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October 09, 2006

「畢生椀」の思想とドロシー・ロー・ノルト

晴天の秋晴れの日曜日の午後、女房を誘って日本橋高島屋の手塚英明さんの個展を訪問してきました。

ちょうど家族で使う漆のお椀が欲しいということで、少し贅沢ではありましたが、求めにうかがいました。手塚さんも会場で顧客の相手をしていらしゃいました。061008_14360001

「畢生椀(ひっせいわん)」という手塚さん命名のお椀のうちの一種類を3つ購入しました。以前購入したものは飯椀で今回は汁椀でしたので、これからはご飯とみそ汁を漆椀で楽しめます。女房の料理の腕もますますしなることでしょう?!

ところで、高島屋の会場で手塚さんから畢生椀の思想をご教授いただきました。「人の年齢によってピッタリとするお椀の大きさがある。試行錯誤の上、6種類の大きさのお椀を作り上げた。子供時代に使ったお椀は、高齢になったときにまたお椀として使える。途中は小鉢などにして使い続ける。使う人の一生を見守り続けるお椀という意味で、畢生椀と名付けた。お箸も畢生箸を用意している。」

漆器のお椀は使っているうちにすれたり傷が付いたりするのだそうです。しかし、漆器は修理することで生き返るのだそうです。漆器の器を使うことで、子供のうちからものを大事にする心を養うことにもなるのです。

ところで、手塚さんの近くの楢川小学校は、この漆器の容器を使うこと、学校自体が総檜づくりであること、ランチルームがあることなどで全国に知られています。
http://www.konoha-house.com/nakasendo/sch018.htm 楢川小学校
http://www.cnet-kiso.ne.jp/n/narasho/rantiruumu1.htmランチルーム
http://www.cnet-kiso.ne.jp/n/narasho/漆塗りの食器.htm

塩尻市に合併した旧楢川村は人口3500人の小さな村でしたが、漆器産業が基幹産業で、手塚さんのいる木曽平沢地区は、まち全体が漆器の町です。それを村づくりに止まらず、子供の教育にも伝承する試みが継続されているということでした。

手塚さんによると、楢川小学校では3年生から漆塗りの学習の時間がある、この授業は20年以上続けられている、漆器に携わる父兄や地域の伝統工芸士が漆塗りを教えている、授業では新品を作るだけでなく給食で使われている自分たちの漆塗り箸を自分で塗り替えることも行っている、のだそうです。そして、村内のすべての小中学校で使われている給食食器は、すべて木製の漆塗りで、子供達からは、「ご飯がおいしい」、「給食の時間が楽しくなった」、先生や親御さんからは「食器を大切に使うようになった」との感想が寄せられているのだそうです。

この給食食器は、手塚さんも開発段階から関わり、木曽地域地場産業振興センターが開発したものなのだそうです。持ちやすさ、安定感、重さ、サイズ、内容量、メニューに対応したセット構成、汚れの落ちやすさ、スタッキングできる形状、洗浄方法、メンテナンス性、殺菌方法などに配慮して開発したのだそうです。この食器は、1999年度のGマーク商品にも選定されたとのこと。

お話の中で手塚さんからとても重要な指摘がありました。「世間を知らない(楢川の)子供達にとってこの給食食器は、今は当たり前のものかも知れません。しかし、子供達が成長し、この地域から出て外の世界を見た時、食器を通じて子供達に豊かな心と自然との共生を伝えたい、という地域の方々の温かな心を知り、大切に育てられたのだということに気づいてくれるでしょう。」

この言葉を聞いて、思わず思い出したのが、ドロシー・ロー・ノルト女史の「子どもの詩」でした。以前、文藝春秋の2005年5月号の「皇太子殿下と『子どもの詩』」という論評の中で、東大の神野直彦教授が、皇太子殿下に、スウェーデンの教科書「あなた自身の社会」に掲載されているドロシー・ロー・ノルト女史の「子どもの詩」のことをご紹介された旨をこのブログでも取りあげました。http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2005/04/post_1302.html#more

神野教授は、「日本の社会は社会的病理現象に苛まれているが、その原因はコミュニティの崩壊にある」と断じ、「それは他者を敵として憎悪する市場経済の競争原理を、人間の社会のあらゆる領域に対して、野放図に適用した結果だ」と指摘され、その上で、この「子どもの詩」を掲げ、「子供達に人間の秤、愛情、思いやり、連帯感、相互理解の重要性を考えさせているのに対し、効率のよい勝者が効率の悪い敗者を駆逐するから社会が発展すると信じられている日本では、人間が協力し合うよりも、他者を蹴落し、競争で勝者になることの大切さを、子供達は教えられている」、と嘆いておられました。

以前にも掲げましたが、その「子どもの詩」は次のとおりです。

<子どもの詩>
批判ばかりされた 子どもは
 非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
 力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
 ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる
しかし、激励をうけた 子どもは
 自信をおぼえる
寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
 評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
 公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
 親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
 信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
(「あなた自身の社会-スウェーデンの中学教科書」=新評論刊)

大切に育てられた子供は、自分自身が大切にされた記憶を次の世代にも伝承していくのです。旧楢川村の、「食器を通じて、地域の子供を大切に育てたい」、という実践をみると少し気持ちが和らぐような気がします。

ちょうど台風一過の前日、目黒川の畔の風景がとても綺麗で思わず写真に収めました。
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風もなく、空の青さが目黒川の水面にそのまま映っていました。風があったりするとなかなかこうはなりません。子供達の心は、目黒川の水面と同じように、ひょっとしたら世間の風潮を反映する鏡なのかも知れません。

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