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February 12, 2007

道州制同一区割り下の長野県と茨城県

3連休を、前半は茨城県大洗、後半は長野県飯田市で過ごしました。

後半は、飯田市議会と飯田市役所の共催の講習会に呼ばれての飯田市訪問でした。大洗から飯田に行くのに、寄り道を除いても6時間以上かかりました。

主催者から与えられたたテーマは、「地方分権一括法が施行されてから早いもので7年が経過しようとしています。この間、財政構造改革が進展する中で、三位一体改革を経て第二期地方分権改革の議論が開始されるなど、地域を取り巻く状況は大きく変わり、道州制などの新たな制度についての検討が始まろうとしています。一方で、ICT技術の進化に伴う情報化の波は、私たちの生活のあらゆる分野に及び、コミュニティの有り様も変容しつつあります。このような国と地方を取り巻く大きなうねりの中で、私たちの地域がアイデンティティーを確立して活き活きと輝き続けて行くためには何をすればいいのでしょうか。国で議論されている具体的な政策の動向を伺いながら、この地域の在り方を共に考えましょう。」というもので、その趣旨に添った講習会を90分行いました。

飯田市を訪問するのは、平成17年の10月以来でした。市町村合併や地方分権の進展、道州制の議論が如何なるものになっても、地域社会やコミュニティをしっかりとしたものにすることこそがこれからはますます重要になる、そのためのコミュニティ・ツールも飛躍的に進展しており、これらも活用してしっかりとしたコミュニティづくりに取り組んでゆきましょう、といった話をしました。ちょうど総務省でコミュニティ研究会を立ち上げたこともあり、その意味では良いタイミングでした。

SNSなどの話をしても、会場の雰囲気はなかなかピントこない雰囲気もありましたが、一定のPR効果はあったのではないかと考えています。長野県の地域SNSのN-SNSのこともご紹介いたしました。

出来れば、飯田市の地域自治組織の取り組みの中で、こうしたツールも導入していただければ有り難いと思った次第です。講習会のあとで飯田市で地域自治組織の担当をされている伊坪薫さんに、その旨改めてお話申し上げました。

ところで、今回は、午前中の講習会であったため、前日の夕方飯田市に入りました。お陰で、牧野光朗飯田市長、市議会の熊谷富夫議長、林幸次副議長のお話をじっくりと伺う機会も得られました。

飯田市議会は折に触れてこうした講習会を主催しているのだそうです。地域のことを自主的に解決していく地域自治組織が出来ると市議会の役割が微妙に変わってくるとの御認識もおありのようで、時代の推移や人々の意識の変化の中で研鑽の機会を出来るだけ多く得ようとの気持ちには頭が下がる思いがします。

講習会の朝、早めに起きて、飯田市議会事務局の遠山昌和さんのご案内で市内を散策しました。大宮神社、飯田城趾のある長姫神社、リンゴ並木などをゆっくりと1時間半ほど歩きました。旧飯田市街は河岸段丘の丘の上にあり、コンパクトにまとまっています。何となく昔住んでいた水戸市の旧市街地に雰囲気が似ているように思えました。

飯田市は昭和22年に大火にあい、市街地が丸焼けになっています。今の市街地はその教訓により、区画整理がなされ、道路も防火帯を兼ね広めに敷かれています。通りがかった路地にふと目をやると、「裏界線」という幅2メートルくらいのまっすぐな狭い道が目に入ってきました。http://www.city.iida.nagano.jp/rikaisen/
070212

遠山さんの話では、避難路や消火用の路地を市内に巡らしたのだそうです。飯田の名物として、現在でも大切に受け継がれています。やはり大きな災害の記憶は世代を越えて受け継がれるのです。

朝の散策を終え、講演会に臨みました。道州制議論の中で長野県と茨城県が同じ区割りに入るのが不自然だとの南信州の方々の意見を承知していたので、「昨日水戸から飯田に来ましたが、東京経由でないと来られません。飯田の人は茨城県や栃木県のことを南東北といった感覚があるようですし、茨城県からしても信州はとても遠いところにあるように思われています」というイントロで話を始めました。お互いに親近感がないのはそのとおりでしょうが、私個人としては、勤務地の茨城県と出身地の長野県が一緒になることにはそんなにも違和感はありません。

講習会が終わって、茅野までお送り頂く途中、伊坪さんと遠山さんと話す中で、南信州と茨城県とは、歴史的に天狗党の乱の際に、飯田地域では、天狗党の隊列に対し、敢えて激しい攻撃を加えなかったということ、満蒙開拓に多くの人々を送り出した南信州から、茨城県の満蒙開拓義勇軍内原訓練所に訓練生が送り込まれているということで、歴史的な接点があるという話になりました。

なるほど、そういう見方もあったなあと。早めにその歴史に気が廻っていれば、講習会の中でもご紹介できたのにと、若干残念に思いました。道州制の議論の中で、過去の歴史を紐解くことは、それはそれでとてもよい副産物だと思えてきました。

どうせなら、「北関東州」の端同志の市議会で、道州制の区割りについて歴史的な観点も含め議論をするといったことも有り得るなあと思えてきました。

歴史的な観点でいえば、飯田から茅野への帰り道は、高速道路ではなく、敢えて、杖突峠越えで、高遠経由茅野を選択しました。これも風林火山の大河ドラマをやっていますが、武田信玄の高遠攻めは杖突峠を越えて行われたので、一度見ておきたいと考えたからです。

幸いの暖冬で、峠にはほとんど雪もなく、よく晴れた日の峠の近くの茶屋から見る、諏訪湖、蓼科山、八ヶ岳は壮大なパノラマでした。杖突峠越えははじめてでした。
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講演会のお呼ばれして、自治意識と歴史と地理の再発見をさせていただけました。天狗争乱、満蒙開拓ともに、60-70年周期の歴史的事実です。また、武田の信濃攻めは、ある意味で領土の広域化であり、道州制議論に通じないこともありません。これらの歴史的事実が道州制議論の中で記憶に蘇ってくることは、不思議でもあり運命的でもあるような気持ちになります。

せめて歴史の延長線上で仕事をしている気持ちになれば、役所の仕事に更に意義を見いだせるような思いがしてきました。

今年の12月には、遠山郷の「霜月祭り」を見に行くことを飯田市の皆さんと約束しました。古式ゆかしい湯立て神楽は国の重要無形民俗文化財です。遠山郷は霜月祭りで集落がまとまっているのだそうです。コミュニティの精神的支柱なのです。


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