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August 21, 2006

「へこたれない言葉」

ニッケイビジネス2006年8月21日号で、田中康夫氏の「敗軍の将、兵を語る」のコラムを読みました。

「敗北ではなく、県民の過半数が田中康夫に頼らない選択肢を選んだということ」、
「あなたの発想と行動を学ぶ前に、自分には及びもつかないと感じるや拒絶し、自分たちの村社会を守ろうと、排除と翼賛の論理に陥ってしまう」、
「ダム建設を中止したと砥川では、地道な河川改修や上流の森林整備などが功を奏し、今回の災害でも無事」、
「政官業に御用学者や報道機関を含めた『政官業学報』の現状追認ペンタゴン。彼らが依拠する既得権益を溶かしてきたのが田中康夫」、
「ある全国紙で『大人になれなかった田中知事』という趣旨の社説を拝見し、思わず苦笑してしまいました。守旧派と組めという意味なのか」、
「時代錯誤な言葉を囁く候補者に一票を託す県民が過半数を占めました。ソクラテスの昔から、民主主義は難しいもの」、
「私は人間としての体温を持った私利私欲無き政治家でありたい」、
「しかし、自治体単独で行えることは限られています」、
「地域の現場での発想と実践を踏まえて・・・日本全体の制度や仕組みを根底から作り直す必要がある」、
「落選が決まってからの私の会見を見た幾人もの記者から『こんなに悲壮感が漂わない会見は初めてだ』と言われました」、
「これからも人々に奉仕する存在としての人生を歩む覚悟です」、

という「へこたれない言葉」が並んでいました。自省の言葉はありません。自分自身は正しいが、それを理解できなかった有権者のほうがおかしい。であれば私は次のステージで頑張るのみ、という、とても前向きの発言が並んでいるように感じられました。

田中康夫氏は、昔から変わりません。自分自身は正しく、自身を理解できない周囲がおかしい、と考えてしまう。恐らくこれは「思想」の問題ではなく、ご本人の「性格」あるいは「気質」の問題なのだろうなと想像します。

併せて、来年以降の国政選挙に登場する可能性を強く感じました。6年間の長野の実験をどのように加工・表現して臨んでくるのか、今から注目です。

長野在住の知人から、田中氏は、「知事職から解放されたのだから、今度こそ、誰に文句を言われることもなく『泰阜村』の住民になるべきだと考えます」との感想が寄せられました。危機管理の視点から、知事は好き勝手なところに住めないはずだとの指摘もあり、泣く泣く、泰阜村を引き揚げた経緯からすると、なるほどという指摘です。

泰阜村への住居移転が知事としてのパーフォーマンスではなく、真に山村を思う気持ちがあったものかどうか、試金石と捉えられる、とのこの知人の指摘は、正しい指摘です。一方で、現実問題として信念を通し続けることの難しさも語っている指摘です。

破れて尚その行動が注目を浴び続ける田中康夫氏は、やはり尋常の人ではありません。


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