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August 11, 2006

「国と地方の役割分担議論」の進化

骨太方針2006では、今後の地方分権に向けて、「関係法令の一括した見直し等により、国と地方の役割分担の見直しを進めるとともに、国の関与・国庫補助負担金の廃止・縮小等を図る」とされています。

ところで、「国と地方の役割分担の見直し」という問題は、大変難しい課題です。これまでの地方分権改革の成果物の一つとして、地方自治法では、国の役割と地方の役割について、理念的な考え方が示されています。

即ち、国は、「国際社会に於ける国家として存立にかかわる事務」、「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動、もしくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務」、「全国的な規模でもしくは全国的な視点に立って行われなければならない施策および事業の実施」を担い、一方、地方公共団体は、地域に於ける行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うという観点から、「住民に身近な行政はできる限り地方公共団体にゆだねること」が定められています。

しかし、国の役割を限定したこの理念規定は、実際の国の各論の法律に生かされているとは到底言えません。次の段階の分権改革は、この地方自治法の役割分担の考え方を敷衍し、各論に踏み込むという作業ノルマが、骨太方針上は示されているのです。このノルマを果たすことは、大きな政治的決断が必要とされます。

ところで、「国と地方の役割分担論」について、旧自治省の行政局長、事務次官を歴任された松本英昭氏が、これまでの経緯、意義、あるべき原則などについて、分かりやすく噛み砕いた講演をされています。平成17年9月に行われた講演です。

松本英昭氏は、第一期の地方分権改革を推進してこられた政府側の当事者であり、その経験を踏まえた含蓄のある内容となっています。今後の地方分権の在り方を考える際のベースとなりうる考え方が示されており、その概要を以下にご紹介します。
                

1 役割分担議論の変遷・現代に蘇るシャウプ勧告
・ 国と地方公共団体との役割分担という考え方や概念が一般的に用いられるようになったのは比較的最近。以前は、国と地方公共団体の役割ということは、国と地方公共団体の事務の配分の結果として決まっていくものだと考えられていた。先に事務の配分があって、その結果 地方公共団体がこういう役割を担うということで事務配分ということが論じられてきた。
・ 現在では、国と地方公共団体とのそれぞれ果たすべき役割というものがまずあって、その役割の分担のあり方に沿った事務の配分がなされるべきだという考え方になってきている。
・ この違いは、事務の配分では、国の側からして、国の作用として地方に事務を割り当てるという感覚が非常に強いのに対し、役割の分担では、地方公共団体の役割と国の役割というものが並び立ち、その役割にもとづいた事務の配分がなされていくという考え方が根底にある。
・ その経緯を見ると、戦後の地方自治制度が構築されて間もない昭和24年のシャウプ使節団の報告書で、日本は市町村、都道府県及び中央政府間の事務の配分及び責任の分担が不必要に複雑であって重複している、これが重大な弱点であるという問題を指摘している。各種段階の行政機関間の事務の配分を詳細に研究し事務の再配分を勧告。その時の一般的原則というのがシャウプ勧告の三つの原則。一つは「責任明確化の原則」、二つは「能率化の原則」、三つ目は「地方自治の尊重の原則と市町村優先の原則」。
・ 「責任の明確化の原則」の中で極めて重要な指摘がある。「能う限り又は実行できる限り、三段階の行政機関の事務は明確に区分して、一段階の行政機関には一つの特定の事務がもっぱら割り当てられるべきである。そうしたならばその段階の行政機関はその事務を遂行し、かつ一般財源によってこれを賄うことについて全責任を負うことになるであろう。」この最後のところを踏まえ「責任明確化の原則」と言っているが、この前段のところが非常に含蓄のある文章。
・ シャウプ勧告を具体化するために設置され地方行政調査委員会議(神戸委員会)が、昭和25に行政事務再配分に関する報告を行い、具体的な事務についての国・都道府県・市町村の事務の配分を勧告した。しかしこの勧告は結局実現しないままに終わった。
・ このシャウプ勧告、地方行政調査委員会議の勧告も、この段階で「役割の分担」ということばは出てきていない。
・ その後日本の独立、日本の復興期、高度経済成長期を通じ、国と地方公共団体とは相互に協調して協力し合うべきもので、その中でお互いの機能を分担するものであるという「機能分担論」の考え方が支配的になった。例えば、昭和39年の第9次地方制度調査会は、「国は中央政府として、地方公共団体は地方政府として、共通の目的に向かってそれぞれの機能を分担し、相協力して行政の処理にあたらなければならないものである」と述べている。こうした機能分担的な事務配分の考え方はその後もずっと支配的。
・ 地方自治とは「均質・同質なものを地域の特性に応じて表現し実施することであり、この『同質なるものの多様な表現』こそ現代の地方自治・地域行政のあるべき姿を示したパターンである」という言い方で機能分担論を表現する文章がある。「同質なるものの多様な表現」は、結局、均質で画一的な国を創るということになる可能性がある。結局、均質なるもの、同質なるものは何だとなると、国全体の立場で見なければ分からないわけで、同質なるもの、均質なるものを国が決めて判断する。そして地方団体は国が決め判断したことに従って表現して実施する、これが地方自治ということになってしまう。
・ しかし、地方自治は多様な質のものを生み出して、それを実現していくことにこそ本来の地方自治があるのではないか、と私は思うようになった。それは昭和50年代の中頃。しかしながら、「機能分担論」というのは、その後の事務の配分の考え方として広く流布し、昭和56年の第2次臨調の答申、昭和63年の第21次地方制度調査会の答申、平成元年の第2次行革審の答申頃までずっとこの傾向は続いた。
・ この段階では「国と地方公共団体の役割の分担」ということは今日のように明確になっていない。何故かと考えると、地方自治というのがもし同質・均質なものを、国がオーソライズしたものを地域で表現して実施することに地方自治の本来の機能があるという考え方のもとでは、地方公共団体の役割の機能的な面というのはそれで尽きるわけで、あ とは事務をどう配分するかということを決めれば済んでしまい、役割分担ということをこの当時は考える意味がなかったとも言える。
・ 現在言われている意義の役割分担というのはいつ、どこから出てきたのかについて、平成3年の7月の第3次行革審の第1次答申にその萌芽が出ている。「国の行政がやるべきことは何か、地方の行政がやるべきことは何か、といった仕分けを明確にしなければならない。」ここでは役割の分担とはまだ言っていないが、仕分けを明確にすることは、後ほど、間もなく「役割分担」という言葉に代わってくる。
・ 平成4年6月の第3次行革審の当面の行財政制度に関する答申の中では、これがはっきりと「国と地方の役割分担」という概念で述べられている。すなわち、「『官から民へ』、『国から地方へ』の基本方向に沿って行政の果たすべき役割を見直し、民間活力発揮のための規制緩和、国・地方の役割分担の見直しを引き続き推進する必要がある」と述べている。
・ ここで注意すべきは、「官と民との役割分担」と同じ文脈で「国と地方公共団体の役割分担」ということが述べられていることで、このことは、平成10年6月にできた中央省庁等改革基本法の中でもこういうコンテキストで述べられている。「国と民間とが分担すべき役割を見直し、及び国と地方公共団体との役割分担の在り方に即した地方分権を推進し、」と規定されている(同法4条3号)。
・ 役割分担という考え方は、経団連が、平成5年2月、平成5年4月、それぞれ「21世紀に向けた行政改革に関する基本的考え方」及び「東京一極集中の是正に関する経団連意見」を提出し、はっきりと、国の役割を真に国として行うことが必要な分野に限定すべきであるとされている。この頃からしばしば役割分担という言葉が使われ始め、それが平成5年6月の衆参両院決議で「国と地方との役割を見直し」と明言され、ここで制度的にも政治レベルでもこの方向は確立された。
・ この後、「国と地方の役割分担」という概念は、平成7年の地方分権推進法以降ずっと使われ、現実の制度でも、中央省庁等改革基本法の中にも、地方自治法にも役割分担という言葉は使われている。

2 制度設計、企画立案面の地方の役割分担へ
・ 「国と地方公共団体の役割分担」ということが一般的に言われるようになったが、その意義については必ずしも共通の認識があるとは思えない。その意義について共通の理解と認識が必要あると思っている。そして、それは役割分担の概念が成立する経緯の中から読みとれると考えている。
・ 「国と地方公共団体の役割分担」ということが今日的な意義で明示的に述べられたのが、平成4年6月の第3次行革審の意見で、そこでは「官から民へ、国から地方へ」という、今でも使われる人口に膾炙した表現で用いられている。「行政の果たすべき役割」ということと並んで「国と地方の役割分担」ということが述べられている。即ち、「官の役割、民の役割」と同じ意味合いで「国の役割、地方の役割」というものを論じるのだということ。その後、平成10年の中央省庁等改革基本法の中でも使われていることを見ると、やはり同じ様な意味で考えられる。「官から民へ」ということは民の役割を評価して、これまで官の役割とされてきたことを民に移すということと、官は民の役割に属することについては「手を引いていく」という意味合いが「官から民へ」という言葉にはある。それと同じコンテキストで「国から地方へ」という言葉が使われているとするならば、同じように地方の役割を評価し、これまで中央の役割とされていたものを地方に移す、そのことは同時に中央は地方の役割に属すことから「手を引いていく」と、こういう意味合いが同じように含まれている。
・ そのように考えると、このことは取りも直さず「国と地方公共団体との役割分担」についても、それぞれのきちっとした役割を区分していく、同時に自分たちの役割については「自己決定と自己責任の原則」によるものであるということがその意義として含まれている。このことを第一に指摘しておかなければならない。
・ 役割と言うときに二つの側面がある。一つは、仕事の目的分野の面に於ける役割、他の一つは性質的機能的な面に於ける役割。仕事の目的分野の役割というのは大括りの役割の分け方があり、さらに細かく分けられる。大括りな分け方、目的分野別の役割は、例えば、外交とか防衛とか通貨とか老人福祉とか医療とか道路とか河川とか農業振興など。そういうものがそれぞれの政治行政の目的分野の役割だが、更にそれを区分して、目的分野的に言うと、例えば道路については、国土の骨格的な道路とか国全体としての幹線道路、ブロックの範囲で見た幹線道路、都道府県の幹線道路、都道府県の普通の道路、市町村の道路、生活道路というように分けられていく。又それを更に細かく細分化することもでき、例えば、道路ならばそれぞれの新設、改良、維持補修などに分けられる。それぞれ次元が違う分け方であり、行政目的分野別の役割と位置づけられる。
・ 目的分野別の役割とは別に、同じ行政目的の中の仕事で、その仕事に関わる性質的機能的側面、即ち制度の設計、企画立案、基準の設定、調整、管理執行といった分け方の性質的機能的側面の役割の考え方がある。この様な性質的機能的な役割はそれぞれの行政目的の分野について考えられる。例えば、道路についてはそれぞれの分野の道路の制度の設計、企画立案、基準、調整、管理執行はどうだと、分けられる。
・ この役割という言葉を同じように使っても、政治行政の目的分野の役割と機能的性質的な役割、これを同時に役割の分担では考えていかなければならない。
・ 一例をあげると、介護保険制度は市町村の役割だと言われている。しかしよく考えてみると、役割分担の機能的性質的な面ということを考えるとよく解るが、介護保険に関する仕事の性質的機能的な役割を見ると、制度の設計と企画立案とか基準の設定はみな国の役割になっている。結局市町村というのは管理執行と財政の責任だけということになっていて、県が一部の調整の役割を担う。こういう役割分担になっている。そこまで言わないと役割分担というのがはっきりしない。そこが非常に重要。
・ 介護保険制度ができた時に、当時の厚生省は地方分権的な制度と言ったが、私は当時からこれを地方分権的だとするのは疑問に思っていた。本当の意味での役割分担ということをはっきりさせないとならない。
・ 現行の制度の下では、「国と地方公共団体の役割分担」というのは目的分野別の役割分担はかなり細分化され、細かく分けて決めて、その下で事務が決まっている。一方仕事の性質的機能的面でも大部分が法令で定められて、その結果、性質機能別には制度の設計とか企画立案とか基準の設定といったことは殆ど国の役割になっているのが現状。しかし、本来役割分担というのは、役割の分担をきちっと区分して、自からの役割については「自己決定と自己責任の原則」でその役割を果たしていくことが本来の役割分担を決めるという意義であったはず。従って、介護保険のように、国が制度設計を細かく行い、企画立案し、基準の設定も行い、それに従って地方公共団体が管理執行をする、場合によっては財政責任も地方団体が取る、こういうことでは結局、国は常に頭であって地方団体を指揮し、地方団体はそれに従って黙々と働く、こういう役割分担になってしまっている。それが本当に望ましい役割分担なのかということ。
・ 本来ならば、国と地方公共団体の役割が行政目的別に決まれば、原則として、その仕事の制度設計から企画立案、基準等の設定、調整、管理執行までを行政目的別に決まった役割を担う主体が一貫して行うこととなるということが必要だと考える。そうでなければ、自己決定、自己責任といっても自己決定したことにならないし、責任もとれない。
・ 介護保険などというのは、そういう制度になっていない。保険制度というのは制度設計したものが責任を取るのは当たり前の話で、制度設計ができないものが財政責任を取れなどというのはまったくおかしな話。そういう役割の分担を決めていることに非常に問題がある。そもそも保険というのは危険分散しなければならないから、財政単位は広いほうがよく、保険制度でやる以上は、制度設計を国がするとするならばそれは国の役割であって地方団体の役割とすることがおかしい。国が最後まで責任を取る、財政責任を取るというのが当たり前の話だ。にもかかわらず、国と地方の役割分担ということの意義がはっきり理解されていないところがある。
・ シャウプ勧告の最初の「責任明確化の原則」、これは役割分担という言葉は使われていないが、シャウプが言っているのは正にそういうこと。三段階の行政機関の事務は明確に区分して、一段階の行政機関には一つの特定の事務がもっぱら割り当てられるべきであるということを言っている。これは事務配分という概念の中で記述されているが、結局、役割分担というのはそのことをもっとはっきりさせることで、それでなければ「国と地方の役割分担」ということを決めたことにはならない。

3 役割分担の原則論と現実のギャップ
・ 「国と地方公共団体との役割分担の原則」については、「国と地方公共団体の役割分担」という概念・意義が定まってくると、それを踏まえた地方分権という観点からの「役割分担の原則」がどうあるべきかが問われる。このことは「国と地方公共団体の役割分担」という考え方が平成5年6月の国会の地方分権推進決議を経てオーソライズされた後の、平成5年10月の第3次行革審の最終答申に於いて、「国と地方の役割分担の本格的な見直し」ということで、二つのことが言われている。
・ まず、「国は、国家の存立に直接かかわる政策、国内の民間活動や地方自治に関して全国的に統一されていることが望ましい基本ルールの制定、全国的規模・視点で行われることが必要不可欠な施策・事業など国が本来果たすべき役割を重点的に分担するものとし、思い切った見直しが必要である」。これが、役割分担の行政目的分野的な役割になる。さらに続けて、もう一つ、「地方に関する行政は基本的に地方自治体において立案、調整、実施するものとし」と述べている。これが性質的機能的役割になり、企画立案から実施まで一貫して役割を担う。この段階で二つの役割分担の側面がはっきり出されている。この考え方が今日までずっと続き、その間に地方分権推進委員会が勧告して地方分権推進計画ができ、そして地方分権一括法という法律の下で各法が改正され、改正された地方自治法で明確にこのことが書かれている。
・ 地方自治法では、まず目的分野的な面から、国は本来果たすべき役割については、「国際社会に於ける国家として存立にかかわる事務」、これは外交、貿易、通貨、通信、司法などだ。「全国的に統一して定めることが望ましい国民の諸活動、もしくは地方自治に関する基本的な準則に関する事務」、これは私法秩序の形成とか、刑事法とか、公正取引、生活保護基準、労働基準、地方公共団体の組織運営の基本など。三つ目に「全国的な規模でもしくは全国的な視点に立って行われなければならない施策および事業の実施」、これが年金とか宇宙開発、国土の骨格的基幹的交通基盤の整備など。
・ 一方、地方公共団体は地域に於ける行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うということで、地方公共団体の行政目的分野的役割については、国がやること以外は地方がやるということ。一方、性質機能的役割、制度設計から実施までということについては、必ずしも明らかではないが、役割分担について規定された地方分権推進法が国会で平成7年に審議された際、当時の担当大臣が、ここで言う地域に於ける行政の自主的かつ総合的な実施の役割とは「企画立案から実施まで一貫して処理することである」という答弁をしている。これが今までの公定的な解釈になっている。
・ 地方団体の中での都道府県と市町村の役割分担については、地方分権推進一括法による地方自治法の改正で、都道府県は、「広域事務」と「連絡調整事務」と、「一般の市町村では規模能力あるいは事務の性質に於いて処理することのできない事務」、この三つのジャンルのものを処理することとし、その他のものは市町村が行うこととされている。これは「市町村優先の原則」、現在は「補完性の原理」とか「近接性の原理」と言われているもの。
・ 都道府県の事務の中で、広域事務」は本来的な事務。その際「広域事務」というのは、全県的な事務は勿論、かなりの数市町村にわたるような事務、それから数都道府県にわたる事務の中で当該都道府県に関する事務、あるいは全国的にわたる事務で当該都道府県に関する事務、これが広域事務という定義。それから二つ目のジャンルの「市町村の連絡調整」、これはまあ広域団体としての性格上出てくる事務でこれも当然のもの。最後の「一般的な市町村では処理することが適当でない規模又は性質の事務」、これは「補完事務」という言葉でよく言われるが、「補完事務」というのは正確ではない。ここで注意しなければならないのは「一般の市町村では」という言葉が入っていること。よく、小規模な市町村については都道府県が代わってやってやればいいじゃないかと言われるが、それは「補完事務」ではない。「補完事務」とは、一般の市町村でもできないような事務だから都道府県がやるものであり、特定の小さい規模の市町村だからやれないというのではこれは決して「補完事務」とは言わない。それはただ市町村がやれないというだけであり、そこがよく誤解される。
・ 「補完事務」と言われているものは、市町村が規模能力を備えてくると、それは市町村がやることになる。そのことは法律も予定し、規定している。したがって、地方で発生する行政のニーズに対する対応というものは、第一義的に市町村が対応すると、そういう推定を受ける、市町村の問題に係る事務、市町村の地域内の事務はまずは市町村が対応しなければならないという推定を受けるという考え方。「補完性の原理」とも、「近接性の原理」とも言われる「市町村優先の原則」ということをかみ砕いて言えばそういうことになる。
・ 先ず市町村が対応するという、その責務の推定を受けるということで考えるということになる。このことを「国と地方公共団体の役割の分担」の原則、そして地方公共団体の間に於ける「都道府県と市町村の役割の分担」の原則として定め、更に、「適切な役割分担」ということを、国の法律をつくる際にも、国の法律を解釈する際にも、踏まえなければならない、そういうことを基本として行わなければならないことをはっきり法律に規定している。
・ しかし、総論的な原則は確立されたが、個々のそれぞれの行政分野に於いてはそうなっていないところが問題。何故できなかったのか。一遍に原則をひっくり返したとは言わないまでも、大きな原則をうち立てた段階でも行政は連続していることから、あの時点で全ての各法律を総論的原則に従って変えてしまうというわけには行かなかった。あの時にもし本当にその作業をしていたらもの凄い時間がかかった。そこで、兎も角、原則をはっきり総論的に確立してしまう。それぞれの分野の見直しはそれぞれの分野ごとにやってもらうことになった。もちろん、一部はそのときに改正した。
・ 地方分権推進委員会と各省庁との膝詰め談判が行われたが、西尾勝先生はじめ委員の先生方が直接各省庁との折衝をおやり頂いた。そういうことが一部にあったが、多くのものは、各論の方は見直しが進まないままきている。ここに大きな課題がある。総論と各論の間に非常に大きなギャップが生じている。
・ そのギャップを打開する一つの手法として特区制度が活用されれば、各論もそれに従って総論に合ってくる可能性を秘めている。そういう意味で特区制度は、地方分権の推進という視点でこれから広く活用していけるはず。

4 特区制度の活用による分権の推進の可能性
・ 「特区制度による地方分権の推進」について、「国と地方公共団体の役割分担」という考え方を踏まえ、特区という手法によって地方分権の推進をしていく。これはこれから我が国で進められていきます地方分権の推進という側面から見た構造改革特区制度のこれからの展開の(発展と言ったほうがいいか)一つの途ではないかという気がする。地域や地方公共団体を限って一般の制度と異なった制度を実験的に特例的に適用することによって、地方分権の推進の突破口としていく取り組みは珍しいことではない。
・ かつて1980年代、スウェーデンを始めとした北欧諸国のフリーコミューン制が試みられ、その後少し間があり、2003年フランスの憲法改正の際にそうした実験的取り組みが法律によって定められるところにより認められるということを憲法に規定した。その法律はすでにできている。組織法律という高い次元の法律が、既にフランスでは定められている。我が国でもかつての第3次行革審の「豊かなくらし部会」で同様な構想があったがうまく行かなかった。法律改正にかかわるものは認められないということで非常にシャビーな制度であるパイロット自治体制度が生まれた。運用だけという制度でよいものができるはずがない。当時政府側の組織責任者の一人として対応したが、とても期待できるものではなかった。
・ 構造改革特区というのは我が国の構造改革の一貫である規制改革について特区的制度を導入するものであり、平成14年に構造改革特別区域法が制定され、これまで特区認定が行われた。しかし、最近何となく精彩を欠いているとも言われている。その要因は現行の構造改革特別区制度の不徹底さということにある。
・ 第一に、現行の構造改革特区制度は特定事業について認められているが、当該特定事業は法律に関するものが25事業、その他政令又は省令に関するものもありますが、極めて限られている。特に地域づくりやまちづくりといったことに密接に関連するようなものは殆どこの特定事業の範囲内に入ってきていない。多くのものは産業とか医療とか福祉とか教育など。他方で都市計画、建築基準、住宅、土地利用、環境、道路、河川等の公共事業などの面では、非常に細かな法令による規律が定められている。こうした面でも特別事業として特例措置が認められればかなり違ってくるはず。しかし殆どその対象にならない。
・ 聞くところによると、そうしたことはもう既にできることになっていますという返事で終わるそうだが、やはりいちばん関心のあるまちづくりとか地域づくりなどの面であまり使えないのでは限界がある。
・ 第二には、現行の構造改革特区は規制についての法令の規定等の特例に関する措置と規定されている。これはあくまで国の法令等で定める規制、それも実施に係わる規制で、中身は、法令等の対象となる主体の制約の面、法律行為の制約の面、期間の制約の面、メリットを受ける要件の制約の面など、こうした面での規制に対する特例ということに過ぎない。先ほど申した、「国の役割を地方公共団体に移し替える」ということを特例措置として認めるものではない。即ち、国が法令等で定める制度の構築、企画立案、基準の設定といった役割はそのまま国が握ったまま手放さないで、実施の段階での規制だけに特例を認めている。
・ 規制の特例でも、地方公共団体の発想と提案とを尊重しているということに於いては分権的なものであることは否定しないが、今日の地方分権の大きな課題である、国の役割とされているものを地方公共団体の役割に替えていくという面では実験的先駆的なものになっていない。ここに大きな限界がある。
・ このような二つの限界、一つは特定事業の範囲の問題、もう一つは規制についてだけの原則であって役割分担を替えようということになっていないということ、ここに大きな限界がある。
・ 構造改革特別区域法は、施行後5年以内に検討を加え、その結果に基づいて措置を講ずるものとされており、その際必要な措置として、地方公共団体の側の立場から考えることを盛り込んでいくという、そういうことが必要だ。それは地方自治法の規定にある「国と地方公共団体の役割分担」の原則は、国の役割を三つのジャンルのものに重点化、純化して、地方公共団体は地方に於ける行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うということになっているわけだから、そういう方向で各個別法で見直しがまだされていない、これまでできなかった、そういう時間がなかったところの法令の規定について、特区的な措置を認めていくようにする、新しい制度はそういうものにしていくというようにしていけば、地方分権にとって非常に有意義な戦略になる。
・ その特区的な措置には施策の実施段階に於ける規制の特例だけではなくて、国が法令の規定によって有している役割を地方団体にできるだけ移していくことを目指して、そういう特例措置も認めていくというふうにしたらどうか。特に法令の規定によって国が制度を設計したり、企画立案等を行う役割をも特例的に地方公共団体に持たせることとして、それがうまくいくならば全国的一般的な制度にしていけばいいわけで、そういうことにこそ特区制度的な意義がある。
・ およそ大きな改革をしようとするときに手法としては二つあり、一つは特定のところに特定の条件の下で、特別な他のところにないことを試しにやってみて、それがうまくいけば全体に及ぼすという手法と、二つは最初から全般的にやっていこうという手法。日本はどちらかというと、前者の特区的なのはあまり合わなかった。何となく特定の対象に特別なことをするのは、特別にいいことをしてるとか、特別な受益が認められているとか、そういう見方が先に立ってうまく機能しなかった。
・ 折角の特区的措置が認められるのだから、本来の趣旨に合うものに使えるようにすることが重要。

5 自治体は「政策法務」の能力を高める必要
・ 国と地方公共団体の関係の改革についての特区制度を活用して更に地方分権を進めていく方向で地方団体が一致してあたって頂くことを期待しているが、そのことをもう少し敷衍する。
・ 国と地方団体の関係を規律しているものは二つあり、一つは制度で、もう一つはお金。お金の面では、改革の一つである「三位一体の改革」が進められた。特に税源移譲についてここまで至ったのは、改革に賭ける小泉総理のリーダーシップもあるが、地方公共団体側の、従来には見られなかったような国と地方公共団体との対等の意識の下に於ける取り組みが非常に大きな力となった。このことは地方公共団体の関係者の皆さんは自負できる。今後国と地方公共団体の関係の色々な局面にこうしたことが活かされて、定着していくことが望まれる。お金の面でも、今回の「三位一体の改革」で終わるのではなく、それはまだ入り口でありこれから第二次、第三次の改革が行われるべき。
・ もう一つの制度の面。これまで地方公共団体の関係者は、国が制度をつくるもので自分たちはその運用にあたるもの、そしてその運用の面でのみ自主性を考えていくというようなことで終わっていたのではないか。しかし、適切な国と地方公共団体との役割分担の考え方の下では、本来地方公共団体の役割に関しては、その制度設計から企画立案、基準の設定といったことも地方公共団体が行うべき。勿論例外はあり、全てが全てそうというわけではない。しかし、それが原則ということ。
・ 制度というのは国民・住民の「共有財産」で、“永田町”や“霞が関”の「専有財産」ではない。この考え方の下で、現在ある数多くの国と地方公共団体との関係に係る制度の検討をしていく、そして、現在ある国と地方公共団体とが関係する制度の中身は、「地域もいろいろ、制度もいろいろ」、そうであっていい分野は決して少なくない。勿論、国全体で統一していなければ困るということも沢山あるが、多くの地域に関することは「地域もいろいろ、制度もいろいろ」であっていい。
・ 地域で異なるのでは困ることだけが全国統一されていればよく、多くの場合は「住民の共有財産」として地域に合った制度を持つ、そうしていくことが望ましい。
・ その際に重要になのが地方公共団体に於ける「政策法務」。つまり、これまで地方公共団体に於ける法務というのは、例えば、条例、規則等の立案に際しての法技術的な処理、法規の解釈、法規の事務事業への適用の際に於ける法的な対応、つまり争訟事務、こういうものが中心だった。しかし、「政策法務」というのはそういうことから更に進み、地方公共団体の政策を形成し実現するための手段として、自主的かつ積極的に自治立法を定立する、また法令の自主的解釈を試みるといった政策との結びつきを考えた法務、これが「政策法務」。そうした「政策法務」というものを地方団体が自らのものとしていかなければならない、そういう方向にならなければならない。
・ こうした「政策法務」と取り組んでいくためにはそれに精通した人材の確保ということが地方公共団体の課題になっている。現に多くの地方公共団体がこのことに取り組むようになっている。例えばある県は国会の法制局に職員を派遣して訓練している。地方団体から中央省庁に派遣している“研修生”と称する人たちの多くは本来そのための訓練だが、残念ながら必ずしも皆がそうではない。必ずしも全部のところで法律を作るわけではない。新しい法律を作るのは極めて限られたセクションであり、皆が皆そうはいかない。ただ、意図的に、意識的にそういう人材を育成していくということは非常に重要だ。
・ 特区制度の関係で説明すれば、現行の制度のどこに問題があるのか、そういうことを法制的視点から見いだしていく、そしてそれに対してどのような特例措置にすればよいのか、またそれが地方公共団体の役割となるものについては地方公共団体に於ける法制上の措置として、条例、規則、その他の規程あるが、どうあるべきか。それは法体系上可能なのかどうかといったことを創意工夫をこらして判断を行っていく、こういうことができる「政策法務」に精通した人材を育成・確保し、そういう人たちによって国と地方公共団体との対等な論争が行われていくというのが望ましい。
・ これまで法律の解釈としては国の中央省庁、所管省庁の有権解釈というのが法の運用の際の前提になっていた。今日の考え方は地方分権一括法の考え方だが、国の立法で地方団体の役割とされた事務については、その解釈権は地方団体が国の各省庁と同等に持つ、即ち行政機関のレベルに於いては、国の立法が国の省庁に割り振ったことと地方団体の長に割り振ったこととは対等だという考え方が今は支配的になっている。だからよく解釈権が平等だと言われるが、そういうことだ。
・ 中央省庁から何か言われたら、これは地方団体の事務についての解釈なんだから私たちは対等な立場で解釈できると言って、大いに論争を中央省庁にふっかけたらよい。
・ 結局、国がそれに何か関与してくるなら係争処理の手続に持ち込めばいい。馬券税についてはその例がある。既にそういう制度になっている。
・ 「役割分担論」を踏まえた各論の各行政分野における措置について、権限の移譲とか関与の見直しについて、地方六団体からの具体的提案がもっと沢山出ればよいが、あまり出てこない。市長会、中核市は政令指定都市並みに、指定都市にはより一層の権限を、と要請するが、具体案がなかなか出てこない。もっと個別にこの権限は下ろすべきだとかこの関与は止めてくれとか、特区ばかりでなく全般的、一般的な提案をはっきり出していくべき。

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