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September 18, 2006

安曇野の稲刈り

5月の連休の田植えを手伝った農家の百瀬卓雄さんから、稲刈りをするので帰省がてら手伝いに来ないかとお誘いがありました。http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2006/05/post_9d04.html#more
自分の植えた稲がどの様に実っているかを確認したい気持ちもあり、お誘いに乗りました。

台風13号による天気が心配でしたが、特急「スーパーあずさ」に乗って松本乗り換え、松本電鉄上高地線の三溝駅で降り、現場に向かいました。出発時にハプニングがありました。「あずさ」の回数券を買っておいたのでそれを使おうと思ったのですが、何と、「お客さん、これ期限切れです」と緑の窓口の係員に言われたことです。何と、一週間前に3ヶ月の期限切れになっているではありませんか。4枚の回数券が、使われることもなく、無駄になりました。少しショックでした。これもボケかなあなどと思いながら、気を取り直して列車に乗りました。

百瀬さん宅では、既に稲刈りが始まっていました。大型コンバイン2台を使って、百瀬さんの息子さんと百瀬さんの奥さんが、甲斐甲斐しく働いています。私は、あのような大型機械は扱えません。田圃の端で、為す術もなく眺めているだけです。コンバインは、それぞれ5条刈り、6条刈りの優れもので、それぞれ1100万円、1300万円する機械なのだそうです。米により機械の元を取るのは容易ではないようです。

大型機械を個々に持つのは不経済なので、何処かにプールしてリース活用すればよい、という見方がありますが、百瀬さんに言わせると、「それは素人の言うこと。地域が一斉に稲刈りをするのに、それをリースだ何だと言ってもリース会社は機械をそんなに沢山持てない。機械を個々の農家で持たざるを得ないのは、時期が極端に集中する稲刈りの宿命だ。」とのことでした。

Photo
私は、稲刈りを行っている場所から少し離れた田圃に行って、5月の連休に植えた稲が実っているか見てきました。田植機を見よう見まねで植えた記憶が蘇ります。少し稲のラインが曲がりましたが、稲が大きくなってみるとそのことは外からは見分けがつかない状態で、しかも幸いなことに稲は倒れることもなく、豊かな実りを蓄えていました。あぜ道を歩き、イナゴがザワザワっと稲に隠れるのを見ると、イナゴ取りをした昔が思い出されます。私が植えた田圃は、餅米用の稲で、収穫はもう少し後になるのだそうです。

田圃によっては、稲が倒れているところがあります。やはり稲作をやっている方の話では、「あれは肥料のやりすぎ。肥料は多ければよいというものではない」とのことでした。毎年、稲が倒れるところとそうでないところがあるようです。農家によっても技術力の差異があるようです。流石に専業農家の百瀬さんの稲は、倒れているところは一箇所もありませんでした。

ところで、コンバインで稲刈りをしている田圃と農道の間が、7-8メートル空き地になっていました。農道沿いの両側がずっとそうなっています。百瀬さんによると、「県庁が上高地に行くバイパス用に買収したが、工事をストップしたので空き地になったまま放置されている」、とのことでした。殆どの用地買収が終わっているものの、県の公共事業のストップで、優良農地が買収されたにもかかわらず道路用地にも活用されないまま放置され、県費で無意味な草刈りが行われているのだそうです。中途半端が最も無駄を生むという典型例です。農家の人にとっても、供出した農地が無為に空き地で放置されているのはたまらない気持ちになるようです。今では、当時の田中知事に、道路拡幅反対の要請を行った一部の地主の方も、今は何とか工事を進めてもらいたいと態度を180度変えているようですが、これからどうなることやら。

刈り取った稲は、田圃で籾だけにされ、稲藁はその場でくだかれ田圃に戻されます。籾は、百瀬さんの家の近くの乾燥施設でゆっくりと乾燥機にかけられます。トラックから籾が荷下ろしされる際に、イナゴが沢山混じっているのが見えました。何匹か、乾燥機に送り込まれる前に救って放してやりましたが、イナゴは、コンバインに巻き込まれた際のショックか、フラフラで手にとっても逃げようともしません。腰を振ってまるで夢遊病者のようです。少し時間がたてば元に戻るのでしょうが、イナゴにとって現代の田圃は、機械化により命の危険がある食卓なのです。

夕方、梓水苑という梓川の畔の保養所で、百瀬さんの知り合いの方々と、懇談をしました。何人かはやはり稲刈りをやっての参加のようでした。こちらの人は、田圃をやっている人がとても多いようです。「今日は雨だと思っていたが天気が持って稲刈りが出来て良かった」というのが百瀬さんほかの農家の方々の言葉でした。

安曇野市のTさんというソニーの関連企業の元役員をやっておられ、今は引退して農家をなさっておられる70歳台の方のお話を伺いましたが、田植機とコンバインは、女性の運転が上手なのだそうです。男性は大雑把だけれども、女性はきめ細やかで、小回りが求められる田植機のような機械操作はとても得意なのだそうです。都会育ちの息子さんのお嫁さんも、今では機械操作にも慣れ、田圃を持った農家の嫁としても十二分に役に立っているようです。

その晩は、このTさんというお爺さんと、梓水苑に一緒に泊まることになりましたが、翌朝、梓川の畔をゆっくりと散歩しました。Tさんは、右目が不自由になったものの、そのことでかえってゴルフの飛距離がました、という副産物もあったのだそうです。今ではもうゴルフからは引退されたようですが、右目が不自由なことから、ヘッドアップしなくなり、飛距離自体は伸びたそうです。「右目にガムテープをして打ったら飛距離がでる」、と、知り合いに勧めたところ、クラブにボールがあたらなくなったということもあったと、笑っておられました。

このTさんは、このところ、秋田の玉川温泉に通っておられるのだそうです。一回だいたい10日間くらいの日程で行くのだそうです。これまで4回ほど行かれた由。玉川温泉は北投石で有名なところで、がんを心配する方が多く訪れるところとしても知られています。http://www.tamagawa-onsen.jp/spa/index.html

10日も湯治をすると、あちらで顔なじみも出来、多くの自称「玉川博士」の話が聞けるのだそうです。ガイガーカウンターを片手に、どのあたりで放射線がよく出ているのかを調べ、この場所で寝ころぶのがよいといったことまで調べ尽くされているのだそうです。漁師の方が、今度毛ガニを沢山持参して玉川温泉に湯治に行くから、来ないか、といった、嬉しいお誘いもあるのだそうです。

私も、昔から玉川温泉の噂は聞いていましたが、実際に行った人から直接現地の話を聞くのは初めてでした。病気になる前に、予め予防しておくのだ、という意欲のあるTさんの話を聞くにつけ、日本の老人パワーは大したものだと思います。Tさんは、若い頃は、ラジオなどの売り込みに欧州を巡っていた時期もあったとのこと。安曇野の農家のお爺さんは、国際人で行動派が隠れているのです。

これから団塊の世代が大量退職し、故郷に戻って、親の田圃を継いで帰農するようになると、こういうタイプの農家のお爺さんが増えていくのかなあと、農業の将来に少しは明るい展望を感じることが出来ました。地域再生は、「老」と「壮」の力を活用するところにキーワードがあるように思われます。


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