平成大合併にまつわる悲喜交々
平成の大合併が進行中です。新しい合併特例法施行前の1999年3月末の3232市町村は、2006年度末には1822に減る見込みです。このうち市に限っては670から777へと若干増えますが、町は1994が847に大幅減、村は568が198に激減します。村にとっては、平成の合併は、消えゆく過程とも言えないこともありません。
この現在進行形の平成大合併の現状を、朝日新聞の菅沼栄一郎記者が、豊富な現場取材に基づき、「村が消えた」(祥伝社新書)という本にまとめています。菅沼記者は、地方分権、地方自治をライフワークとしている記者です。
2006年3月時点で村がない都道府県は13県になる。合併でもなお多くの村が残るベストスリーは長野県の37、沖縄県の19、福島県の16。村が一つだけという府県は11府県になる、といったデータを紹介しつつ、その残った村の「11通りの事情」を、現場取材で丹念に探っています。
飛び地で有名な和歌山県北山村は、新宮市、熊野川町との合併話があったのですが、「村人の命を守る」ために合併を断念したのだそうです。北山村役場の脇には、役場職員が運転する患者搬送車があるのですが、日替わり当番の職員二人が40分離れた三重県御浜町の総合病院に患者を搬送する体制になっているのだそうです。合併の話し合いの中で、消防士を合併後の旧村内に常備するように求めたところ、新宮市側の反応は、隣の熊野川町の救急車を活用する案だったのだそうです。しかし熊野川町から40分かけて来てもらい、40分かけて病院に行くことになると、倍の80分がかかることになります。合併により住民が危険にさらされるのであればこのままでいるのがましという判断を奥田貢村長はなさったようです。「信頼関係が築けなかった」との村長の弁が紹介されています。
大分県国東半島の先の小さな島姫島にある姫島村。ここが合併できなかった理由は、何と、「役場の給与が周辺町に比べて低すぎた」から。ラスパイレス指数で75。周辺町は96から101。国家公務員の水準を100とした場合の比較ですから、随分と低い水準です。姫島町は、給与を低くし、その分、職員を雇い、島民で役場の仕事をワークシェアーしてきたのです。こうしないと、姫島からは人口が減ってしまうのです。島最大の産業である役場を島民の雇用確保の場として活用してきたのです。合併により、給与水準を他と合致させると、その分職員数を削ることになり、島の人口減に直結するというのです。「全国的な公務員給与の削減が姫島の合併のハードルを下げてくれればいいが」というのが藤本昭夫村長の弁のようですが、他の町が下がるということは交付税の財源保障水準も下がるということであり、姫島の職員数を維持するためには、姫島の給与は更に下げなくてはならないので、村長の期待は淡いもののようにも思えます。
2004年の夏に、財務省が、「地方交付税の無駄遣い」の実例をあげて、地方自治体の節約を迫った際に、やり玉に挙げられた村が長野県の泰阜村です。松島貞治村長が、その後の「無駄遣い」批判の結末を語っています。
・海外旅行奨励金→廃止
・住宅新築補助金→上限100万円を50万円に。この補助金により3軒の住宅が新築中。3組の若い夫婦が村に定住してくれることになった。村では数少ない明るい話題。
・出産祝い金、I・Uターン助成金、結婚仲介奨励金→減額。I・Uターン助成金で10年で17家族60人が定住してくれている。「ふるさと創生一億円」の貯金がある限りは続けたい。
一方で、助役の廃止、議員の削減、給与の削減などあらゆるものを削減し、更に、小規模自治体が総合行政の主体であることを見直す、という提案をするところまで村長は踏み込んでおられます。
フランスのコミューンには、非常に限られた事務しかこなしていないところがありますが、村長の提案はそういう仕組みの考え方に近い提案です。
この本の中には、野中広務氏へのインタビューも掲載されています。合併の数値目標を掲げる流れを作ったのが、当時自民党の幹事長であった野中氏であるとされているからです。
2000年8月に、野中氏は、自民党本部で開かれた党全国青年議員連盟大会で講演され、「市町村は1000程度に合併しなければならない」と断言されたことがありました。インタビューではこのことに言及しつつ、野中氏は「明治に3万が1万になった。昭和の大合併で更に3600に減った。それから40年以上たったのに300しか減っていない。一体何してたんだ、という思いがあった」、「合併に手をつけて本当の地方分権をやるべきだ」、「将来の我が国の基礎的自治体の基本的な在り方は、若い人(青年議員連盟)に言うておきたいという気持ちがあった」、「(外交、防衛、経済政策など)国は基本的なところだけをやって、後は自治体に任せればいい。財源を含めて」、と語っておられます。
合併推進は、与野党を問わず、当時の選挙公約として、数値目標が掲げられました。それを受けて、政府をあげて、合併推進の舵が切られたのです。
中央主権国家としての近代国家編成の手段として発足した明治期の府県制、市制町村制以来の地方自治制度でしたが、戦後の新たな地方自治制度の発足を経て、現在は、地方分権の受け皿としての合併が進められています。しかし、戦前戦後を問わず、日本の地方自治制度は、その経緯から見ると、住民自らが求めたものというよりは、政府やGHQから与えられたもの、上からのお仕着せの色彩が強いという側面は否めません。
そのような意味では、今回の平成の大合併も、国と地方の仕事の関係に着目し、地方自治体側に地方分権の受け皿を強化するという側面が強いのですが、一方で、住民自治の強化が求められます。住民自治の強化を図る中で、住民自らが自治制度の企画・運用の在り方を考えていくことにつながるとも考えられます。
現在では住民参加のための仕組みである地域自治組織、自治区、地域審議会などの仕組みが新たに導入されていますが、この本では、住民自治強化のための試行錯誤の取り組みの事例が紹介されています。上越市の「地域協議会」では無報酬の議員の実験が進められている模様が紹介されています。また、安芸高田市の「振興協議会」の成功例が紹介されています。合併で市の中心地からみて「僻地」になりながらも、安芸高田市の川根地区では強力な「小さな自治」=「振興協議会」が機能し、住民のアイデアや自立の競争を促す役割を果たしているとのことです。川根の「振興協議会」は、マーケットも経営するに至っているのだそうです。
大きな制度改正は、それなりに時代の雰囲気を反映しているものです。そういう制度改正の趣旨を前向きに捉え、地域の生き残りのために、皆の智恵を結集すれば、地域が活性化する元気な事例も本の中にはあり、読んでいてホットします。
合併には悲喜交々の側面がありますが、最後はその地域の地力がものをいうことになるようです。合併の成否で問われるのは、最後は地域力そのものなのだというのが、読後感でした。
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