三位一体改革決着
三位一体改革が平成17年11月30日の政府・与党合意で決着しました。3兆円規模の税源移譲が何とか実現することになりました。
2002年6月の閣議決定で、「国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分の在り方を三位一体で検討」することとされて以来、3年以上に亘り議論してきた結果がまとまりました。
2003年6月の閣議決定では、国庫補助負担金について、「4兆円程度を目途に廃止、縮減」を行い、「廃止する国庫補助負担金の対象事業の中で引き続き地方が主体となって実施する必要のあるものについては、税源移譲する」とされ、翌年2004年6月の閣議決定では、税源移譲の規模を「概ね3兆円」と明示し、併せて、「地方公共団体に対し、国庫補助負担金改革の具体案をとりまとめるように要請」しました。
爾来、政府内部はもとより、地方公共団体を巻き込んでの議論となりました。
3年余の議論の結果は、4兆円超の補助金改革額が実現し、税源移譲額としては3兆円超の税源移譲が実現することになりました。
しかしながら、税源移譲の元となった補助金負担金改革に関しては、内容的に問題が多いとの指摘もあります。
地方公共団体側から見て評価できる点としては、以下の点があげられています。
① 3兆円の税源移譲を達成。
② 地方公共団体が反対していた生活保護負担金の削減は回避。
③ 地方公共団体が求めていた施設整備は700億円程度改革対象とされたこと。財務省が展開していた建設国債発行の補助金は税源移譲の対象になり得ないとの議論が崩されたことは一歩前進。
一方で、地方公共団体から見て評価されない点としては、以下の点があげられています。
④ 地方公共団体が求めていなかった昨年決着の国民健康保険に対する国負担の引下げと都道府県負担の導入、本年決着の児童手当、児童扶養手当といった現金給付の国庫負担率引下げ、介護保険の国庫負担の引下げが行われたこと。これらの地方の負担増はあわせて1兆1500億円を超える。
⑤ 義務教育国庫負担金は小中学校通じて負担率が1/3に引下げ。負担率カットは地方が反対していたもの。
⑥ 施設整備に関して補助金改革に見合う税源移譲割合が半分に値切られたこと。
当然のことながら、霞ヶ関では、この評価とは全く逆の評価になっています。補助金を重要な政策手段として施策を実施してきた霞ヶ関にとっては、自治体の財政責任を増すことに議論はあっても、国の関与が残ることが重要だということになるのです。
今回の三位一体議論の中で、補助金改革、税源移譲というアウトプットとは別に、重要な副産物がありました。その一つに、地方が国の求めに応じ、自ら国に対し税源移譲に結びつく補助金改革案を作り上げ、政府に提示したこと、そして、「国と地方の協議の場」が設定され、それを閣僚相手に同じテーブルでの交渉で実現に導びつけたことがあげられます。このプロセスは歴史的にも貴重な経験となったはずです。
また、個別テーマでは、「生活保護費及び児童扶養手当に関する関係者協議会」の場での国と地方の協議で、厚生労働省と財務省の生活保護と児童扶養手当に係る地方負担増の論拠を、地方自治体連合が実質的に崩したことが特筆されます。この経験は大きいものと考えられます。今後、制度運営面で国と地方が関係する話し合いのモデルとなるべきものと考えられます。
地方公共団体は、三位一体の第二期改革に向けてその必要性を訴えています。11月30日の政府・与党合意では、「地方分権に向けた改革に終わりはない」とし、「今後とも、真に地方の自立と責任を確立するための取り組みを行っていく」と記しています。
振り返ってみると、1993年6月の衆参両院の全会一致による地方分権推進の決議から始まった、政府レベルの地方分権推進の動きは、1995年の地方分権推進委員会の発足、2000年の地方分権一括法の施行、2001年の分権委員会の税源移譲を求める最終報告、その後の三位一体改革の推進といった10年以上の紆余曲折を経ながら、3兆円規模の税源移譲という画期的な改革を実現するに至ったと捉えることが出来ます。
何れの補助金負担金が税源移譲に組み込まれたのかという点で、多くの反省点はありますが、長い目で見た地方分権の歴史から見ると、大きな到達点であると言えるはずです。
一方、今回の三位一体を含めて、地方分権改革の動きは、全て政府が設定した枠内での議論でした。今後の地方分権運動は、これまでの分権改革の実績・反省を踏まえ、地方が自ら立場で政府を突き動かし、進めていくことが求められます。そのためには地方6団体が体制を整え結束し、シンクタンク機能を持つことが肝要です。理論武装のもとに結束してこそはじめて持てる力を発揮できるのです。そのことも今回の三位一体改革の中で検証されました。
中央教育審議会の場で地方自治体のトップ同士が正反対の議論を行っていたことは、三位一体改革の難しさを関係者に強く印象づけたことはなお記憶に鮮明です。そのことが最後の最後まで響きました。「議論はする、しかしまとまったことは一致団結して実現を求める」、ということでないと、組織的に動く霞ヶ関には十分に対抗できないこともあるのです。
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