中国で注目される「報徳思想」
8月17日の午後開催された「提言・実践首長会の意見交換会」に招かれ、当首長会メンバー20名弱及び首長出身国会議員4名の論客の討論を聞いてきました。
「今後の国と地方の在り方を見据えて」という共通テーマのもと、3時間以上に亘って首長さん方が日々の思いを本音で語っておられました。喩えて言えば、「朝まで生テレビ」の首長版とでも言いうる自由闊達な議論の場でした。私も仕事の面で大いに参考になると考えこのところ参加させていただいておりますが、今回もじっくりと話に聞き入りました。毎回毎回勉強になります。
合併により誕生した新市、新町の首長が多く、一体どこの県の市や町なのか、ピンと来ない自治体もありましたが、話を伺っているうちに、共通の悩みが浮かび上がってきます。やはり膝詰めで話を聞くというのは大事なことです。
合併議論が議会と住民との間で二転三転し、漸く合併にこぎ着けた苦労話を、五十嵐忠悦秋田県横手市長が語っておられました。鈴木和雄群馬県みなかみ町長は、三位一体後の今後の分権改革の動きによっては、農山村部に悪影響を及ぼしかねないことに懸念を表明されておられました。木下博信埼玉県草加市長は、社会保障改革の一環で障害者自立支援法が改正され、自己負担の増える施設入所者から不安の声が上がり、結局自治体が独自で対応せざるを得なくなる状況説明がありました。鈴木俊美栃木県大平町長からは、少子化対策の運用上の矛盾の例が示されていました。自治体が少子化対策のため、自治体負担で児童医療費無料化を進めると、国の負担金である国民健康保険の財政調整交付金がカットされるのは政策の矛盾だと指摘されていました。後藤太栄和歌山県高野町長は、高野町には高野山詣で昼間流入人口が多いので、町の人口減にも拘わらず町民に危機感がないという町民意識が披露し、昼間流入人口に着目した交付税算定が必要ではないか、との認識も示されていました。複式簿記の導入で有名な後藤国利大分県臼杵市長は、複式簿記導入と自治体の負債管理を適切にすることで、透明性の高い財政運営が可能となり、これを国にも導入することで、大幅な無駄が排除できるはずと論陣を張っておられました。
これらの問題意識を踏まえ、首長出身の自民、民主の国会議員の4方から、自らの現場体験と国会体験の双方を踏まえた実感のこもった話がありました。元ニセコ町長の民主党逢坂代議士からは、自治体の情報公開に比べ、国の情報公開が進んでいない実態、国会では実質的な予算審議の時間が少ない実態、合併を経ても尚自治体間の格差が拡大している実態などについて指摘がありました。
武蔵野市長であった自民党の土屋代議士からは、国の政策立案が地域の実態を理解せずに行われていること、最近では霞ヶ関も本音の話が出来なくなっていること、国会議員はどうしても献金をしてくれる方面に関心が行きがちで、献金のできない自治体の要望などには関心が向かない傾向があること、国がちょっとした事件・事故に過剰反応しがちで、プール事故への対応は明らかな過剰反応であること、といった話題提供がありました。
地震で一村崩壊の憂き目にあった旧山古志村長の長島忠美代議士は、人口規模が100倍の長岡市への合併を決断した経緯を紹介しつつ、ガソリン価格の高騰で、地方の中小企業はやっていけなくなりつつある実態について懸念、また、学校の先生が地域と遊離した授業をやっており、「田んぼの中に立つ教師」が必要ではないかと、指摘しておられました。
愛知県蒲郡市長であった鈴木克昌代議士は、格差を認めるか認めないか、それによって政策の方向が大きく異なってくるが、その点をクリアーにしないで政策議論が行われているのが問題である点を指摘しつつ、最近、二宮尊徳の思想が中国、米国、韓国、英国、カナダなどで広まっており、8月上旬、中国の大連で開催された、「国際二宮尊徳思想学会」に出席された模様をお話いただけました。貧富の拡大、環境に適合した農業の在り方などの課題に前に、現在の中国では、「報徳」の思想がクローズアップされているのだそうです。中国の大学には、「二宮尊徳学部」というものが出来ているというご紹介もありました。時代の転換期における、思想の重要性に言及されたものと認識しました。(参考;報徳思想 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B1%E5%BE%B3%E6%80%9D%E6%83%B3)
これに対して、後藤臼杵市長は、自分の執務室には二宮尊徳像が置いてある、とご紹介しつつ、交付税特別会計の赤字の問題と地方財政制度の問題は分けて議論すべきではないか、赤字があるから地方財政制度が悪いというのはおかしな議論で、交付税制度を景気対策に使ったことが誤っていたのであり、それは制度の問題ではない、とご指摘されておられました。
森民夫新潟県長岡市長からは、現在の省庁間の縦割りはひどく役人で全体を見る人はいない、国会議員も全体を見る能力のある人がいない。その点、自治体の首長は自治体というレベルで全体が集約されることから、国の制度の矛盾や問題点がよく分かるのであり、自らの立場に自信を持って活動すべきである、との発言がありました。併せて、財務省の財政審の経済界出身委員の地方財政に理解のない議論は現実を直視せず余りに浅薄で、財務省に弱い財界の限界があるとのお話もありました。
逢坂議員と土屋代議士の間で、党派を超えて地方自治について意見交換する必要性について認識が共有され、今後具体の話に発展する雰囲気も出ておりました。確かに、地方自治の現場は、国政と異なり、党派による政策の違いは大きくないというのが実態です。外交や防衛、安全保障、社会保障での議論は与野党で意見が分かれますが、人々の日常生活には与党も野党もありません。自治の現場に党派性を持ち込むことは、確かに無理です。最近の民主党の動きは、その意味で大いに疑問符がつきます。
石田芳弘愛知県犬山市長からは、地域社会が疲弊しており、再度コミュニティー議論が必要な時代に入った、しかしながら、合併推進でてんてこ舞いの総務省はコミュニティー議論には力が入っていない印象だ、頑張って欲しいとの檄が飛びました。これは重要な指摘でした。組織として考えないといけません。
議論の最後に、「ところで、国民負担を求めざるを得ない時代になったが、首長自ら有権者に対して増税の必要性を訴えるか」、との被招待者からの質問に対して、その席の首長の過半数は、「もう少し無駄を省かないと増税は訴えられない」、との意見でした。経済財政諮問会議や財務省が、地方財政に最も無駄が多い、と指摘している中でのこの認識には、自治体運営の責任者の立場で大丈夫かと、いささか驚きました。しかし、自治体に比べて国が行っている無駄が多いのではないか、社会保障の水準がまだまだ高いのではないか、との理由で無駄の排除が尚必要だ、との認識のようでした。
交付税依存度の高い榎並谷哲夫高知県佐川町長の意見も、「政府の支出には無駄が多い」ということでしたので、少々驚きました。この場におられた首長さん達は特に意識の高い首長さん達だけに、この認識は重く受け止めざるを得ません。一層の行政改革、歳出カットの努力が求められます。地方財政も圧縮の覚悟出来ているということだと感じました。
霞ヶ関の職員も、一人の人間として、定期的に、地域をしょって立っている責任者である首長の声に、真摯に耳を傾ける機会を得る必要があると、参加するたびに思います。
The comments to this entry are closed.
Comments