故郷の合併@筑北村、安曇野市
2月26日の日曜日に、長野県筑北村と安曇野市の合併式典にダブルヘッダーで参加してきました。筑北村は、3村が合併して人口6000人弱の村が新たに誕生しましたものです。安曇野市は、5町村が合併して人口10万人弱の市が誕生しました。
午前中に行われた筑北村の式典では、関森省吾村長が、合併しても人口が国の最低基準1万人に満たないが、小さくてもきらりと光る村づくりをしていきたいと抱負を述べておられました。筑北村の合併議論の中で、この地域の扇の要である麻績村が離脱したことがあり、どうなるかと思われましたが、残る3村で合併にこぎ着けたとのことでした。
その後、麻績村の村長選挙があり、合併推進派の飯森文治村長が選ばれており、次の段階の合併動向も注目されます。
合併に伴い、旧本城村長の一之瀬守さん、旧坂北村長の青柳修三さん、旧坂井村長の山田一榮さんが共に引退されました。新村の関森省吾村長は、旧坂井村の助役から当選された方です。引退されたお三方には合併功労表彰が行われましたが、地域の発展を願い自らの地位を顧みることなく合併という決断をされた方々には、本当に頭が下がる思いがします。元の部下が新村の村長として先輩を見送る風景は、端で見ていても極めて機微なものを感じました。
午後は安曇野市の合併式典でした。安曇野市は、全くの偶然ながら私自身の出身地です。「安曇野」は、旧堀金村出身の臼井吉見氏の長編小説「安曇野」で全国に知られるようになりましたが、今では小説の題名を離れて人々の脳裏に定着し、押しも押されもせぬ全国ブランドの名称となっています。その人気もあり、長野県内では珍しく人口の増加地域でもあります。
関東農政局安曇野農業水利事務所が刊行している「安曇野水土記」という冊子がありますが、その中で農業用水利を中心とした安曇野の風土の形成に当たっての先人のご苦労が描かれています。この「安曇野水土記」によれば、安曇野の農地1haを潤す幹線水路の長さは、全国の2倍、長野県全体の1.2倍であり、安曇野は農業用水利の密集盆地であることが分かります。
この農業用水利の密度に象徴されるように、安曇野は地域内相互の関係が濃い地域ですが、それでも合併に至るには紆余曲折がありました。住民アンケート調査が行われた結果、旧穂高町では反対が多いという結果が出たことにより、住民説明会を実施した上で、住民投票条例により再度住民の意向確認を行い、賛成多数でなんとか合併に至ったという経緯がありました。
おまけに、旧5町村の最大人口を有する2町の旧穂高町長の平林伊三郎さんと旧豊科町長の村上広志さんが新市の市長選に挑み、僅差の結果、旧穂高町長の平林さんが新市長に当選するという経過を経て、安曇野市が誕生したといういきさつがあります。
私自身は、勝敗が分かれたお二方とも存じ上げていることもあり、大変複雑な心境でした。しかし、選挙の後は、まさに「ノーサイド」ということで、新市発展のためにお互いに協力するという立場に立っておられます。
こういうこともあり内心複雑な思いを感じつつも、出身地の合併式典に参加できたことは大変光栄なことでした。何人もの知り合いの方々とも久しぶりにお会いできました。
安曇野市の式典は、豊科公民館大ホールで行われましたが、この公民館は、私が子供の頃からある古い施設で、地元の方々は大切に使っておられます。35年以上も前の中学生の頃、この会場で音楽発表会をやった記憶が鮮明に蘇ります。当時の青年・壮年であった恩師は皆退職されておられます。
当時まだ小学生であった近くのプロパン会社の息子であった藤森康友さんと久しぶりにお会いできました。藤森さんは、「会場でお見受けした時は、あれ?!っと、すぐ見たことある方だ」という35年ぶりの印象だったとのこと。彼は現在はその会社の社長に就かれており、同時に新市の市議会議員になっておられました。「国の動きのことももっと勉強していきたい」と語っておられ、心強く感じました。故郷の合併式典に参加し、地域社会はその担い手は変わってもきちんと引き継がれていることを実感した次第です。
安曇野市の合併式典の最後に、合併旧5町村の中学生が、「安曇野市に望むこと」という作文を読み上げていました。その内容は、異口同音に美しい自然環境を賛美し、これを自分たちの手で将来に向けて保存することが、第一の課題であるとのことでした。子供なりに、自分たちの住んでいる地域の恵まれた環境を強く意識していることに安心しました。こういう子供が育てば、将来にわたってこの地域は健全であり続けるように思えました。
式典には旧町村との交流を行ってきた江戸川区、武蔵野市、埼玉県三郷市、奈良県三郷町、岩手県遠野市からも来賓がお越しでした。この地域の自然環境に惹かれて都会とだけではなく、他地域との交流が行われてきたのです。江戸川区長の多田正見さんからは、保養所を30年前に設置し、爾来江戸川区民がこの地域に大いに愛着を感じる機会を得られているという話がありました。邑上守正武蔵野市長からは、武蔵野市の小学生がセカンドスクールで交流を重ねている現状のご披露があり、ご自身のご子息の安曇野体験の話をされておられました。
各世代がそれぞれの立場で繰り返して都市と農村の交流を重ねる中で、お互いの間にシンパシーが高まるものと思われます。こういうシンパシーを前提に地方財政制度を構築していくことが今こそ求められていることを合併式典を通じて感じた次第です。
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