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November 21, 2005

卒業30年後に後輩を前に教壇に立つ

高校卒業後満30年が過ぎました。5年前に、卒業25周年祈念事業を行ったのが、ついこの間のことのように思い出されます。

30周年でも、記念事業を実施したいとの話があり、皆で話し合った結果、卒業後50年を経て、我々がどの様に思い、どんな仕事をして、日々を過ごしているのか、そのことは高校生の時分に考えていたこととどの様な関わりがあるのか、といった観点で、後輩に伝えたいという話が持ち上がりました。

母校の校長先生のご理解を得、たまたま現在の母校の一年生の担任が、我々の同期だということもあり、話がスムースに進み、11月19日の土曜の午前午後、「先輩による後輩への特別講座」が開催されました。

午前中は、12名の現役職業人が、医療、歯科、法律家業務、服飾、キャリア形成、地震と建造物、漆器文化、農業実践、外資系製薬会社の営業戦略、国際報道体験、霞ヶ関の仕事といった演題で、1時間超の講座を同時並行で行いました。

相手は高校1年生です。中学を卒業したばかりの自分自身の子供のような生徒が相手です。自分たちのやっている仕事を、分かりやすく話をし、説明をするのに、皆緊張しながら汗をかいていました。

私自身も、12名の講師の一人として、冷や汗をかきかき、頑張りました。

12名の講師は、全体で300人以上の生徒を相手に話が出来ました。我が母校では、PTAや卒業生の支援もあり、毎月第1、第3、第5土曜日に、尚学塾と銘打ち、補習を行っています。その時間の合間に今回の企画を組み入れていただいたのです。学校御当局のご配慮に深く感謝申し上げてるところです。

午後は、「図書館ゼミ」という生徒主催の企画があり、そこにはやり我々同期のある全国紙現役論説委員のM君から、「ジャーナリズムとメディアの責任」という演題で、2時間余りの講座がありました。

この講座には、現役生徒諸君の他に我が同期も参加しました。50人くらいの壮若世代が一緒になって、現役で社説を書いているM君の、分かりやすい話に聞き入りました。

取材の基礎を紹介し、にもかかわらずメディアが繰り返す失態を松本サリン事件などの実例を挙げながら分かりやすく解説し、最近のメディアを巡る規制強化の動きに警鐘を鳴らす話に、一同時間の経つのも忘れて聞き入りました。

「学生時代は寝てばかりいたが、今回の講座は真剣に聴けた」との同期の声もありました。私も、M君の話の中で、新聞の朝刊締め切りに12版が21:30、13版が23:30、14版が午前1;30という区分があり、松本サリン事件の際には、松本の地元版(松本は12版が配られる地域)に載る記事が、12版ギリギリの警察発表という事情もあり、被疑者とされた人に配慮を欠く内容となってしまった、といった話には、思わず頷き、新聞社の記事作成上の制約を伺い知った点でも、大いに勉強になりました。

真実を追い求める社会部出身のM君の記者魂に触れる思いをし、改めて同期を尊敬したいと思う気分になりました。

「図書館ゼミ」の後は、30周年総会を、登録文化財に指定されたという懐かしの講堂で当時の恩師を交えながら開催しました。私からは、実行委員会を代表する形で一言お話を申し上げました。以下はその要旨です。

・昭和50年に卒業後、あっという間に30年が経ちました。自分たちの子供達が高校生になっている年代です。
・あの頃のことは、今でもしっかりと覚えています。私も自分の子供を見るたびに、こいつも俺と同じような意識で親を見ているのかと、すこし変な気分になることもあります。
・来年は私たちも50歳になります。そろそろ過去のことを思い出したり、これからの人生をどう折り返そうかと真剣に悩まざるを得ない年代となっています。
・5年前に25周年の集いがやはり同じ場所であり、当時久しぶりの再会を皆で喜び合いました。その際に、今後とも同期でまとまってお互いに助け合っていけたらいいと皆で話し合いました。
・その一つの証として、同期のメーリングリストを作り、爾来約5年に亘って継続してきています。日々の思いや仕事のこと、そして悲しいことですが同期の訃報などの情報交換もしています。5年前に助け合いのツールとしたいと思っていたことが、思った以上の結果が上がりました。
・嬉しかったことを一つ申し上げます。不幸にしてお亡くなりになった同期がおられました。メーリングリストのやりとりの中で子供さんの育英資金を募る話になり、わずかな額ですが育英資金をお渡しすることが出来ました。
・そうしたらたまたまその方と阪神大震災10周年の折に神戸の長田区で偶然お会いしたのです。彼は、育英資金を活用し大学に入り、元気で建築学を学んでいたのです。ちょうど被災した長田区の集会所の天井を彼が大学で学んだ知識を生かし、ボランティアで作っていたのが彼で、地区の老人から若いのに立派な人がいると彼を紹介され、話を聞いていくうちに、我が同期のご子息で、メーリングリストの話から持ち上がった育英資金を活用して頂いた人だと判明したのです。彼は、育英資金があって大学で学ぶことができた。皆さんの善意を無にしないように頑張ります、と言ってくれたのです。
・25周年の集まりが切っ掛けでそういうこともあったのです。
・30周年が近づき祈念事業として何をしようかと話し合いをし、いろんな意見がありましたが、この際、社会人として中堅の立場にある我々の仕事や生き方を後輩に伝えることができるのであればこれに勝る喜びはないという話になりました。そこで、NHKの「ようこそ先輩」ではありませんが、たまたまお話する機会のあった校長先生に無理をお願いして、土曜日の講座に組み込んでもらえることになりました。
・どうも我々の30周年に、無理矢理母校をつき合わせてしまった感なきにしもあらずですが、先ほど無事に終了することが出来た次第です。
・我々の仕事の中でも、母校を意識して仕事をせざるを得ないことが結構あります。仕事のいろんな局面で、先輩・同期と鉢合わせをすることがあります。やりにくい側面もありますが話が早いこともあります。
・人間年を経るに従って、益々、母校更には郷土に対する恩返しをしたいという気持ちは高まるものと思われます。30周年をこういった形で迎えることが出来て、本当に有り難いものと思います。
・私自身は、遠くから眺めるだけで、この祈念事業の実施に当たって何の汗もかけませんでした。この場をお借りして事業を実施するに当たってご尽力いただいた皆様に感謝申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

夕方からは、市内のホテルでの懇親会でした。奇特な人がいるもので、我々の企画を聞きつけた、更に先輩が、1975年もののイタリア赤ワイン(キャンティ・クラシコだったと記憶?)を数十本差し入れてくれました。我々の卒業時の製造ワインです。ワインは完熟し、澱はありましたが、十分味わいのあるものでした。

仕事の関係で、私は、同期の6人で、特急「あずさ」の最終便で東京に戻りました。帰りの車内は和気あいあいでした。東京での定例会も活性化しようという話になりました。30周年の余韻を車内でも楽しめました。

講師役を担った同期の異口同音の感想は、大変しっかりとした学生が多かったということでした。若い学生諸君が、それぞれが今後の進路を思い浮かべて話を聞いてくれたならば有り難いと、皆で話しました。

公立高校も現在では学校5日制ではありますが、土曜日に先生方が補習をしている姿には打たれました。学校現場の先生は、本当に頑張っています。その情熱は必ずや結果がついてくるものと考えています。やはり、学力向上は学校の取り組み次第だと思えました。

試行錯誤はあるでしょうが、この様な形の学力向上運動というのは、一つの全国的なモデルになるように思えます。教頭先生の話では、最近の進学実績は大いに奮っているのだそうです。母校の意気軒昂な姿に接し、こちらも元気をもらいました。

母校の校歌の2番に、「時の流れは強うして この世の旅は長けれど 自治を命の若人は 強き力に生きるかな 山河秀でし此の郷に 礎固し我が母校」という歌詞があります。今回も校歌を歌いましたが、この歌詞の意味を十分に噛みしめることができた30周年事業でした。

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