生涯学習による村づくり@阿智村と浪合村の合併
1月7日、下伊那の阿智村、浪合村の合併式典に立ち会ってきました。平成18年1月1日に合併したばかりの新阿智村の誕生式典です。
6046人の阿智村と769人の浪合村が合併しても6800人余りの村です。私にとっては始めて訪れる地域でした。
浪合村は72年の村の歴史に幕を閉じ、阿智村への編入合併を決意し申し入れました。浪合村では住民投票を行い、阿智村では住民意向調査を行い、民意に添って合併を決めたとのことでした。元々は飯田市との合併構想があったもののこれが頓挫、次に下伊那西部4ヵ村の合併を目指したもののこれも頓挫、その後阿智村中心に4ヵ村での緩やかな連合構想を立てる中で、「小さいが輝く村」の理念に合致する合併として今回の合併を実現することとしたという経緯が、岡庭一雄村長のご挨拶の中で淡々と紹介されていました。
浪合村は次部坂高原の開発で、中京の軽井沢的な位置づけとなってきました。トヨタの保養所などが設置されているとのことです。阿智村は工業化を図り、昭和48年に湧出した昼神温泉を中心に温泉観光でも有名です。「東海地域に最も近い信州の観光地」として今後とも発展を目指すとの意気込みでした。
車の中で伺った岡庭村長の話では、国鉄中津川線のボーリング調査中に昼神湯の瀬地積で温泉が湧出、中津川線は工事が凍結されたものの、温泉権が村に譲与され、村は風俗営業を閉め出すなどの健全な温泉観光地づくりを目指し、現在に至っているとのことでした。風俗営業を行う温泉旅館には、村が温泉供与を行わないという条件を提示したことにより、健全で安心して憩える一大温泉地が形成されてきたとのことでした。アルカリ泉質の温泉は、肌がすべすべで湯冷めせず、大変効能の高い温泉です。村長のご配慮で、私も15分ほどですが、「烏の行水」を楽しみ、お陰様で翌日の朝まで体がぽかぽかでした。
合併式典では、長野県歌「信濃の国」に「訪ねまほしき園原や・・・」と歌われた阿智村園原の里に伝わる木賊獅子と呼ばれる獅子舞の披露がありました。園原の枕詞が、「木賊刈る」に因んだ呼称のようです。(木賊というのは植物の名前で、次のリンクにある植物です。 http://www.hana300.com/tokusa.html )小学3年生と4年生が初々しい獅子舞を演じていましたが、地域に伝わる伝統文化を大事にする地域社会の姿勢は立派だと思います。
阿智中学校2年の熊谷ヒロチカ君と浪合中学校2年生の高木タクヤ君の作文朗読もありました。二人とも生徒会長だそうです。旧村が相互に交流して双方のよいところを全国にアピールしていきたいとの前向きな決意には、村の将来の担い手として思わず頼もしさを感じました。こういう若者がいる限りは、下伊那の村は大丈夫だと思えました。壇上で高木君の作文を聞いておられた浪合村の伊藤義寛前村長は、特に感慨深い表情をされておられました。
ところで、浪合村は、小中学校を併設し、村民みんなの学校ということで「浪合学校」と呼んで、住民みんなで共有・活用。そのうえ、住民参画による学校づくりの議論がそのまま村づくりの議論へと発展・実践に結びついてきたのだそうです。
阿智村も、村民一人一人の能力を高めることで自立した村作りを進める覚悟があるとのことでした。岡庭村長は、村民が5人以上集まった学習グループに助成を行うプランを考えておられるようでした。私からは、「スウェーデンでも同じ取り組みをしていますよ」、と申し上げましたが、「進取の気概」に富む伊那にふさわしい成果が上がることを期待したいと思いました。阿智村では全戸に光ファイバーを敷設し、生涯学習の道具立ても整えつつあります。テレビ放送の地上波デジタル放送が始まっても阿智村は対応できる基盤整備がなされています。進出企業からは、阿智村に進出しても都会と同じ通信環境で仕事が出来ると大好評だそうです。山村振興の現代的な視点を垣間見た思いがしました。
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