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January 26, 2006

竹取物語に学ぶ少子化対策

国際日本文化研究センターの川勝平太教授が総合開発研究機構(NIRA)の政策研究誌に面白い論文を書いておられます。表題は、「第3のパクス・ヤポニカの可能性」というものです。

比較文明論が専門の川勝教授は、日頃からその広い視座に立つ発言に注目していますが、今回は、少子化対策を歴史的視座に立って提言しておれられます。

日本の場合、逆説的ですが、戦争の時代、社会混乱の時代には人口が増えるが、社会に平和が戻り生活が安定すると今度は増加率が急減し、やがて人口が安定化するのだそうです。

弥生時代の日本の人口は60万人。奈良時代は450万人。平安初期は550万人。それから更に100年たった平安前期には640万人まで増えたものの、平安後期になっても人口は680万人にとどまり、900年から1150年の250年間は「人口微増」なのだそうです。弥生から奈良時代の人口急成長期を経て、10世紀、12世紀へと人口成長は鈍化し停滞期になっていったのだそうです。

その後、人口は再び増加に転じ、保元・平治の乱、源平合戦、鎌倉幕府、南北朝の乱、戦国時代と続き、江戸時代初期に至るまで人口が増え、江戸初期には1200万人となり、江戸中期には3100万人に達したそうです。江戸時代の最初の100年はまだ暴力行為を社会がコントロールできていない時期と考えられるという認識です。

その人口増が、暴力行為が社会から消えた江戸中期以降に止まり、明治初期でも3300万人と、150年間で人口は微増にとどまったとのことです。

このような人口動態のマクロ的な経緯を振り返り、川勝教授は、戦争の時代、社会混乱の時代には人口が増えるが、社会に平和が戻り生活が安定すると今度は増加率が急減し、やがて人口が安定化する、という仮説を立てておられます。

この傾向は明治以降も同様で、明治から太平洋戦争までの激動の時代に、1900年の4000万人が、太平洋戦争時には8000万人に増え、戦後復興、高度成長を経て人口は1億人に達しました。そして、高度成長も終わって安定期にはいると、出生率が低下を始め、遂に合計特殊出生率は1.3を切りました。

川勝教授は、平和な時代には、女性の社会的意志が働きやすい、社会が不安定であったり、ましてや戦争となると、女性は力を発揮しにくい、とし、平安後期と江戸後期に人口が安定したのは、女性の社会的意思の表れだったと判断されています。平安後期にはたおやかな女流文学が生まれ、江戸後期には、間引きを始め人口調節を女性が行っていたということを証拠に挙げておられます。

さて、そのことを前提に、現代の日本の少子化問題に関し、女性の社会的意思がどのように働くのか見極めが重要と指摘されておられます。現代の女性は、仕事と子育ての両立で悩み、その悩みを克服出来さえすれば、「統計的趨勢」は変えられると予測しています。

その上で、事実婚の社会的認知、婚外子の差別撤廃と並び、「おばあさん」の効用を課題として挙げておられます。

長谷川真理子教授や松井孝典教授の唱える説に、「おばあさん仮説」というものがあるのだそうです。哺乳類のメスは子供を産めなくなれば例外なく死ぬ(ペットなどの人間の手の入ったほ乳類は除く)が、現世人類にだけ「おばあさん」という更年期を過ぎて子供を産めなくなった存在がおり、現世人類が人口を増加させることが出来たのは、若い女性が出産や子育てをする上で、その経験を持つおばあさんの存在が大きかったという仮説なのだそうです。

桃太郎、竹取物語、一寸法師などおばあさんが自分の身内でない子供を育てる昔話があり、実は、おばあさんの存在は現世人類が誇りうる存在だと、結論づけています。

保育園で若い保母さんに加えておばあさんを活用する方策により出生率向上を果たし、人口を定常状態に戻すことにつながる、という面白い発想になるほどと思いました。こういう提言も比較文明論の成果なのです。

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Comments

収入はないけれど、また金銭では測ることができないけれど、おばさん力、おばあさん力は社会にとって大事な役割をしているのですよ。
私もがんばらにゃー・・・

Posted by: 海老原典子 | February 01, 2006 at 10:46 AM

同様の趣旨を同年齢の女性から伺いました。
以下、引用します。やはり、異性の意見は勉強になります。

@@@@@@@@@@
とてもおもしろいお話ですね。
私も比較文明論というか文化人類学というか社会学というか、ついでに生態学も含めた学際分野には興味があります。
けれどもっとシビアな関心は少子高齢化社会における初老の女性の負担にあります。

確かに、今の社会をみると夫がリタイアするころの妻たちは身も心も会社生活ですり減らしてしまった男性に比べ元気いっぱい、のようにも思えます。
その貯め込まれた皮下脂肪じゃなかったパワーをただひたすら消費に向けてしまうのは世の中の大きな損失であると、私は常々思っております。

が、あと10年もすれば自分もその立派な一員になれるという前提にたつと実際問題どう考えてもとっても大変なんです。
何がって、自分や夫の両親ばかりか、親戚は老人ばかり、おまけに夫も元気いっぱいとは言いがたい。
見かけは若作りの私も、仕事と家事とに加えてあちこちで病人が続出してそろそろ息切れしてきた。

お教えいただいた比較文明論で抜けている視点は元気なおばあさんは他の老人の面倒も見ないといけないことです。
4~5人に一人が65歳以上なんていう今までどこにもない世界が到来するのです。
山間地域では既にもっとすごい現実なのでしょう。
おばあさんだって大変なのよ。

子育てが大変なのはよくわかる。
おばあさんのサポートも価値があるでしょう。
けれど核家族のお母さんが子育てで苦労しているのはおばあさんがいなかった以上に、
お父さんがいなかったからではないのか?
そして、おじいさんはどこでどうしているのか?
年をとったら面倒見てもらおうなんて思っていたら大間違い。
まずは自分のことは自分でできるように、次に人のお世話ができるように、仕事を取ったら生活さえできないなんてことがないように今から練習しておきましょうね。
お父さんも、おじいさんもとっても重要な当事者です。
仕事以外にない、社会の一員として存在しないのは寂しすぎます。

女性の視点というのはこういうものではないかしら?

個人的には、小さな子供のように手のかかるおじいさんも嫌いじゃない。
過密な日本社会は人口が適度に減少したほうが暮らしやすいとも思う。
ダウンサイジングは女性が無意識に選んだ種の保存の道かもしれない。
しかし当面溢れる老人をどうするか、その問題解決の当事者が我々なのだと思う。

Posted by: むーさん | January 30, 2006 at 10:35 PM

祖母の立場から:現在50,60代で職業を継続している女性は「母がいたからできた」と仰言います。でも孫の世話をすることはないでしょう。女性の社会進出が進み出産年齢があがると、いわゆる専業主婦も祖母になる年齢が高くなり体力も弱り、その頃両親の介護も始まるというのが現状です。女性が職業を持つことが当然となる今後、介護・育児の社会化が進展・充実することを望みます。

Posted by: 海老原典子 | January 30, 2006 at 12:39 PM

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