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September 23, 2006

人口減少社会の政策対応

9月22日の夕方、政策研究大学院大学教授の松谷明彦氏のお話を省内の関係者で伺う機会がありました。松谷教授は、人口減少社会を見越した社会構造の変革の必要性をかねてより強く主張され、今回も、「人口減少社会への政策対応」という表題での講演を伺った次第です。

それぞれの国の社会構造のあり方は、根本的には人口構造に規定されるものであることはよく知られています。経済発展・衰退の要因も、戦争の要因も、人口の有り様によって変わってくるものであることは、つとに指摘されることです。「中世西欧の貴族の次男以下が十字軍に参加したのは、彼らが自立するための領地を渇望してのことであった」、「東方遠征に失敗した連中が一家子孫の繁栄の夢を託したのが、新大陸アメリカの発見に至る死と隣り合わせの冒険航海と侵略であった」(藤正巌、古川俊之)、という見方もあながち嘘ではないように思えますし、戦前の日本の中国大陸進出の背景には、人口膨張の日本国民を養わなければならないという思いもあったはずです。

さて、2005年に「有史以来」構造的な意味での人口減少に転じた日本の人口減少傾向はどうなるのか、それを前提とした日本経済はどうなるのか、福祉や財政といった社会制度のあり方をどう考えたらいいのか、というのが、松谷教授の講演のメインテーマでした。

結論から言うと、少子高齢化の動きの結果人口減少は止めようはないが、その元でも持続可能で豊かに暮らせるシステムは構築可能で、今からその準備をしておかなくてはならない、という内容でした。

(人口減少は回復できない)
2005年に始まった人口減少は、死亡者数が急増し、出生者数を上回ったからで、今後の四半世紀以上にわたり、団塊の世代および団塊ジュニアの高齢化と死亡者増により、人口減少が急激に拡大すると松谷教授は分析しています。死亡者数の増加は、人間の寿命が来ることにより避けがたいのですが、少子化対策で出生者数を増やせば人口減少を食い止められるのではないか、との問いに対しては、松谷教授の答えは、「不可能だ」というものです。

理由は簡単で、出生者数の低下は出生率の低下によるのではなく、出生可能な女性人口が急激に減るからだ、と説明しています。2000年に1300万人を数えた25歳から39歳の女性の数が2030年には800万人へと減少し、何と30年間で500万人も子供を生んでくれそうな人が減るのだそうです。これは確実に予想できる数値なので、操作できる数字ではありません。多少出生率があがったとしても、母数が激減する中では、焼け石に水というのが実際のところです。

つまり、これからの四半世紀を見越した場合、急激な人口減少を大前提に考えなくてはならないというのが、議論の出発点になると、松谷教授は説きます。

(少子化で何が問題か)
現在の議論は、少子高齢化で人口が減少すると現在の経済システムが成り立たなくなることから問題提起が行われていますが、それではいったい子供は何のために必要なのかという点が問われることになります。松谷教授は、そもそも人口増加がなければ成り立たないようなシステムこそ問題であり、改めるべきはそのシステムであり、子供の数を今のシステムにあわせるのがむしろおかしい、と結論付けます。

地球環境の側面から見ると、人類の数は既に飽和状態で資源の枯渇が心配される局面にあり、環境的視点から言えば、人口減少はむしろよいチャンスで、やや運命論敵かもしれないが、どちらかと言えば、これにより人類の将来が救われると考えたほうがよい、と論じます。

一方で、少子化対策自体は社会政策としては必要であるものの、あくまでも子供をもうけるか否かは個人の自由な選択に委ねるべきで、その結果子供が増えればよし減ってもよしという態度が賢明な態度だと論じます。戦前の埋めよ増やせよの時代に省みての反省もあるのです。

もともと、急激な少子高齢化が生じたのは、昭和23年施行の優生保護法により人工妊娠中絶が認められたことによるというのが定説です。昭和30年から昭和45年の高度経済成長時代、子供が2人以上いる家庭では出産の抑制は人工妊娠中絶によって行われ、この時代の人工妊娠中絶数は出生数の6割を超えていたとの推計もあります(「ウェルカム・人口減少社会」文春新書)。

松谷教授は、もともと今日の人口減少社会の到来は、50年以上も前に政府自体が行った政策が原因で招来したものであり、またそれに人為的に手を加えること(たとえば外国人労働による対応)は、後年度別の観点で問題を生じうると警告しています。あくまでも人口減少社会に対応した経済社会システムの変革を目指すべきだというのが松谷教授の主張です。

(経済縮小という結果にどう立ち向かうのか)
人口減少により、経済は縮小に向かう可能性が高いことは、松谷教授に指摘されるまでもなく、常識的なことでしょう。松谷教授は、その縮小の原因は、需要の減退ではなく、労働力の減少による供給能力の減少により必然的に起こるものだと説明します。労働力の減少が生産性の向上ではカバーできない規模で起こることで経済が縮小に向かうという説明です。

その上で、松谷教授は、そのこと自体を問題視すべきではないと主張します。ドイツはGDPが日本の半分、フランスは2/3だが、国際的な立場が経済規模を反映しているとは到底思えない、むしろ一人当たりの国民所得で考えるべきで、それが先進国の象徴であると論じます。

その一人当たりの国民所得ですが、松谷教授の予測では、2010年代に国民所得自体はピークを迎え、2030年に国民所得は2000年のそれに比べ15%程低下し、370.3兆円が314.6兆円になるものと計算しています。しかしながら、一人当たりの国民所得で見ると、ほぼ横ばいを維持し、今後の30年間は現在の世界最高のper capitaベースの所得を維持できると見込んでいます。

「それでは困る、成長拡大が必要だ」という意見に対しては、次のように反論しています。

・日本経済のマイナス成長を解消する処方箋として考えうるのは、①生産性向上、労働生産性向上により成長拡大を目指す立場、②高齢者、女性の就労を促す立場、③外国人労働者の積極的受け入れにより対応する立場、が考えられるが、このいずれの対応によっても日本経済のマイナスは解消できない。
・①の更なる生産性向上は、教授の計算では、昭和55年から15年間並みの生産性向上が続く前提で計算してもなおマイナス成長になるという結果が出る。政府の経済財政諮問会議では更なる成長を見込んでいるが、一体どんな生産性向上を見込み今後の日本経済の成長を予測しているのか教授の視点からは見当がつかず、非現実的な想定だと考えざるを得ない。
・②の高齢者、女性労働の活用は、労働力減少の歯止めには到底なりえない。2030年には総人口は2000年の人口比で14%減少し、10,790万人になるものと見込まれるが、生産年齢人口はその減少をさらに上回る27.8%の減少、労働力人口も19.2%の減少が見込まれる。女性就業率を目いっぱい見込んだ数字がこの数字であり、高齢者、女性の就業率を上げても労働力人口の減少はもはや止めようがない。
・③の外国人労働力に頼る選択肢は、日本の今後の急激な労働力減少が日本特有の人口構造の必然的結果であることを考えると、難しい選択肢だ。労働力の谷間の世代を埋めるような理想的な外国人労働力導入はありえないし、仮に入れるとしても、現在の労働力水準を維持しようとすると、2400万人の外国人労働力導入という非現実的な対応になる。外国人労働力にいったん頼り途中で停止したドイツの例を見ると、将来の禍根になる。その外国人労働力が日本国内で高齢化したときに、その面倒を見る世代はまだ生まれていない世代で、現在の便益のために負担を後の世代に送るという意味では、外国人労働者問題は「国債」に似ている。

結局、松谷教授は、経済の縮小前提で経済システムを組み直すほかはないと、結論付けます。

(機械化・ロボット化で生産性はあがらない)
生産性向上に関しては、機械化ロボット化でカバーできるではないかとの指摘があります。この主張に対して松谷教授は、日本経済は既に過度の省力化投資により、省力化投資の資本収益率が落ちている。いわば効率の悪い投資が行われている。そもそも生産性向上には、機械とマンパワーのほどよいバランスが必要だが、日本は必要以上の機械化でかえって不効率になっている。これ以上の機械化は企業財務が持たない、と論じます。

高齢者・女性労働の更なる活用の前提に、技術進歩を活用すべしとの論があることに対しても、作業能率の落ちるマンパワーのために、新たな投資を迫られることは国際競争力上戦えない。人口構成が若い諸外国は、こうしたマンパワーの作業能率劣化のための投資がそもそも不要なのであり、科学技術の進歩による生産性の向上も、人口の高齢化という労働環境下の作業能率低下により減殺されてしまう、と悲観視しています。

尤も、松谷教授は、高齢者、女性の労働力活用を否定しているわけではありません。社会政策としてそのことは必要ではあるが、経済政策としてこれを労働力として過度に評価することに懐疑的なのです。技術進歩に過度な期待を寄せることは、「気合」で仕事ができると考える以外の何者でもないと、断じます。

(既に高い高齢者就業率)
年をとっても働ける環境整備は社会政策として必要だけれども、労働力としての「活用」というにはやや問題があるというのが松谷教授の認識の裏付けデータとして、日本では高齢者の就業率が実は既に異常に高く、30%に達しているとの数字を紹介しています。フランスが2%、ドイツが4%、米国が18%であるのに比較し、既に高いと指摘しています。

働きたくて働いているならば問題ありませんが、年をとっても働かないと生活していけないということであれば、これは幸せな社会なのかどうか、考えさせられる、ということになります。

(薄利多売から利益重視の経営に)
では、縮小均衡の経済社会を前提に、企業はどのような経営戦略をとったらよいのか、政府や自治体はどのような制度改革を行ったらよいのか、が問題になってきます。

松谷教授は、企業経営のスタンスとして、薄利多売はもはやビジネスモデルとしては維持できない、利益重視の方向に転換することで、ほとんどの問題は解決すると指摘します。

従来は企業はコストカットで利益率の確保を考え、そのためにはスケールメリットを生かした経営戦略を立ててきたが、このスタイルはいずれ行き詰まる。むしろ、販売価格を上げられるように、付加価値の高い製品、商品の特色、品質で諸外国に真似のできない商品開発が必要で、そのために製品開発力、基礎研究重視の経営戦略への転換が不可欠になっていると指摘します。

そのような基礎研究などにあたっては、日本人だけであたるのではなく、優秀な頭脳を諸外国からも求め、日本人研究者と切磋琢磨できるように考え方を変えていかなければならない。もともと日本人研究者、技術者のレベルはとても高いが、外国人との間で揉まれることがないため、その点が不足している。この点は米国企業や大学のの外国人活用の例は模範である、との指摘は実感のこもった話です。

(若年労働力減少に対応した日本型産業構造改革の必要性)
利益重視の経営のためには、産業構造の大幅な転換が求められます。現在は、生産性の高い産業には、若い人しかいない、というのが現状です。その産業(IT、金融、ハイテク製造業など)の技術構造がそうなっており、年配者は入り込めないということです。松谷教授は、この若い労働力が、これからの30年で42%減少する(20代-30代の労働力)とし、若い労働力不足によりその人件費が上昇し、国際競争力のネックになりかねないと指摘します。産業構造改革とは、労働力の年齢構造変化に対応したシステムのことなのです。

ところで、米国流のシステムは、彼の国が若年労働力が豊富であるという社会構造にあることから、日本のシステムは米国流では不都合が生じると指摘しています。その意味で、米国流市場経済主義をモデルに、構造改革を急ぐ政府に対して、若干の警鐘を鳴らしているとも受け止められます。

(年金制度は維持可能か)
松谷教授は、日本の年金制度が安定的維持ができないと、厳しく見ています。厚生労働省や国立社会保障・人口問題研究所の人口推計は、最も簡単であるはずの人口推計を、これまで過大推計により外してばかりだ、と批判しています。たまたま9月23日(講演の翌日)の朝日新聞によると、これまでの5年後との人口推計に加え、「少子化対策の効果が上がった場合を想定した目標としての新たな人口推計を作る方針を固めた」と報道されていますが、松谷教授がこの記事を見て、「また問題の先送りを行おうとしている」と思うのは確実だろうと想像しました。

さて、松谷教授は、もともと年金は、高齢社会でないときに成立する制度で、欧州でうまく行っているのは、高齢化のスピードが緩やかで、年金改定が10年から20年に1回の欧州と、5年に1回改定され、その都度年金が切り下がる日本とでは、年金に対する信頼感に大きな差が出ると指摘しています。

「働く人から高齢者への所得移転」という方式は早晩成り立たなくなり、これからは考え方を変えて、高齢者の生活コストを下げるような政策を打っていく必要があると主張します。

(生活コストの引き下げが必要)
高齢者の生活コスト引き下げの例として、松谷教授は、安い公共の賃貸住宅を大量に作ることを提案しています。日本では住宅は社会資本として認識されていないが、廉価で品質の確保された住宅が提供されることで、高齢者の生活は安定すると指摘します。

まちづくりに関しても、欧州のスクウェアーのように、高齢者が有意義に時間を過ごせる空間整備が必要だと。日本にも最近広場はあるが、都市再開発でできた広場は、周りがショッピング街ばかりで、金を使わないで過ごせる広場が圧倒的に不足していると指摘しています。

フローの給付からストック重視のシステムへの転換が必要だという指摘です。

(社会福祉の考え方)
松谷教授は、労働力率の上昇があったからこそ、社会保障給付の急激な拡大が可能となったと認識しています。逆に言えば、労働力が落ちる局面では、社会保障は拡大は無理で、「福祉と言えども時代を超えた絶対的な善ではない」という認識になります。

人口増加時代の「一こま」に福祉という制度が「徒花(あだばな)」を咲かせた、と捉えるべきと指摘します。その観点から、過剰サービスを見直し、自分でできることは自分でやるという原点に立った歳出の見直しが不可欠だと結論付けます。

労働力の減少は、税収の減少にも必然的に結びつきます。増税を前提としない場合には、一人当たりの歳出を横ばいにする努力が求められ、そのためには大幅な支出構造の転換が必要だ、と結論付けます。

安易な増税に頼ることは、必要な歳出構造の見直しを抑制することにもなり、とるべきではないというのが、松谷教授の見解です。

(日本経済のピークアウトに備えて今から準備を)
松谷教授は、今すぐに経済縮小を前提の経営に転換すべきだ、とまでは言っていません。経済のピークアウトに備え、今から準備をして、切り替えのタイミングを想定しておくことが重要だという認識です。

確かに、現在経済が拡大しているのに、規模縮小では、それこそ国際競争に負けてしまいます。福祉や財政の制度設計も、長いスパンで考えた場合にどのような方向性でものを考えたらいいのかと、そういう視点を持つことが重要です。

松谷教授の分析と処方は、そのまま正面から受けとめることに関しては、いろんな議論がありえますが、大きな方向性の指摘としては正しいものがあると思われます。我々自身の仕事や今後の自らの生活設計に生かしうる貴重なお話でした。


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Comments

 松谷教授の提案は、まさに我が意を得たものです。現在の
大量消費型資本主義社会は、地球全体のキャパシティという
壁に当たって、今世紀前半のうちに姿を消すと思っている私
にとっては、少子化とそれによる日本の人口減は今後の自給
自足社会の到来に備えた必須事項だと考えています。

 成長基調から縮小基調へのソフトランディングを目指す為
に、喫緊で手をつけなければいけないのは「年金の賦課方式
から積立方式への即時完全移行」です。具体的な方法として
は、年金受給金額を各人の支払い実績に応じた積立方式に改
め、基金の不足分は全額日銀引受の特別国債(つまり「お金
を印刷する」)で賄うこととします。

 年金基金の不足分は、今後35年にわたって発生するので、
日本円に対する長期インフレ圧力として働き、デフレ解消効
果と円安誘導効果が期待できます。年金受給額が積立実績か
ら算定できるようになるため、現在の若年世代による年金不
安を解消して勤労意欲を向上させる効果も期待できます。


Posted by: Escher | September 29, 2006 at 06:20 PM

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