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May 04, 2006

「田植え」はお祭り

連休後半の憲法記念日の5月3日、知り合いの専業農家百瀬卓雄さんの田植えを手伝いに、長野県東筑摩郡波田町の百瀬農場に行きました。3世代にわたる一家総出の農作業への飛び入り参加です。

晴天の天候の下、アルプスにはまだ雪がたくさん残り、大町方面の爺が岳、鹿島槍ヶ岳の気高い雪山をバックに絶景の元での田植えとなりました。
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田植えを手伝うのは、中学生以来でしょうか。昔と違い、今は手植えではなく、すべて田植え機による作業なので、少し味気ないものですが、百瀬農場の田植え機は、一度に10筋の幅で苗を植え付ける大型機で、卓雄さんの話では、長野県内では、この一台しかない、とのことでした。百瀬さんによると、「この田植え機は三菱製で、三菱は自動車はたいしたことはないが、田植え機は高性能だ」と冗談を言っておられました。

私は、つなぎの服に着替え、長靴を履き、田植え機に乗込みました。田植え機の操作は初めてなので、最初は、苗の補給の手伝い、そして試しに、田植え機の操縦もさせていただきました。百瀬さんの娘婿の方に操作を教えていただき、30アールの田んぼを一往復分分担しました。

真っ直ぐに田植え機を操作すると言うのはなかなか難しく、自分のやった田植えの後が、いかにも素人の田植えのようで、曲がりくねっているのです。「曲がっちゃったね。手伝いに来て、これでは営業妨害かもね」と謝りましたが、「初めてにしては、うまいもんだ」と慰められました。

私たちが子供のころは、安曇では、田植え休み、稲刈り休みというものがあり、子供も農作業を手伝いに駆り出されたものです。私よりも前の世代は、学校行事としてイナゴ取りに田んぼに入り、採ったイナゴを売って、それを学用品代に当てたということも伺ったことがあります。

昼時になり、田んぼの脇にある選果場の敷地内で、シートを広げ、車座になってお弁当を食べました。百瀬農場のお米のおにぎり、おはぎ、漬物、すべて自家製の心づくしです。私が、田植えは、お祭りのようですね、と問いかけると、百瀬さんは、「田植えは昔からお祭りなんだ」、と顔をほころばせておられました。

百瀬さんの孫も5-6人一緒にお弁当を食べましたが、3世代が一堂に会して農作業のあとの弁当を広げる風景は、一昔前の牧歌的な安曇野の風景を思い出させました。一家総出で共同作業をする中で、家族の絆が生まれ、地域のコミュニティーも出来上がっていたのです。今は、家族の個人個人がばらばらで、同じ目的で同じことに取り組みことがありません。百瀬一家を見ていて、農業には他の産業にない、家族やコミュニティーの絆となる機能があることを再認識しました。

ところで、このあたりは、5月の連休から田植えが一斉に始まりますが、昔は水が少なく、そのようなことはなかったのだそうです。水の確保があと順番となった農家は夏になってやっと田植えができたというところもあったようです。水争いも熾烈だったようです。梓川の農業水利事業により、水利が確保できたことで、どの農家も早めの田植えが可能になったということでした。のどかな田植えの背景には、先人の苦労の積み重ねがあるのです。田植えの合間に、地域の農業水利の歴史も伺える、貴重な機会となりました。

夏には、自分の植えた稲が育っているか、また秋には、その稲の実りを確かめにまた伺いたく思いました。

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