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July 09, 2006

世界遺産フエ市の行政改革・地方分権

ベトナム滞在3日目の7月6日に、ハノイ市からフエ市に飛びました。フエに発つ前にハノイで市内の郊外にあるバッチャン村人民委員会を尋ね、副人民委員長の方と暫時お話しました。ベトナムの地方制度の中で、最も住民に近い行政組織が町村です。

バッチャン村は、冷房のない役場庁舎の一階で、「権限委譲を行う計画が中央政府にあるようだけれども、受け皿として大丈夫か」、などといった話をしてきました。バッチャン村は、ベトナムでは陶磁器で有名で、飛行場まで行く間に訪ねたのです。陶磁器工房に隣接して人民委員会事務所(村役場)があり、予約無しで尋ねた次第です。午後の暑い時間帯で、人の気配がありませんでしたが、部屋の奥にいたのがバッチャン村の副人民委員長でした。
共産党員でもあるというその人は、まだ40代そこそこで、人民委員長が不在であることを詫びていましたが、1千人くらいのバッチャン村では職員が19名、土地利用の免許、住民登録、個人事業の営業許可などを行っているとのことでした。副委員長の部屋には、デスクトップ型のパソコンが一台あり、二人の若い職員が何かを打ち込んでいました。ネットでつながっているのかどうか、分かりませんでしたが、住民に一番身近な町村の人民委員会の機能は、相当限定されているように見受けられました。

ハノイで空いた時間に、ホーチミン廟、民俗学博物館、国立美術館、文廟などを駆け足で見学することができました。市内にコンパクトにこれらの施設が配置されているので、効率的に見て回ることが出来るのです。博物館や美術館の展示内容も、内容的にはこれから更に充実が待たれる印象でした。国として文化面にエネルギーを注ぐ余裕がまだまだないのかも知れません。

大使館やJICAの方とも話をしましたが、ベトナム語には苦労しているようです。元々は漢字を使っていたのですが、フランス人宣教師の発案で、アルファベットに少し手を加え、表音文字を使うようになって、今のベトナム文字になっているとのことでした。ベトナム文化には、旧宗主国フランスの影響が、文字にまで及んでいるのです。ベトナム人は、フランスに対しては複雑な思いがあるようです。しかし、ベトナムで最も嫌われているのはやはり米国であるとのことのようです。ベトナム戦争の記憶がまだまだ生々しいのでしょう。ベトナムでもトイレをWCというのだそうですが、米国への反感からか、「WCはワシントン・シティーのことだ」といって米国の首都のことをけなしているのだそうです。これはガイドのハーさんの話。ちなみに、日本語もベトナム語として使われているのだそうです。お手伝いさんのことを「オシン」と言ったりするのだそうです。

夕方、ハノイの空港からフエの空港にプロペラ機で飛びました。フエ市の空港は小さな空港で、夜の到着で回りは真っ暗でした。サイゴン・モリンという品の良いホテルに宿泊し、翌朝そのホテルの前にあるフエ市人民委員会を訪ねました。フエ市からは、ニエン人民評議会副議長、ダエン・タン人民委員会副委員長(副市長)、タン社会福祉部長、チュー内務部長、ティエン文化通信部副部長、ヤギ財務部長、フェン清掃公社副社長、クー外交部副部長といった市の幹部が勢揃いでした。また、何故か内務省の職員のラム氏も同席していました(ひょっとしたら情報収集か?)。

フエ市は、人口が35万人の大きな都市であり、グエン王朝の都がおかれていた古都です。古都にふさわしい落ち着きのある都市であり、古城と王族の墳墓を全体として世界遺産に登録されているところです。「文化」という名称を冠した部長ポストがあるのもそのような影響かと思った次第です。

しかしながら、フエ市側と当方の議論は、行政改革、地方分権、財源確保、公務員人件費などの専ら現世的な議論に終始しました。フエ市の行革の成果としての、行政手続き簡素化、部局の統合、ワンストップサービスの導入といった実績の説明を受けました。中央政府のすぐ下にある地方行政組織の「省」から、「市」に土地利用免許、民間事業の免許などの権限がどんどん権限移譲されている模様も伺いました。それまでは、市の自由になっていなかった、職員管理、給料設定、共済制度運用、職員採用なども市が自らの裁量で行えるようになっているというお話も伺いました。ワンストップサービスの導入で、公務員の意識が、「権力行使」から「サービスの提供者」という方向に変わってきたというのが、フエ市当局者の話でした。

フエ市の財政に関しては、国営企業からの収入、個人事業者からの収入、直接の市民からの収入などで7割方賄われるが、3割程度は財源が不足し、「省」からの助成金に頼らざるを得ないとの話がありました。予め頂いている資料からは、詳しい財源構成は分かりませんでしたが、概ねの話としてはそのような説明でした。財政が厳しいので、歳出カットを試みているが、やはり公務員人件費の削減が大きな課題となっているとの話でした。ただし、ベトナムの場合には、民間企業に比較し、公務員の給与が低いので、2010年までの計画で給与のアップという計画があり、現在その進行途上なのだそうです。そうなると公務員の人数を減らすことを考えざるを得ず、職員の抵抗は強いものの、数の削減を行っているとのことでした。

ドイモイ(刷新;「ドイ」が「変革」、「モイ」が「新しい」の意)政策の中で、規制の撤廃も行われてきているようです。以前は許可が必要であった家の一定の建て替えは、環境配慮などの一定の事由がない限り、自由になったという説明もありました。しかし、ドイモイ政策の中で、国民全体に汚職が蔓延し、特に町村長の汚職や土地利用に関わる汚職が多いとの話もありました。

ところで、ベトナムには、省(日本の県に相当)と同格の一級都市として、ハノイ、ホーチミン、ダナン、ハオフォンの4都市があると聞いていましたが、フエ市の当局者の話では、ごく最近、フエとカントンが一級都市に加わったという話を伺いました。省と同格の市なのか、それとは少し違うのか、詳しい説明はありませんでしたが、日本で言う、中核市、特例市といったイメージなのかなあとことを思い浮かべながら聞いていました。

ベトナムの地方分権に関して、国際化の流れの中で国の政府の機能を重点化・特化し、地方の自主性、自立性を高め、国全体の活力を増すのだという認識を、フエ市の幹部もお持ちでした。しかし、そのための障碍は、ベトナムにも多々あるというのが印象です。仕事が電子化されていない状況、公務員の資質、効率性の欠如など様々な課題があります。フエ市のグエン・タン副人民委員長は、「ベトナムは、フランス、米国、そしてそのあとは中国、カンボジアとの間で、このところ戦争に明け暮れてきた。日本は第二次世界大戦後、戦争に国の精力を殺がれることなく国造りに国力を注げた。敢えて言えば我々には国造りの経験がない。日本の国造りに体験は我々にとって貴重だ。」という話を最後にされておられましたが、実感のこもった話のように思われました。

当方からは、予め日本の地方自治、地方分権の動きなどについてのベトナム語に翻訳した資料をお渡ししたうえで、「政治体制の違いはあるものの、ひょっとしたら米国と日本の差よりもベトナムと日本の差のほうが、より少ないかも知れない。日本は放っておけば生じる格差を個人のレベル、地域のレベルの双方でできるだけ縮めようとする方向で政府が機能してきている。その意味では、日本の国は『社会主義だ』と揶揄する学者もいるくらいだ」と我々のスタンスを申し上げました。その上で、「実は、その政府の位置づけが昨今の改革の中で見直されようとしているのですが・・・」ということを少し付け加えました。

フエ市役所を辞去した後、近くの世界遺産のグエン朝王宮跡、ティエンム寺、グエン朝の第4代皇帝の廟を訪問しました。中国風の王宮や廟は、ベトナム王朝の威勢を偲ばせるものがあります。フエは、この世界遺産を会場に、国際的な文化フェスティバルを行っており、つい最近も、日本から歌舞伎の一行がこのイベントに参加したと伺いました。文化遺産や世界遺産に興味のある方は、一度は訪れていただきたいところのように思われました。私どももフエ市を訪問できたことは思わぬ幸運でした。

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