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March 08, 2007

地域の歴史・文化を知ってこその地域コミュニティの再生

信州大学の笹本正治教授の、歴史家から見たコミュニティ論をじっくりと聞く機会がありました。地域の歴史・文化を知ることにもコミュニティ再生の鍵があるとの説得力あるお話でした。

大学の授業のようなお話でした。以下その話の概要です。

・コミュニティは、人間が生きていくのに最も必要な我々の生命や財産の保障手段、人間が協力することによってこれを維持していく手段。
・コミュニティにはいろいろ重層的な様相がある。コミュニティに属するということは、基本的に個人を越えて公に属すること。どんなコミュニティであっても、さらにその上にはより上位の公が存在している。重層的なコミュニティがある中で、一体どこに着目して、どのようにしていったらいいのか、これが大きな問題。
・従来の集落のコミュニティの成り立ちを考えると、その基礎になっていた社会慣行はほとんど崩壊してしまった。日本の地域コミュニティは農業をベースにしていたが、従来型の手法では農業が成り立たなくなっている。茅場だとか草刈り場も不要になった。道路管理や除雪などコミュニティが担ってきた部分も、ほとんど自治体が行うようになった。
・祭礼や文化財の維持も無駄だとする意識が強くなってきている。冠婚葬祭等も業者が入るようになった。
・コミュニティにとって最も重要な安全も、警察、消防、自衛隊、その他いろんな公共機関が代行するようになった。歴史経過の中で地縁的なものは嫌でも変わらざるを得なかった。
・社会的な変化を前提として、NPOや趣味を同じくするサークルなどの新たなコミュニティがいろいろ出てきている。
・新たに作られつつあるコミュニティと公、あるいは今まで地縁的な部分が担ってきた公とのつながりが、まだ見えてこない。
・当面の課題は、市町村合併による新たな協調意識の醸成をどうしていくかである。特に対等合併したところほど、一体感が出てきていない。一方で、その末端にある地縁的な集落は、過疎化が進んだ地域ではほとんどつぶれかかっている。こういった上と下のひずみの中で、対応を考える必要がある。
・人間がコミュニティをつくっていく最大の理由は、生命や財産の保持にある。そうだとすると、日本人の安全意識の変化がコミュニティを理解する大きな鍵になる。
・古い段階に基礎になったのは自助、自らのことは自ら守れということであった。その次に共助、さらには公助へと進んだ。基本的には自分の力でなくて、公が救ってくれるのだという方向性に進んでいる。それと裏腹な関係として自己責任の放棄があるように考えられる。
・基本的より大きなコミュニティへ帰属することによって、自分たちの安全度を高めてきた。しかし、私が学んでいる中世という社会における基本ルールは自力救済であった。あくまでも自分の身は自分で守れということ。そのために血縁関係、地縁関係を大事にした。言うならば敵討ちに参加ができるのは血縁だとか地縁だとか職縁でしかなかった。そういうものに頼って安全を守っていた。
・その時代では、強い者が勝つのが当たり前。強い者が勝つという社会から公の裁定、公平な裁判が行われ、弱者も平等に救済される方向に時代は進んできた。そういう意味で、社会の変化とともに、嫌でもコミュニティは変わらざるを得なかった。
・一方で、戦後日本には独特の共同体論があったように思う。当時は、敗戦のショックを引きずっており、欧米が正しくて、日本的な、旧来的なものは悪い、という考えがあった。
・戦争も旧来の共同体意識の上になされたのではないか、言うならば悪しき共同体、という意識が存在していた。その上で、責任のない形としての個人主義、個人的主義と民主主義を全部はき違えて、個人がよければいいという風潮が強く出てきた。戦後日本は、それをずっと推し進めてきたように思う。
・その背後に、日本人の文化に対する自信のなさがあった。つまり、日本には日本独自の文化があったにもかかわらず、そういうものを全部捨てて、欧米型が正しいのだという意識を抱いた。
・歴史学もそうだが、発展の結果として、世界は全部同じ方向に行くのだと考えたところがあり、そういうものが全部一緒になって戦後の一時期まで、日本の共同体はよくないものだとの理解がなされていた。
・コミュニティはみんな異なっている。地縁一つとっても、環境、それから歴史のすべてが違っている。
・コミュニティなどに関しては、どちらかというと個性的な部分はなくて、みんな同じようにやりたがるように思う。コミュニティの再生、創成の手法は、すべての地域や歴史によって違ってくるだろう。
・歴史・文化の認識によるコミュニティ再生に関して、長野県の事例を付け加えておく。南木曽町にある中山道の妻籠宿は、基本的に発展に取り残されたために、古い民家が残った。それを、南木曽町によそから来て町の職員になった人が「いいものだ」と言い、輪を広げていって、現在では「売らない・貸さない・壊さない」という住民運動となって景観を残した。地域住民が主体になって動いて、古い民家を文化財として認識し、それが観光資源になっている。
・小布施町は、葛飾北斎の絵、栗菓子、これを前提にして、再開発でなくて、古いものの保存でない、古いものをどう改築していくのかということで、新たな文化をつくり、これが観光資源になっている。
・地域の再生、コミュニティ活性化の手段の一つに、歴史と文化の再認識、それを資源として地域をおこす方法がある。
・地域住民はどの部分を応えることができ、どの部分は対応できないかを明らかにする必要がある。住民の側と外の側、その双方の思いをきちんと整理していかなかったら、地域はうまく活性化できないのではないかと思う。
・文化、歴史、景観はコミュニティにとって財産である。先ほどの論議の最初のところに、日本人がつくってきた景観、まさにこれはコミュニティのシンボルになるようなもの。景観論がどこかで必要になってくるのではないか。
・コミュニティのつくり方の一つとして、二番煎じや、三番煎じは基本的に失敗する。
・長野県飯山市に、小菅という集落がある。この小菅という集落には3年に1度、柱松柴燈神事という長野県の文化財に指定されているお祭りがある。経済的に存続が難しくなった。この結果として、本来毎年やっていたものが3年に1度になった。建物も壊れつつある。
・地域の住民たちは、「もうとてもしようがないから何とかしてくれ」と行政に頼むしか行き場がなくなった。そこで飯山市から依頼があった。地元の皆さんから私が最初に言われたことは、「先生、幾らお金を持ってこられるかい。うちのほうはこれだけ貧乏しているんだから、何とかできないのかい」ということであった。
・私は「学問としては、地域がすばらしいかどうかを確認することだけ」と申し上げ、ともかく「この地域の文化や人はすばらしい、すばらしい」と言い続けてきた。その結果、経済的には何もよくなっていないが、地域の人たちは随分元気になった。「自分たちのお祭りはこんなにすばらしい」と。
・人がものすごく集まるようになった。研究者などがいっぱい入ってくるようになった。いろいろな人たちが地域に着目することによって、住民は自信が付き、誇りの意識を持つなどして、気分が随分変わってきた。
・祭礼がコミュニティを考えていく上で重要。飯山市の祭礼の場に行くと、ふだんだったらちょっと声をかけたくないような、髪の毛を真っ赤に染めた、異様な格好のお兄ちゃんが、丁寧に子供へいろんなことを教え、我々が質問すると、きちんと答えてくれる。人の役割がきちんとあって、それが参加者すべての存在意義になっている。しかも、その祭りを長年続けてきたことが誇りになっている。
・地域もそれぞれ特徴があって、コミュニティも多様だといえる。ところが、私たちはこれまでややもすると、同じ共通の尺度、すなわちお金でしかものを考えていなかった。
・経済を超えるような尺度をきちんと説明できさえすれば、過疎にあえいでいる農山村に住む人たちも、自信を持って地域に住み続けてもらえる。
・そういう意味で、地域に住むことの誇りとか自信、あるいは文化を伝える義務、こういったものをきちんと訴えることが、公の意識を醸成することにつながる。
・私の教え子の一人が、長野県の一番南に居住し、国の無形民俗文化財の霜月祭りの中心的役割を負っている。彼は、「私は日常的には日雇いのようなことをやっていても、1年に1回は国の主役になれる。みんなが私たちのお祭りを見にくる。だから、私は頑張れるんだ」と言っていた。誇りとか自信とかに触れることが、コミュニティを考える上で必要になる。
・基本的には私たちが提示できるのはモデル。あくまでも主役は地域の住民。しかもコミュニティは多様。
・一番大事なのは、行政へのお任せ主義から、いかにして地域住民を脱却させるかだ。取組の結果、最初のころと地域住民の市に対するイメージは随分変わってきた。「我々はこれだけやれる、これだけやった。だから、これから先はこれだけのことを助けてほしい、多くの人の協力をここから先にしてほしいんだ」という雰囲気への変化。行政もやり過ぎるとあまりよくない。
・基本は、やはり教育。地域の歴史や文化を知らなくて、地域に合ったコミュニティの再生・創成はない。しかしながら、教育のほとんどは日本全体で全部同じ。例えば、私が住んでいる松本市のことをいくら知っていても、これは当然のことながら入試には出ない。同じ尺度で教えることが教育の中心になっているので、尺度の異なる可能性もある地域のことを教えていない。それなのに、私たちは何かあるときは地域、地域と言う。
・地域住民が自分たちのふるさとを学ぶ、自分たちが住んでいる、あるいは関係している場を学ぶという運動が必要。それが今後の大きな課題。
・やはり学校教育以外の勉強の方法も考えていかねばならない。
・公共性が大事。特に若い者に公共意識が失われている。これをどのようにしていったらいいのかが問題。
・住民が地域に対して誇りを持っていただきたい。
・良い人がいるなと思うところは地域が活性化している。人のために汗をかける人がどれだけいるかが大事。よく聞くのは、「よそ者、ばか者、若者」これが地域づくりには必要だそうだ。そういう意味で、教育の場にいる私は、こういう人たちを育てるのにどうしたらいいか課題を負っている。
・高遠の桜らではないが、120年後に種が収穫できるようなことを考えていけばいいのではないかと思う。あまり慌てすぎないようにしたいものだ。

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