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July 13, 2006

木曽から見た中部日本、長野県

木曽郡の6町村議会総会の研修会に呼ばれて、7月12日に木曽に行ってきました。就職してから本格的に木曽に行くのははじめてです。

行ってみて、関係者と話をしてみて初めて木曽の全体の有り様が分かりました。木曽郡は香川県よりも広い面積なのだそうです。しかし、木曽川の本流支流の谷筋に人々が住み、人口は4万人に達しない規模です。木曽郡は、まさに「木曽路」というルートそのものであることがよく分かりました。つまり、「面」ではなく、「線」なのです。

講習会では、一時間半ほど、三位一体改革後の地方行財政の行方に関する議論を道州制議論を紹介しながら申し上げましたが、北原隆光南木曾町議会議長、野村弘上松町議会長をはじめ議員関係者、田中勝巳木曽町長、宮川正光南木曾町長をはじめ町村長、県議会議員の村上淳様、役場職員、長野県庁関係者、一般の方など150人程の方々に、話を聞いていただけました。

道州制に関しては、木曽郡は中京方面との結びつきが強く、「北関東」に区分されることに関しては違和感があるようでした。馬籠宿をかかえる山口村が岐阜県に越境合併したこともあり、道州制議論に於ける木曽郡の位置づけについて、大いに関心がある様子でした。

木曽郡は、他の地域に比較して、合併が余り進んでいるとは言えません。しかしながら、その代替として、広域連合がとても発達しており、木曽郡町村議長会事務局の下沢孝一さんは広域連合の仕事もされておられますが、その下沢さんの話によると、老人福祉(老人ホームの運営、介護認定、老人ホーム入所判定)、廃棄物処理(クリーンセンターの運営、リサイクルの推進、環境センターの運営、汚泥集約センターの運営)、広域消防、まちづくり・地域振興(広域観光振興、景観形成の推進、道路交通網の整備、情報ネットワークの推進)、人材育成(文化センター運営、奨学資金の貸付け)、埋蔵文化財の調査、地域間交流の推進(上流下流地域の交流、都市との交流、情報発信)といった非常に幅広い仕事をてがけておられるとのことでした。(木曽広域連合のホームページ参照 http://www.kisoji.com/kisokoiki/syoukai/syoukai3.html)

広域連合の予算規模も、木曽郡6町村と比べると、木曽町に次ぐ規模にもなっており、質量とも大きな連合組織とのことでした。

駅まで出迎えて頂いた広域連合の長渕秀司総務課長の話では、「さすがに国保までは手を出していませんが(笑)」とのことでしたが、この連合の体制は、国保の保険者となる勢いもあるように感じられました。

木曽郡は、観光行政に力を入れており、広域連合も広域観光施策に力を注いできているとのことでした。議長会事務局の下沢さんは、少し前まで、広域連合で観光の仕事も手がけておられたそうで、木曽郡の観光行政の現状と課題について、コンパクトに、現地案内を交え、御教示いただきました。この下沢さんの盟友で、木曽の観光振興に命を懸けるホテル運営のプロの須藤邦男さんもご紹介いただき、行政サイドと民間サイドの両面から木曽郡観光施策の全体像を立体的に「擦り込まれ」ました。

南木曾町の高台にある「木地師の里」という伝統工芸品南木曾ろくろ細工の工芸所の小椋一一さんと松山勇さんのお話も伺いましたが、国道361号の権兵衛トンネルが開いたことで、伊那や諏訪方面から木曽を訪れる客が増え、木曽から飯田方面に抜ける清内路トンネルと相俟って周遊ルートが成立し、木曽を含めた南信州の広域観光ができあがり、地場産業振興にも大いに資することになっている、とおっしゃっておられました。もう一つの大きなネックである、木曽を縦貫する国道19号線の木曽川右岸道路の未完成路線の早期完成が実現すれば、19号の大型トラックによる混在も解消され、木曽を訪れる観光客は大幅に増えるとの強い期待感を表明されておられました。

下沢さんの話では、現在木曽郡内を縦貫する国道19号線は、伊那盆地を通る中央道を回避するトラックで一杯です。中津川から塩尻まで往復1万円の高速代を節約するため、道路線形の良い国道19号にトラックが集中するのだそうです。昼間は3割以上、夜間は7割程度がトラックで占められているのだそうです。何とかならないものかと、木曽の住民は、この右岸道路の完成を願っているのですが、一律の公共事業抑制の県の方針は、木曽の住民の願いも遠ざけてしまっているようです。

大きな事故が起きると、国道19号一本しかない木曽郡の交通は遮断され、住民の命も危険にさらされかねないと、地元の議会関係者は心配しています。木曽郡町村会の決議事項も拝見しましたが、木曽川右岸道路の建設促進が謳われています。唯一人の木曽郡選出の県議会議員の村上淳氏も、この6月の県議会でこの右岸道路の建設を進める質問をされておられます。こちらを訪問してみて、この問題が地域の人たちの切実な声であることがよく分かります。

政府において今年中に解決しなければならない問題として、道路特定財源の一般財源化の問題がありますが、地方の道路整備が大幅に遅れている状況があるとされている中で、道路財源の在り方如何によっては、更に木曽川右岸道路の建設促進に支障が生じかねません。政府の公共事業の抑制の動きに輪をかけた大幅な長野県当局の公共事業抑制で右岸道路も実現していませんが、総論の理念と各論の現実の相克を感じざるにはいられませんでした。

とは言え、木曽には、妻籠・馬籠といった観光資源、伝統技術、温泉、自然、歴史、文学などに満ちあふれています。最近では、台湾方面、欧米からの観光客も増えているようです。須藤邦男さんの話では、馬籠の民宿に泊まっている観光客が、須藤さんが総支配人をやっているホテル経営の温泉を利用しているのだそうです。ホテルと民宿が共存共栄なのです。昨年の愛知万博の際には、木曽郡内のホテルにまで特需が起きたのだそうです。清内路峠をトンネルで抜けて、中央道で行けば、愛知万博会場はとても近い距離だったのだそうです。ネットワークのインフラを整備すると、思わぬ経済波及効果があるということを感じさせるエピソードです。

私も、次に木曽を訪問する際には、車で諏訪から伊那に入り、権兵衛トンネル経由で木曽に入り、木曽でゆっくり滞在し、清内路から飯田へ抜け、東京に戻る広域観光をしてみたいと思います。そのうちに、飯田から浜松に抜ける三遠南信道路が出来ると、静岡方面へのアクセスも飛躍的に改善し、木曽の将来はより明るくなるように思えます。木曽が「夜明け前」の状態を脱し、ブレイクスルーする日は、そう遠くないように思えます。

ここまで書いてくると、長野県当局も、木曽川右岸道路の整備くらいは急がないと、長野の南北の軸形成が相対的に弱くなり、木曽がますます中京、東海と結びつく傾向を強めかねないのではないかと、他人事ながら心配になりました。木曽全体が、第2の山口村にならないことを祈っております。ひょっとしたら、木曽郡の町村議会が、道州制を巡る議論を聞きたいと言ったことは、暗黙のうちに、このようなメッセージを発しているのかも知れません。

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