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August 15, 2006

「平和を求める祈り」

お盆休みの13日夕刻に、高校の同期生有志で、昨年の卒業30周年事業で母校で行った「同時多発」講義の模様をCD化して記録したものの同期への発送作業と親睦ゴルフのついで挙行された、ミニ同期会に参加しました。

今年で、50歳になる年の同期会です。女性で唯一参加されたMさんは、涼しげな着物姿がシックで、「商売」が出来そうないい感じでした。有志で二次会でカラオケに行き、当時のはやり歌を競うように歌えたのも、とても楽しかった。久しぶりのカラオケでしたが、音質といい画像といい、長足の進歩を感じます。

その一方で、技術は進歩しても人間の思想や精神や判断能力は進化しないような気がします。技術が進歩するとかえってそれに依存することで頭でものを考えなくなるのかも知れません。そういえば、自分自身も漢字を書けなくなっています。その意味では技術進歩は人間の中身を退化させる可能性が相当高いようにも思えます。

同期会に参加する際に、大糸線で松本まで来ましたが、立ったままの客が沢山いるのに女子高生が二人とも自分の荷物を隣の席に置いて席を余分に占領していました。「荷物を除けて座らせてもらえる?」と、「丁重に」お願いして、たまたま一緒の某氏と彼女らの横に座りましたが、某氏によると、その女子高生は、少し嫌な顔をしたようでした。私は、嫌な顔をされたことには気がつきませんでした、某氏にはそう見えたようです。

日頃マスコミで大論陣を張っている某氏は、「微分積分を勉強するより前に、学校で基礎的マナーを教えていないのはおかしいのでは」と少しお怒りでしたが、私は、「学校に任せるだけではなく、社会生活の中で、回りの大人が敢えて注意してあげることも必要かも」、と反応しました。

今は若い人たちの行動を嘆く人は多いですが、自ら注意する人はそんなに多いようには思えません。しかし、下手に注意して反撃を受けることもあるのでしょうから気をつけないと。一人で注意すると、「きゃー、この人痴漢」などと逆恨み的な逆襲を受けることもあると仄聞します。しっかりとした証人となりうる人を伴って注意しないと身に危険が及ぶかも知れません。

ところで、盆休みから東京に戻る途中、ラジオで、小泉首相の靖国参拝の話題がニュースで流れていました。靖国問題でまた中国・韓国との関係悪化、そしてこれが総裁選の争点になるのでしょうか。年中行事化したこの議論も、何やら余り生産的でないような気もします。

靖国参拝が話題となった本日8月15日は「終戦の日」ですが、家に帰ると、知人から手紙が届いており、その中に、「平和を求める祈り」というカードが入っていました。深遠な言葉が並んでいました。アシジの聖フランシスコの言葉なのだそうです。終戦の日にふさわしい考えさせられる言葉でした。

@@@@@@

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、
疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、
絶望のあるところに希望を、
闇に光を、
悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。 

慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。

わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからからゆるされ、
自分を捨てて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。

@@@@@@

宗教の祈りの言葉はとても感動的なのに、宗教問題を切っ掛けに世界中で紛争が起きているというのは、何とも皮肉なことです。中世の聖人の言葉が、今日も尚輝きを失わないのは、それだけこの言葉によって癒されるなくてはならない課題が人間社会には尽きないということなのでしょう。

少なくとも私には、この様なカードを送ってくれる知人や定期的に集まれる友人がいるということは、有り難いと思わなければなりません。大人にとっても子供にとっても、注意してくれる人が回りにいることは必要なことです。

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Comments

席を譲られないのは、海老原様がお若いことが原因の第1でしょうが、若い人が、そういう意識がないということは事実のようです。でも、それを放置したのは大人の責任です。

Posted by: むーさん | August 16, 2006 at 10:42 PM

平和を祈るカード、私は十数年前から何枚も
買い求め、栞にして使用して自分を戒めて
います。

それから、私は65歳以上の高齢者ですが、
電車の中で日本人から席を譲って頂いたことは
未だかって一度もありません。でも外国人
(欧米系・アジア系とも)は、私が乗ると
反射的に席を立って譲って下さいます。
日本の社会教育はどうなっているのでしょう?

Posted by: 海老原典子 | August 16, 2006 at 09:43 AM

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