「ストラディバリウスの引継ぎ」と新生「上田市」の自治の継承
平成18年3月6日に新生「上田市」が、旧上田市、旧丸子町、旧真田町、旧武石村の新設合併により誕生しました。人口16万4千人を擁する長野県東部の中核的都市です。
8月19日は、その合併記念式典が催され、私も参加して参りました。
旧上田市は、大正8年5月1日に市制が施行されて以降、旧市制として86年、旧丸子町は、大正元年に誕生し、旧町制として94年、旧真田町は、昭和33年に町制が施行され47年、旧武石村は、明治22年に8村が合併して以来118年の歴史を持っていました。
旧上田市を真ん中に、菅平高原、美ヶ原高原を両翼に抱え、可能性を秘めた新生上田市が誕生しました。
http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/shokai.html
式典のオープニングは、上田市出身の国際的バイオリニスト中澤きみ子さんの演奏で始まりました。「カラタチの花」と「チゴイネルワイゼン」の演奏です。研ぎ澄まされたバイオリン独奏を聴くのは久しぶりでした。演奏の合間に、中澤さんが語った言葉がとても印象的でした。「上田市は86年の歴史があるとのことですが、このバイオリンは300年もののストラディバリウスです。ストラディバリウスの中でもダビンチと名前の付けられたこのバイオリンは特別のバイオリンです。今は私が預かっていますが、次の世代に大事に継承していきたい。」という趣旨のお話でした。
文化や芸術の世界でも、その担い手のこうした真摯な意識によって「大事なもの」が維持継承されるものなのだと、改めて感じ入りました。小沢征爾氏が、サイトウキネンオーケストラの関係で、若い人に本当に熱心に指導活動を行っておられるのも、本質的に同じ意識なのだろうと思われます。
つい最近、古川貞二郎元官房副長官のお話を伺う機会がありましたが、「公務員のポストは国民からの預かりもの」という意識で仕事をしてきた、という信念とも相通じるものを感じました。
バイオリニストの何気ない言葉を伺い、式典の出だしから、自治制度に関しても、現在の世代が、将来に亘って持続可能な制度運営を維持し、後の世代に粛々とバトンタッチしていくことの大切さを感じさせる式典になるなあとの予感がしました。
実際式典のトーンはその通りの展開になりました。
合併記念式典の中で、旧4市町村に所在する小学校の6年生の4名(マキリョウイチ君、ウエハラミカさん、ナカヤマダイスケ君、タキザワレイナさん)から、「新生『上田市』への思い」、と題する意見発表がありましたが、豊かな自然を将来にむかって大事にしたい、アイドリングストップをするなど環境負荷を少なくしたい、市民一人一人がお互いにちょっとした気遣いを出来るようにしていきたい、広くなった市民相互のスポーツ交流で合併のメリットを高めていきたい、といった身近で実践的な提言がありました。新生「上田市」の初代市長となった母袋創一市長も、一々納得できる提言だというように、目を細めて聞いておられました。新生「上田市」の将来の担い手は、確実に育っています。
市長会長の矢崎和広茅野市長が、合併には、「食べて行けないから行う合併」と「グレードアップのための合併」との二つがあるが、上田市の場合は明らかに後者であると発言されておられました。自らは諏訪地域の「グレードアップのための合併」に失敗したことを引き合いに出され、上田地域を持ち上げる挨拶をされておられました。さすが「名物」市長です。グレードアップした行政体の枠組みを後の世代に引き継ぐ選択を上田市民は今回行ったということなのでしょう。
式典の第二部で、市内の各中学校から選抜されたジュニアバンド48名の吹奏楽演奏がありました。上田市出身の国立音大百瀬和紀教授の指揮で、堂々とした演奏でした。合唱演奏もありました。「大地」や「ふるさと」の合唱は、参加した市民の方々の心に響きました。特に「ふるさと」は、参加者全員で合唱し、私も歌いながら、なんと合併式典にふさわしい歌なのだろうと、感動しました。出身県の外にいる者にとっては、帰巣本能を揺さぶるような歌詞です。
「ふるさと」を歌い終わった直後、会場で、上田高校の藤本光世校長と奇遇にもお会いしました。松本深志高校から上田高校に転任された藤本校長には、校長の前職時代とてもお世話になりました。昨年は我々同期の高校卒業30周年だったのですが、母校での記念講演の話が同期から出て、藤本校長がそれを快く承知していただき実現、それが次の卒業生の年次にも引き継がれつつあるという話が話題になりました。これも次世代への継承です。http://tokyo-nagano.txt-nifty.com/smutai/2005/11/30_aa1d.html#more
式典の後、上田市議会の土屋陽一議長、藤原信一副議長のお話を伺う機会がありましたが、市議会議員選挙を経た後の上田市議会の議論や活動の範囲を各方面に広げていきたいとのご意向がひしひしと伝わってきました。私も微力ながら協力する旨約しました。市議会は、住民自治の代弁者であり、自治制度の重要な担い手であり、将来への継承者なのです。
その後、知人と一緒に上田市に隣接する青木村の宮原毅村長を訪ねました。青木村は当面合併せずに、独自路線を行くとのお立場です。村長の話を伺うと、5000人規模の人口で役場職員52名。標準の規模の8割の人員で村政運営を行ってきている。財政状態も、公債費比率も低く、健全財政を維持できている。あと10年くらいは十分にやっていける。その後の将来までは分からないが、当面独自で頑張りたい、とのお考えを伺いました。
確かに、青木村は、上田市を見下ろす高台にあり、上田市の避暑地的位置づけになっています。人口も横這いで、最近では首都圏の喧噪を避け、iターンにより転入してくる方もおられるとのことです。合併をするかしないかは、今である必要はなく、いつでも決断できる状態にあるとの判断があるようにお見受けしました。
都銀の支店長を経験され、出身地に戻って地方自治の現場の責任者となられた宮原村長ならではの、将来見通しを踏まえた判断のようです。
宮原村長の家業は、温泉旅館です。「富士屋ホテル」という田沢温泉の老舗旅館です。飛鳥時代から湧き出ていると伝えられる源泉があり、お言葉に甘えて、暫しすべすべの温泉に浸る機会も得ました。温泉に浸りながら、こうした静で豊かで安定した日常生活の中での合併議論は、青木村の方々にとっては、やや、性急で喧噪な議論のように思われるのかも知れないなあと、思えてきます。
いずれにしても、大同合併で大変大きくなった上田市と上田市に隣接しながら小規模な村のままで独自路線を歩む青木村と、両者のコントラストを感じた合併式典参加となりました。自治の継承の手法には、様々な考え方があるようです。
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