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December 08, 2005

昭和天皇が惜しんだ後藤新平の先見性

過日都心のホテルで職場の元同僚の結婚披露宴がありました。お相手は都庁にお勤めの才媛です。新婦は、都庁の元特別職の秘書をお勤めの経験があり、その元特別職の方が新婦側の主賓として招かれていました。

その主賓の方にご挨拶をしながら、「霞ヶ関と都庁が親戚になりましたね」などという他愛もない話をして盛り上がりましたが、後日、その元特別職の方から文庫本が送られてきました。郷仙太郎という著者の書いた「小説 後藤新平」(学陽書房)という本です。「献本」とあったのでよくよく著者を見ると、その元特別職の方が筆名で記した本だったのです。

恥ずかしいながら、それまで後藤新平と江藤新平の区別が十分に出来ていないくらいだったのですが、この本を読んで、両者が全く違う人であることがよく分かりました。

戊辰戦争の賊軍側となった没落士族の家系の後藤新平は、苦学の末、文字通り自らの能力と努力のみで、若くして台湾民政長官、満鉄総裁、内務大臣、外務大臣、東京市長、関東震災後の帝都復興院総裁などの要職を歴任し、明治維新後の日本の国造りに強烈に関与した足跡がエネルギッシュに伝わってくる内容となっています。

能力に裏付けのある器量の大きな人物というのは、この様な人のことを云うのだということが、著者の文章から熱っぽく伝わります。若手抜擢、能力主義による人材登用など、今日的な視点で見ても十分通用する組織運営の手法にも長けていたことがよく理解できます。

目的を設定するとそのために最も効果的な手段を執ろうとする。そのために財政当局や周囲との軋轢が絶えなかったエピソードもふんだんに盛り込まれています。しかしそれにめげないところが、後藤新平の後藤新平たるところのようです。

以下、断片的ですが、印象深い記述内容を紹介します。

都市計画的な発想で関東大震災後の帝都復興を企てた後藤の復興計画が結果として実行されなかったことに関し、昭和天皇が、昭和58年の記者会見で、「それが実行されていたら戦災がもう少し軽く、東京あたりは戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時のあの計画が実行されないことを非常に残念に思っています」と言及されたという、今となっては知られざるエピソードが紹介されています。昭和天皇は、後藤のブレーンであるチャールズ・ビアードの「東京市政論」(都市計画についての実践提言)が自らの青年時代の愛読書の一つだったとのことです。

関東大震災の年に難波大助が起こした摂政の宮(後の昭和天皇)襲撃事件(虎の門事件)の際の警視庁警務部長の正力松太郎は、警備上の責めを負って懲戒免職処分になって失業中に、少し前まで内務大臣として上司だった後藤新平を訪ね、「部数が5万部に落ちてどん底の読売新聞を買収して経営したいのですが、至急10万円が必要です。何とかならんでしょうか。」と金の無心をした経緯が紹介されています。後藤は、1-2分考えて承知し、「新聞経営は難しいと聞く。失敗したらきれい捨てて、未練を残すなよ。金は返す必要はない。」といったくだりが書かれています。実はその金は、後藤が麻布の今の中国大使館が建っている場所にある自宅を抵当に入れてつくった金だったと書かれています。正力が金の出所を知ったのは後藤が亡くなってからのことだとも。

読売新聞の黄金時代を築いた正力松太郎氏の影に、後藤新平がいたのです。たまたまこの本を読んでいるときに、懇意の読売新聞の政治部記者がひょっこりとタイミング良く遊びに来たので、「このエピソード知っている?」と聞くと、「読売関係者の中では結構有名です。昔は大雑把でしたね。」という話の落ちまでありました。

後藤は、有能な人への個人的援助を惜しまず、右は北一輝から左は大杉栄まで多くの人を援助し、多額の借金を残して亡くなったのだそうです。そういう人が昔はいたのです。

晩年は、現在のNHKにあたる東京放送局総裁、ボーイスカウト総裁などを勤め、ボーイスカウトでは、「自治三訣」すなわち、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」と説いて歩いたのだそうです。

明治大正時代の器量が極めて大きな役人・政治家の足跡を駆け足で辿ることが出来るのですが、現在の霞ヶ関の桎梏の現状と引き比べると、やや複雑な思いをせざるを得ないところです。

著者の郷仙太郎氏から、この本をお送りいただいたのは、「君らまだ若いんだから大きな目標を見失うなよ」、との温かいメッセージが込められていたのだろうと、勝手に考えた次第です。これも一期一会でしょうか。

ところで、後藤新平は、大正7年に内務大臣から外務大臣に横滑りしたのですが、今年の衆議院選挙後の内閣改造で、麻生総務大臣が外務大臣に就任され、内政を知った上で外交の責任を担うことは画期的だとの評価も新聞紙上で為されましたが、過去に少なくとも後藤新平の例があったのだと、再認識した次第です。これは蛇足です。

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