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January 05, 2007

日本のインテリジェンス機能

ルドルフ・キッペンハーンの「暗号攻防史」(文春文庫)を読んでいるのですが、ローマ時代のカエサル以来の暗号作成と解読の歴史を、高名な数学者であるキッペンハーンが30年に亘る趣味的研究の成果として書き記したものです。

戦前の日本で活躍したソ連のスパイのリヒャルト・ゾルゲがどの様な暗号を使っていたのか、ナチスドイツの暗号エニグマがどの様に作成され解読されたのか、などが数学者らしく理路整然と書かれており、読み進めていくと自分自身の頭のデフラグを行っているような気分になります。

暗号解読により歴史が大きく変わった局面を、この本により知ることも出来ます。「インテリジェンス」ということは、どの時代でも必要悪なのだということが分かりますが、同時に数学的素養の重要性も理解できます。

「暗号攻防史」をはまだ読了に至ってはいないのですが、新年に本屋で、「インテリジェンス 武器なき戦争」(幻冬社新書)という本が目に入りました。元外務省情報分析官のご存じ佐藤優氏とNHKワシントン支局長などを務めた手嶋龍一氏の対談本です。

何やら「暗号攻防史」のゾルゲの話も頭によぎり、この新書も購入して読んでみました。

この本の言いたいエッセンスは、東京は各国の諜報機関が大手を振って活動しているところであり、容易に情報を手に入れられる国であること、各国は日本発の情報により自国のインテリジェンス機能を強化していること、にもかかわらず日本政府自身はインテリジェンスの機能が弱く、人材も十分育成されていないこと、早期に対外インテリジェンス機関の再編に取りかかるべきこと、のようです。

折しも、2006年12月26日の朝日新聞朝刊によると、政府は、「国家機密情報の漏洩対策に関する「カウンターインテリジェンス推進会議」の設置を発表した。26日に初会合を開き、07年度中に各省庁の機密保全に関する統一基準を設ける。中国・上海の日本総領事館員が中国公安当局から機密情報を求められ自殺した問題などを踏まえ、他国のスパイ行為から守る防諜(ぼうちょう)の強化を図る狙いだ。推進会議は、的場順三官房副長官を議長に各省庁の局長級で構成。情報に触れる職員の範囲や書類管理を厳格にすることなどを検討する。」とのことであり、この本の出版はその意味でもとてもタイミングが良いようにも思えました。

佐藤氏は、この本の中で、「インテリジェンス」の意味を噛み砕いて解説してくれています。
・「インテリジェンス」という言葉は日本語に訳すのが難しいが、その本質を一番よく表しているのが、戦前の陸軍参謀本部が使っていた「秘密戦」だと思う。
・その「秘密戦」を、当時は4つの分野に分けていた。
・1番目は積極「諜報」。これがポジティブ・インテリジェンス。
・2番目がカウンター・インテリジェンス。「防諜」
・3番目が「宣伝」。
・4番目が「謀略」。

尤も、後藤田正晴さんは、「謀略はやってはいかん」と言っておられたようですが、これは言葉の使いようで、「自分たちのやる謀略は「政府公報」とか「ロビー活動」と呼べばよく、敵がやるものを「謀略」あるいは「情報操作」と呼」べばいい、というのが佐藤氏の見方です。

「カウンター・インテリジェンス」と「ポジティブ・インテリジェンス」の違いについて、前者をやる人にはバックに捜査権があり、いざとなったら公権力を行使して力によって封じ込めることができる一方で、後者の人間は逆で、公権力を持った相手の脅威にさらされながらそれを打破するしかない、ということになります。

日本の特高警察とゾルゲの関係は、ちょうどこの対峙する関係にあったということになります。ゾルゲは戦前の日本が活動のフィールドでしたが、今の東京にも20数各国の情報機関がステーションをおいているのだそうです。意外にもヴァチカン市国は隠れた情報大国で、聖職者のネットワークは侮りがたいのだそうです。

そう言えば、「ダビンチ・コード」のカトリックのネットワークは凄かったですね。「暗号攻防史」の中でもルネサンス時代のローマ法王が当代きっての暗号専門家を自分の周りに集め、19世紀になっても法王庁には暗号事務局が存在したことなどが書かれています。

問題は、各国の諜報機関の「縦横な活躍」に日本政府は余り気がついておらず、堆積した良質なインテリジェンスを日本政府が掬い取れないのでは、「フランチャイズ」を生かしていない、ということになるのだそうです。結局、それを活用する「装置」がないからそうなる、ということです。

佐藤氏は、外務省OBながら、外務省に対して相当厳しいことを語っています。例えば、外務省が中国問題で腰が引けているのは、中国とことを構えるのがイヤだからだ、それは仕事と私生活の双方で中国に対する「借り」が大きくなっているからで、弱みを握られているヤツが外務省幹部にいるのでしょうね、とも語っています。

日本がインテリジェンスの機能が弱くなったのは、戦後になって、安全保障を完全にアメリカに依存したことでそれが衰えてしまったということは否めません。明治期には、外交・文事面で非常に高度なインテリジェンス活動を実現していたのだそうです。軍事小国であるほど情報によって国を守る必要があるのだけれども、そうはなっていない、というのが佐藤、手嶋ご両人の一致した認識でした。

ところで、主要国の情報機関の中で知的な要素を最も重視しているのはイスラエルなのだそうです。彼らは常に人員の1/3を大学や政府の研修期間、あるいは諸外国の研修期間に出し、常に知識をつけていく。イスラエルの情報機関の分析官は、大学の教員としても十分通用するレベルなのだそうです。

日本の場合には、そういう発想がなく、手嶋氏は、日本のジャーナリストの例を挙げながら、「焼き畑農業と呼んでいる。燃え尽きるまで使ってポイ。中間研修、ミッドタームキャリアが、この世界にはない」と嘆いていますが、これは日本の公務員を含めてどの分野でも同じ状態なのかも知れません。

国際的なインテリジェンスの世界には一種のサロンがあり、特定の案件に関して、打てば響くようなネットワークが利害が対立する国も含めてあるのだそうです。しかし、日本にはそういうネットワークがないのだそうです。

長期的視点から、この分野の人材育成がとても大事だというのがこの本の結論でした。

ところで、佐藤氏も手嶋氏も日米関係が日本の平和にとって機軸だということは繰り返し語っています。問題は、日米同盟であるならば、日本が米国の意思決定に参画できるようにならなければダメだ、そのためにも独自のインテリジェンスの機能を高める必要がある、ということになってくるのだと思います。

手嶋氏は、アメリカを支持する我が国の説明として、麻生太郎外務大臣の言葉を誉めています。麻生大臣は「国連がヤンキー・スタジアムだとすれば、米軍は松井を擁するメジャー最強のヤンキースだ。ヤンキー・スタジアムとヤンキースのどちらを同盟の相手として選ぶかと言われれば、迷わずヤンキースそのものだ」と語られたのだそうで、有事に同盟の相手に後ろ姿を見せるべきではない、ということを説明するギリギリの喩えであったとの解説付きでした。

さて、今後、政府の国家機密情報の漏洩対策に関する「カウンターインテリジェンス推進会議」の設置以降の動きも気になるところです。

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