硫黄島玉砕映画を見て
夫婦50割引という、映画鑑賞のお得な制度をはじめて活用し、妻と今評判の「硫黄島からの手紙」を見に渋谷に行って来ました。
評判通りの力作で、改めて、硫黄島を巡る戦闘の激しさを再認識しました。
この戦闘の結果、米国軍は、日本本土爆撃の拠点を得、また本土爆撃から戻る爆撃機の安全確保の拠点として、重要な拠点確保を為しえたのです。
ウィキベディアによれば、米軍にとって、硫黄島は以下の理由により戦略上の要衝だったのだそうです。
・1944年夏、アメリカ軍はマリアナ諸島を攻略し、11月以降B-29による日本本土への長距離爆撃を開始。
・しかし硫黄島は日本本土へ向かうB-29を無線で報告する早期警戒拠点として機能し、マリアナ諸島からの出撃では距離の関係上、護衛戦闘機が随伴できなかった。
・また、 日本上空で損傷を受けたり故障したB-29がマリアナ諸島の基地までたどり着けず海上に墜落することも多かった。
・しばしば日本軍の爆撃機が硫黄島を経由してマリアナ諸島の基地を急襲し、地上のB-29に損害を与えていた。
そこで、「アメリカ統合作戦本部は、日本軍航空機のサイパンへの攻撃基地の撃滅、硫黄島レーダー監視所による早期警報システムの破壊、硫黄島を避ける為の爆撃機の航法上のロスの解消、損傷爆撃機の中間着陸場と長距離護衛戦闘機の基地として、硫黄島の占領を決定した」のだそうです。
実際に、「硫黄島の奪取によってアメリカ軍は日本本土空襲の為の理想的な中間基地を手に入れることになり、終戦までの間に2,251機のB-29が硫黄島に不時着、それにしても延べ2万名以上の乗員の生命が救われた」とされているのだそうです。
この硫黄島の作戦司令官が栗林忠道中将で、この方は長野市出身の方です。長野県では、この映画が切っ掛けとなり、栗林中将ブームが起きています。悲劇の主人公が一躍脚光を浴びているのです。映画の中で、硫黄島守備隊を激励するために、栗林中将の出身地の長野市の子供達の合唱がラジオで流される場面も出てきます。
しかし、この映画から受け止めるべき教訓は何なのか、迷ってしまいます。戦争に翻弄される純真な人々の運命の悲劇、と言ってしまうには余りにも重い映画です。
事後評価からすれば、本来ならば、硫黄島の玉砕が決まったときに戦争を止めておけば本土空襲や原爆投下はなかったでしょう。もっと言えば、レイテ沖海戦で連合艦隊が壊滅ことをもって敗戦を決断すべきだったのでしょう。
しかし、ものごとはトコトンまで行かないと決断できないということは、他の戦争事例を見ても同じです。いや、戦争事例だけではなく、組織内の軌道修正は、よほどのことがないと叶いません。間違いを当事者である自分たちで認めることは断じて出来ない。栗林中将でさえ、「最後の一兵まで戦い抜く」と部下に命じます。
その意味では、(情報公開が行き届いた)民主主義というのは、有権者が冷徹に判断してくれるから、当事者は納得できなくても軌道修正を可能にするので、無謀な戦争の抑止にも有効な仕組みなのかも知れません。
栗林中将が、「硫黄島が持ちこたえた分だけ、本土への空襲は繰り延べられる」、と考えたことは分かりますが、負けると分かり切った戦争を徒に長引かせたことは、却って傷を深くしたということは、歴史の証明するところです。
この映画の意義は、硫黄島の玉砕にどの様な意味があったのかを、今の日本人(あるいはアメリカ人)に自分の頭で考えさせるところにあるように思えてきます。
本当は、この映画は、イラクとかイスラエルとか北朝鮮でも放映すべきなのです。人間は何度愚かなことを繰り返しているのか、どうして教訓を学べないのか、を彼の地でも訴えるべきなのです。尤も、栗林中将のように悲劇の英雄になりたい、と、誤解する人が少なからずいると、この映画も逆効果になりかねないかも知れません。
女房も私も、映画を見たあとは、押し黙って帰ってきました。でも、また良い映画は一緒に見に行こうと思っています。家に帰ると、サダム・フセインの死刑執行のニュースが流れていました。
年末年始に、今一度、「失敗の本質」でも読んでみようと思っています。
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