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July 17, 2006

法事帰りに垣間見た東京と地方の落差

岳父の一周忌が松本であり、菩提寺の住職に丁寧な読経をおこなって頂けました。禅宗の寺の本堂で枯淡の住職の話を聞くのは落ち着きます。

岳父と住職は旧制中学の先輩、後輩で、いろいろ相互に相談することなどもあったとか、寺と家の関係とか、普段伺えない話も聞くことが出来ました。

場所を移動して、松本館という、岳父がとても気に入っていたというクラシックな料理屋で夕食を親戚で供にしました。建物自体が文化財のような施設で、竹久夢二が酔狂で屏風やふすまに描いた山河の風景などもある料亭です。お集まりの親戚の皆さんの平均年齢は高く、年輩者向けにこしらえた和食を頂きながら、それぞれの親戚同士の繋がりなどについて、確認をしていました。

一覧性のなせる技というかなんというか、その場に集まればその間の繋がりを確認する思考回路が動くのですね。結婚式やお葬式は、親族のネットワークの維持継続の意味でも大事なのかも知れません。合理性だけで簡単に結婚式などを済ませることは、ネットワークを断ち切ってしまうことにつながりかねません。

松本への行き帰りは、車でしたが、首都高を新宿で降りて山手通を恵比寿方面に走る途中で、新しい首都高速が増設されているのが目につきました。東京は更なる大改造です。次のオリンピックへの立候補も考えているようです。都が出資した銀行までも作ってしまうのですから。官民問わず東京の社会資本整備(整備というよりも機能アップか)が、急ピッチです。

一方で地方は、と言えば、最近見聞きした長野県の木曽川右岸道路の膠着状態を例に引くまでもありませんが、物流関係の社会資本整備が遅々として進みません。財政だけでなく思考回路も大渋滞の様子です。政府自身の財政再建路線や地方に回す財政資金圧縮の動きの影響が大きいのはもとよりですが、地方も、本来、財政は政策の手段であるのに、財政再建自体を何にも増しての政策目標にすることで、地方自らが更に深刻な自縄自縛に陥ってしまい、結果として東京への社会資本整備の一極集中という奇妙な現象を起こしているように思えます。

民間資金も同じです。資金需要のない地方から、東京の商業施設・マンション建設などに大量の資金が流れ込んでいると伺っています。官民挙げての東京集中です。長野県を例にとると、経済的ポテンシャルの高い長野県が、この数年、人口は社会減するは、県民所得は大幅に落ち込むは、で、縮小均衡の経済社会になっています。

省庁再編で国土庁という役所が無くなりました。国土庁の機能として、国土のグランドデザインを考えるという機能がありました。それを独立させて一人の大臣をおいていた。現在は、旧国土庁の機能が国土交通省、総務省をはじめとして、各府省に分散されました。その結果、日本全体の姿の将来設計を、専門組織として考えるところが無くなってしまったような気がしてなりません。その結果、目の前の経済効率性、市場原理だけで社会資本整備などが進められ過ぎているように思えてなりません。

これだけ東京に機能を集中させて、直下型地震が東京を襲ったら、一網打尽じゃないかと、危惧します。河田京大教授をはじめ防災の研究者は、そのことを本当に心配しています。「今の東京集中は、危機管理上からも危ない動きだ」、と。

若手経済学者の中には、東京で稼いだ金を回してもらっている地方は、東京に感謝すべきで、それをしないで要求ばかりするのは「頭が高い」と、地方を見下したような論評をする人さえいます。この様な学者は、防災用語でもある「リダンダンシー」とか「リスクヘッジ」の本来の意味をご存じではないように思えます。

東京は、首都がたまたまあるというだけで、金も、情報も、人材も全国から集まっています。それは東京の努力でそうなっているわけではありません。政府が東京を首都と定め、それを日本全国で支えているからこそ、首都が成り立っているのです。人間が、首から上だけでいけれないのと同じです。「頭でっかち」な日本にならないように、公の制度でこれを修正しなければなりません。しかし、その羅針盤を作る機能が、今は停止しているような気がします。そして国土庁という機能が無くなったことはその象徴のような気がしてなりません。

バブル経済崩壊後の景気対策として、「経済界の要請」で、公共事業を大幅に積み増し、自治体に無理をお願いして事業をしてもらいました。経済紙などは社説で財政政策出動を要請しました。『地域振興券』などというお札代わりの買い物券を国民に配ったこともありました。財源は「公債」です。

今は、経済界も、公には無駄が多い、その証拠に借金残高が多い、無駄を排除して国民負担を下げるべきだ、公の機能を民間に移し替えて行くべきだ、と言っています。経済不況の時代に、自らが公需の発動を働きかけたことなどはケロッと忘れています。

累積債務のツケを、公務員制度全体で払う(人員削減と給与カット)ことになろうとは、公共事業積み増しを主張した事業官庁は思ってもみなかったでしょう。

一般住民も健忘症です。長野県に関して言えば、長野オリンピック成功に一致団結した県民が、今はそのオリンピックを成功させるために投資した社会資本整備の借金がおかしいという主張に耳を傾けています。しかし、オリンピックは「ただ」では出来なかったのです。長野県の県債残高の現状は、長野オリンピックの成功と裏腹です。県債残高を問題にする人は、オリンピックはやらなければ良かったと言っているのとほぼ同義のように、私には聞こえます。長野新幹線も、オリンピックに間に合わせるため優先施行しました。整備新幹線建設には県の負担もありますが、その長野県の負担を減らす為に交付税参入も行いました。県債残高批判をしながら、頻繁に長野新幹線を利用しているのでは、口と行動が不一致です。そういう人は少なくとも「しなの鉄道」を使うべきです。

2002のFIFAワールドカップも同じです。あのワールドカップは、地方財政負担で実施にこぎつけたと言っても過言ではありません。私のいた茨城も鹿島スタジアム及びその周辺整備で莫大な支出をしました。サッカーファンには、そのことを分かって欲しいですね。その上で、今の現状の評価をして欲しいと思います。

つまり、物事には、両面あるということを言いたいのです。片方しか見ないで批判ばかりしては、オリンピックやワールドカップを下支えした人たちが可哀想ですし、判断を誤ります。そして、長い目、大きな目で物事を見て欲しいと思うのです。各論だけの視野狭窄の議論だけでは判断を誤ります。

政策というのは、中長期で見ると、正反対のことを平気でやって、しかも、長い時間軸の中での政策の矛盾は気にしないところがあります。しかし、やはり矛盾は矛盾として認識はしておく必要があります。その上で、これからどうするかを判断することが必要です。法事に出席すると、何故か、長い時間の中でものを考えたいなあという気持ちになります。そういう眼で見ると、自立し醒めた思考で今の時代の動きを眺めることが出来るようにも思えます。

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