始めてのハノイ
一度訪問してみたいと思っていたベトナムに来ています。7月4日から9日にかけて、政府ベースの公式訪問です。
社会主義国でありながら、地方分権により国の活性化を図りたいとするベトナム政府の要請により、日本政府の地方制度担当者がハノイでセミナーを開催する機会が設けられ、私もこれに参加することになりました。訪問地は、ハノイ市、フエ市、ホーチミン市です。
4日に成田を発ち、5時間半のフライトでハノイのノイバイ空港に到着しました。空から見るベトナムは、蛇行した川の周囲に美しい田園風景が広がり、あのベトナム戦争を凌いだ国とは思えないのどかな風情でした。
空港は、さすがに飛行機は少なく、発展途上を感じました。空港からハノイ市街地まで車で50分ほどの距離ですが、途中で、日本のODAで作った道路、キャノン、ヤマハの工場が目立ち、日本の経済援助のプレゼンスが大きいと感じました。最近では、こうしたハード面や経済支援面以外で、社会システム、人的支援面の協力支援の要請需要も大きくなっているようです。今回の訪問はその一環なのでしょう。
ベトナム人のガイドのハーさんは、ハノイ外国語大学の2年生で、インターネットなども活用し、熱心に日本語を勉強しているとのことでした。こちらの質問にも的確に答えていただきました。
ベトナムの民家が、レンガ造りで地震に弱そうに見えましたが、ハーさんは、「ベトナムは地震がないので、アネハしても大丈夫なのです」と一行を笑わせていました。なお、ベトナムでは、最近、鉄筋の代わりに竹をコンクリートに混ぜていたのが見つかり、問題になったとのこと。更に驚くべきは、それを発見したのは泥棒で、鉄筋を盗もうと思ったら竹が出てきて発覚したとのことでした。
ハーさんに、ハノイという地名の意味は、と聞くと、「ハ」は「川」、「ノイ」は「内」、つまり、「川内」という意味なのだそうです。ホン川(紅川)という北ベトナムの大河の沿岸に発達した古い都市なのです。
ちなみに、今はホーチミン市と呼ばれている旧サイゴン市は、「サイ」=西、「ゴン」=貢、つまり、西欧への貢物という意味があったのだそうです。西欧の植民地支配の中で19世紀に新しくできた街の歴史を現しているのかなあと思ったしだいです。
更に、ベトナムの意味は、「越南」なのだそうです。1000年に及ぶ中国支配を経て、自然に「越」の南の国という名前を受け入れたのでしょうか。主体性がないのではとも思いますが、日本だって、ジャパンという英語表記を自然に受け入れているのですから、他国のことは言えませんね。
ハノイに到着して先ず感じたことは、とにかくバイクで道が込み合っていること、雑然としているけれどもとても活気があること、信号機が少ないこと、暑いこと、でした。
ガイドのハーさんは、10年前は自転車ばかりだったのが今では自転車は少なくなりバイクに取って代わったこと、もう少したつと車社会になるのだろうけれども、混雑が大変だと予想されること、ベトナム人の給料は低いはずなのだけれども賄賂などにより結構お金をもっている人が多いこと、その賄賂の横行が社会問題になっていること、を話してくれました。
賄賂に関して言えば、交通違反を見逃してもらうために、賄賂を渡すことなどは頻繁なのだそうです。月給1-2万円が一般家庭の収入。工場団地で働く労働者は1万円以下なのだそうです。平均的な公務員は1.5万円くらいかなあ、という話でした。ガソリンはリッター90円くらいなのだそうです。日本よりは安いのですが、サラリーマンの収入と比べると目が飛び出る水準です。
しかし、このガソリン価格だからこそ、車の販売が押さえられ、ベトナムの環境負荷が抑えられているようにも感じられます。一方で、バイクは、3人に1台、一家に平均3台あるのだそうです。
ベトナムは、5月までの乾季が終わり、雨季に入っていますが、ハノイは今日は雨も降らずに暑い一日でした。明日は一日かけての日本とベトナム社会主義共和国とのお互いの勉強会です。私は、日本の地方税財政制度について話をしますが、「地方自治」の概念がこれまでない国にどこまでわが国の制度の実態がご理解いただけるかわかりませんが、努力したいと思います。
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