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February 12, 2006

黒四ダム着手50周年の年の大町市合併

2月11日、大町市の合併記念式典に参加してきました。旧大町市にとっては52年ぶり、旧美麻村、旧八坂村にとっては、100年以上前の明治の合併以来の出来事でした。

恵比寿から埼京線で大宮に出て、長野新幹線で長野で降り、オリンピック道路を通り大町まで、3時間余りで到着です。長野駅までお迎えいただいた大町市財政課長の吉澤義雄さんの話では、中央線で東京に出るよりも長野経由の方がずっと速いのだそうです。

白馬方面も同じで、新幹線で長野まで来て、長野からバスが白馬まで出ており、東京方面のスキー客はその交通手段を選択しているのだそうです。大町市まで新幹線を使ってきてみて実際にそれを実感しました。帰りは松本経由で帰ったので、その差を再認識しました。

長野オリンピックのインフラ整備は、人の流れを大きく変えました。その結果、大糸線で白馬まで来る特急「あずさ」の本数が減少するということにもなっているのだそうです。

大町市街に入る直前に、大町スキー場の脇を通りました。幼稚園に通っていた頃、始めてスキーを始めたのがこのスキー場でした。初心者コースのみのスキー場です。土曜日の午前でしたので、閑散としていましたが、思わず40数年前の始めてスキー板をはいてわくわくした感動を思い出しました。何故かそういうことは覚えています。私は、諏訪で生まれましたが、その後父親の勤務の関係で、小学校入学の春まで大町市に住んでいました。

その地域の合併記念式典に参加できるのですから、私にとっては大変光栄なことです。

しかし、残念ながら、幼稚園の頃と小学校入学時の友人関係が記憶になく、寂しい思いもしていました。しかし、偶然ということはあるのです。11日にお昼を「創舎」という会社の「わちがい」という名前の郷土料理屋で頂きましたが、そこの「社長」の渡邉充子さんと話をしていると、その方が、私と同い年で、小学校も大町小学校で一緒。同じ時期の入学であることが判明しました。私は、1年生の春に大町小学校から転校したために、クラスメイトの記憶がありません。

渡邉さんオリジナルの豆腐や郷土の野菜、黒豚を使った郷土料理に舌鼓を打ち、ツーショットを撮りました。大町市には美人が多いと言われていますが、渡邉さんも典型的な大町美人系で、あとで見ると、写した写真の中で私も随分幸せそうな顔をしているのでした。

写真を撮って頂いた大町市の吉澤財政課長も、大町小学校の3-4年先輩だそうですが、配慮のないことに吉澤さんとは写真を撮るのを忘れました。吉澤課長さん、御免なさい。

渡邉さんは、地元のお医者さんの歴史ある旧家を借り、地元の蔵元の協力を得て、郷土料理屋「創舎」を創設し、自ら「舎母」と名乗り、運営を切り盛りされています。「そのうちに『舎婆』に名前を変えないと」などというユーモアのセンスもある、感性の豊かな方でした。

合併式典は、恙なく進行しました。腰原愛正市長の挨拶では、当初、白馬村、池田町、松川村を含めた大北7市町村の大同合併を目指したものの、最終的に、大町市と八坂村、美麻村の3市村の合併で落ち着いたということでした。

それでも合併ということは大変なことだというのが、関係者の実感のようです。当初、合併特例で、議員定数の特例を暫時継続する予定でいたところ、世論の批判があり、特例を止め、旧八坂村、美麻村を代表する市議会議員は、それぞれ一人ずつになったのだそうです。突如身分を失うこととなった村議会議員の皆様からは、「だまし討ちじゃないか」という反発も出たようですが、世論の正論にはなかなか逆らえず、この様な決着となったとのことです。

大町市は、槍ヶ岳を境に、松本市、岐阜県高山市と接しています。北アルプスの中北部を擁し、黒部ダムの入り口にもあたり、豊富な自然と温泉により、無限の可能性を秘めています。また、合併記念式典では、地元の少年少女合唱団、アルプスシンフォニックバンドの皆様の演奏もあり、高い市民文化度を感じさせるものがありました。今後の更なる発展を期待します。

その晩は、大町温泉郷の関西電力系のホテルに泊まりました。ホテルのビデオを見ていると、黒四ダム建設の記録がありました。昭和31年からのダムの企画・建設の歴史がフィルムに記されていましたが、思わず食い入るように見てしまいました。当時は黒四ダムの建設で多くの方が大町市にも集まっていました。私が通った幼稚園・小学校も、当時は子供が随分と多かった記憶があります。これは、ダム建設関連の結果だったのです。当時はアルプスの山中で繰り広げられていた自然との苦闘に関しては何も知らないでいましたが、50年近く前の大自然に挑んだ開発の歴史が自分の幼い頃の成長時期とも重なっていたことを感じる機会となりました。そう言えば、今年は黒四ダム開発開始50周年の年なのです。
http://www.hazama.co.jp/kuro/kuro.htm
現在は、経済成長という出来上がった成果物を享受しながら、「脱ダム」といったことが言われますが、当時は、ともかく貧しい日本を経済成長させるための電力インフラをなんとか整備しなければならないということで、国家プロジェクトとして取り組んだ事業だったはずです。その結果経済的余裕の出た日本の今の現状をどの様に考えるべきか、考えさせるビデオでした。

ビデオに映っている昭和30年代の働き盛りの日本人の顔は、黒光りし、目が輝いています。目標に向かって一丸となっていたことが伝わって来ます。ちょうど、現在の中国やベトナムの人たちの姿と二重写しとなります。それを社会の発展の一過程、と言ってしまえばそれまでですが、現在の日本には、先人の作った遺産に安住するのみではなく、新しい価値を創造するという新国家目標を再構築しなければならないのだと、自分自身の思い出の地の合併式典に参加した機会に、感じた次第です。

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