で処遇。活動費を含めて3000万円かかるとして、100人で30億円だ。500人でも150億円に過ぎない。1000人を処遇しても300億円だ。これくらいの費用で今日の日本国が抱える多くの課題は解決する。国会の機能も飛躍的に高まるだろう。各省庁も先輩の面倒を見ることから解放され、自由な政策立案に専念できる。君、どう思うかね!」と語りかけられました。
私は、その時、確か、「アメリカ並みの国会機能が実現しますね。そうなると役人も、専門分野を深めようと更に勉強しますね。しかし、日本の場合は、定員枠の管理が厳しく、この問題が大胆な制度改革の動きを止めています。先生の発想には大賛成ですが、定員問題の解決をお願いしたいですね。」と申し上げたことを思い出しました。
諸井先生は最近お亡くなりになりました。今となっては、この問題について、公式の場で一言おっしゃっていただく機会がないままになったことが残念でなりません。
米国の研究者の話を聞いたこの機会に、諸井先生のお話をご紹介させていただくことで、先生の遺志に報いることとしたいと思います。
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