« 茨城租税債権管理機構の成長・進化 | Main | 防災教育ノウハウの着実な蓄積 »

October 22, 2006

鬱屈した中世庶民感情が生んだ「ハーメルンの笛吹き男」伝説

歴史学者の阿部謹也先生がこの9月4日に71歳で亡くなり、30年ほど前に書かれた「ハーメルンの笛吹き男」で著名だと新聞で一斉に紹介されていました。

恥ずかしいながら、私は阿部謹也先生のこの本を読んだことがなかったので、早速、目黒区立図書館で借りて読んでみることとしました。
061007_21120001

1284年6月26日にハーメルンの町で130名の子供達が行方不明になったという歴史的事実が、なぜ今日まで語り継がれる物語となったのか、多くの歴史上の論争を紐解きながら、阿部謹也先生なりに分析している労作でした。

この物語が語り継がれるようになった時代背景について当時の庶民の生活の実態を丹念に分析しながらの論述は、読者をしてドイツの中世の庶民生活に引き込ましむる勢いがあります。

130人の子供の失踪伝説は、ある時期から鼠取り男の復讐伝説として広まっていったと推論し、その歴史的背景として、災害や戦乱とうちつづく理不尽な諸悪の犠牲者となっていた一般庶民が、怒りや非難を向けて恨みを晴らす手段も組織もない中で、その気持ちを何らかの形で表現していったものであると推論しています。

すなわち、130人の子供の失踪事件という父祖の時代の悲しみの記憶である「古伝説」が、その後の中世から近世にかけての厳しい災害や戦乱の歴史の中で、自らに責任がないにも拘わらず自然的・人為的災害に苛まれていた庶民に、ある時期、その責任の所在を追求する意識を芽生えさせとしています。

要は、その意識の高まりにより、当初の「笛吹き男と130人の子供の失踪伝説」が、鼠取り男に市参事会が約束の報酬を支払わなかったために、子供達と貧しい親たちがその償いをさせられたという、「鼠取り男と市参事会の裏切りの伝説」に転化していったと推論しています。

阿部氏は、自らの説の背景を、差別の中で生きる中世の庶民の生活を丹念に描きながら説明していますが、この点で、他の日本の歴史家が政治や経済の歴史分析に傾いてきたのとは180度異なる手法を駆使したものとして注目を浴びたとされていますが、読んでみるとなるほどと思います。

中世においては、飢餓、不作、疫病による人口の絶対的減少に加え、難民の流浪によっても一定地域の人口は急速に減少していったのだそうです。オランダにおける飢餓と疫病、洪水は東ドイツへの移民を生み、十字軍と飢餓の間にも密接な関係があったと書かれています。

鬱屈し、疲労しきった日常生活の中で、屈辱に耐え、貧困をしのんで日々を送っていた庶民は、復活祭の際にユダヤ人襲撃をして鬱屈のはけ口を求めていったという記述には驚かされます。ユダヤ人は一般的に高利貸しとして貧民の憾みの的であったものが、復活祭の日に、人々がキリストの受難の苦しみを口にする度に、キリストを迫害したユダヤ人と高利貸しとして庶民の日々の暮らしを苛んでいたユダヤ人が重なり合い、ユダヤ人襲撃へとエスカレートしていったのだそうです。後の世のナチスによるユダヤ人迫害は、ナチスの時代だけの特有なものではなかったようです。

女性の地位が中世非常に低かったことも具体的に書かれています。男子の死亡率が高い中で常に女性の数が男性よりも多い状態があり、特に下層の女性達の絶望的な生活の有様が描かれています。

笛吹き男に代表される遍歴楽師への社会的差別についても書かれています。のちのモーツァルトの時代になると、だいぶ楽師の地位は上がっていたのでしょうが、それ以前のローマ帝国時代にまで遡る遍歴楽師の来歴も丹念に書かれています。

高校生の時代に学んだ「世界史」や大学生の教養学部時代に勉強した「ヨーロッパ政治史」の世界とは全く異なるアングルで、欧州の歴史文化の一端に接することが出来たような思いに浸れた秋の夜長の一時でした。

ちょうど本を読み終えた日(10月20日)の日経新聞の夕刊に、文化部の郷原信之記者が書いた阿部先生の追想録が掲載されていました。それによると、阿部先生は、父親の死で窮乏生活を強いられる中、戦後まもなく預けられたカトリック修道院での生活が欧州への興味をかき立て、欧州世界を研究する切っ掛けとなったと書かれていました。

思想形成過程の若い頃の思いは、その後の人生に重大な影響を及ぼすことがよく分かります。

|

« 茨城租税債権管理機構の成長・進化 | Main | 防災教育ノウハウの着実な蓄積 »

Comments

 ハーメルンの笛吹男の伝説は、様々な形で世界中の人々の心を捉えてきましたが、意外な小説でも引用されています。
 L.M.モンゴメリーが書いた「赤毛のアン」の続編「虹の谷のアン」及び「アンの娘リラ」では、第1次世界大戦が勃発し、アン(既に子供を持つ母親)を取り巻く青年たちが、欧州の戦場へと駆り立てられる情景に、このハーメルンの笛吹男の伝説が引用されます。ハーメルンの笛吹男の伝説が長期にわたって魅了してやまないのは、子供をひきつける魔力と、子供がもともと持つ冒険心、そして、それに対してなにもできない大人の無力ということなのかもしれません。

Posted by: シュタイントギル | April 22, 2007 at 07:51 PM

TB有り難うございました。阿部氏の著作は実に面白く勉強になることが多いですね。きちんとした裏付けのうえに学者としての態度と人間としての人柄までうかがえるようでいろいろな本を読めば読むほど、惹かれてしまいます。亡くなられたのが非常に惜しい方でした。

Posted by: alice-room | October 23, 2006 at 12:50 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/12370556

Listed below are links to weblogs that reference 鬱屈した中世庶民感情が生んだ「ハーメルンの笛吹き男」伝説:

» 「ハーメルンの笛吹き男」阿部 謹也 筑摩書房 [叡智の禁書図書館]
ハーメルンの笛吹き男―――この伝説を知らない人はいないのではないでしょうか?鼠を退治した笛吹き男に、約束した報酬を支払わなかった為に子供達が連れさられてしまう神隠しのようなお話ですが、私は漠然とグリム童話かその類いと思っていました。青髭伝説みたいにその由..... [Read More]

Tracked on October 23, 2006 at 12:47 AM

» ハーメルンの笛吹男と「赤毛のアン」の子供たち [シュタイントギルの生き方]
 ハーメルンの笛吹男は、ドイツ中世の悲しい伝説であるが、なぜこの伝説は世界の人々を魅了してやまないのであろう。  時代背景や、歴史事実の分析については、昨年亡くなられた阿部謹哉先生の著作が詳しい(http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2006/10/post_7c91.html でも紹介) が、L.M.モンゴメリーの著作、「赤毛のアン」シリーズでも、「虹の谷のアン」及び「アンの娘リラ」の中で引用されている。赤毛のアンも、この作品では多くの子供...... [Read More]

Tracked on April 22, 2007 at 08:14 PM

« 茨城租税債権管理機構の成長・進化 | Main | 防災教育ノウハウの着実な蓄積 »