合併の飯田市と合併非選択の下條村
去る10月1日に飯田市、上村、南信濃村の合併記念式典に参加するため、飯田市に行って来ました。一市二村の合併で、新飯田市は面積が二倍になり、浜松市と市域を接することになります。
牧野光朗飯田市長は43歳の青年市長ですが、アイデアに富む能力と愛嬌があり、飯田市民の期待を集めているようです。現在は100キロ弱の体重(ご本人は0.1トン弱と自称)ではありますが、バスケットをやっていた昔は痩せていたそうです。
飯田市を通り、長野県と静岡県を繋ぐ三遠南信自動車道という幹線道路の計画もあり、今後南信州は静岡県との関係が深くなるようです。この自動車道路は平成20年代後半の開通を予定し、飯田市の中央道と静岡県三ヶ日町の東名高速道路を結ぶ約100キロの自動車道路で、開通すると飯田市から浜松市まで1時間半の距離となり、愛知県三河地域・静岡県遠州地域との交流連携が盛んになることが期待されるとのことです。
合併により、新飯田市は、文化・経済面の自立を目指し、他の下伊那郡の町村と共に南信州全体として一体的にまとまり、太平洋岸の地域との交流連携を視野に入れた地域づくりを進める気持ちが強いようです。この地域の魅力を高めまとまりのある地域づくりをしないと、様々な資源が一方的に流失しかねないとの危機感もあり、合併を契機に更に地域経済を発展させ、経済的自立を図ることを地域づくりの柱に据える意図があります。
合併式典には長野県庁の幹部もお見えでしたが、今後県境をまたぐ連携が進む中で、長野県としての求心力を維持するための、物流・経済諸施策などの方策も必要だと思えてきました。
飯田市の合併式典で下伊那郡下條村の伊藤喜平村長とも久しぶりにお会いしました。飯田市と異なり、下條村は独自の路線で当面合併をしない選択肢を選んでいます。
下條村は人口約4200人村ですが、若年人口比率が長野県一高いことで注目されています。合計特殊出生率は1.97人(国は1.36人)、0才から14才までの若年人口比率が17.3%で、いずれも長野県第1位なのだそうです。伊藤村長が村長に就任した平成4年当時は、村の人口は減少し、伊藤村長は、何としても若者が定住する村づくりをしなくてはと考え、様々な取り組みを図ったのだそうです。(その内容は「小泉内閣メールマガジン 第205号」でも伊藤村長自らが紹介されています。)
まず取り組んだのが役場の職員の意識改革。職員全員を民間企業へ研修に出し、コスト意識をたたき込み、徹底的な業務見直しを行い、最大59人いた職員を37人に減らしたのだそうです。同じくらいの規模の町村に比べ半分強の人数なのだそうです。
職員の意識が変わると、村民も意識も変わり、簡単な道路の舗装や修繕、井水の修繕などは役場から生コンクリートなどの材料を支給するだけで、後はそれぞれの地区の住民が自ら出役して工事を行うようになったのだそうです。道路補修も「住民参加」なのです。下水道もコストの安い合併処理浄化槽1本で行い、結果として村の財政の健全化に大きく寄与し、財政の健全度を示す起債制限比率は1.4%と連続3年県下トップを続けているとのこと。
若者定住対策は、こうした取組により財政的にゆとりが生まれた結果として実施出来ているのだそうです。若者定住促進住宅を平成16年度までに8棟(100戸)建設。家賃は2LDKで3万6千円。民間アパートの約半額。子育て支援対策として、中学生までの医療費を無料化。若者定着促進の為の「文化的な村づくり」に向けて村立図書館、医療福祉保健総合健康センター、本格的文化ホールの建設なども手がけたのだそうです。
飯田市とは異なるアプローチですが、全国いずれの地域に居住しても標準的な行政水準が財源保障される現在の交付税制度の下で、全国的な「標準」を自前の基準で調整し、徹底した節約と重点投資という支出のメリハリをつけることで、小規模町村なりに生き抜く術を見いだした村もあるのです。
下條村をはじめとして、下伊那郡は合併が選択しない自治体が多い地域ではありますが、一方で南信州広域連合という広範囲の行政事務の共同処理のための広域組織を作って機能強化を図っています。こういうバックアップの仕組みの存在も忘れてはなりません。
飯田市の牧野市長は、将来、この南信州広域連合に、義務教育の実施権能を付与し、南信州で教員の採用、異動、給与支給、カリキュラム編成といった一連の教育行政を行えないか、との希望をお持ちのようでした。その地域を支える人材育成に、地域経営の責任者である首長が関われないのはおかしい、という素朴な気持ちがその背景にあります。この発想は、何人かの首長さんの中にも同様の考え方があり、今後の義務教育の在り方議論の中で、持ち上がってくる考え方のように思えます。地方自治と義務教育は、本来切っても切れない関係にあるのです。
飯田市の合併という取り組みと、下條村の小規模町村の存続という取り組みと、一見相対立する取り組みのように思われますが、実は、地域の自立を目指すという意味では、理念は共通しており、その手段が現在のところは異なっているということに過ぎないのだ、私には思われました。両者の取り組みを繋いでいるのが、南信州広域連合であり、今後、この広域連合の機能が更に強化されることがあれば、いずれは、もう一歩の広域合併の展開もあり得るようにも思えてきました。
そうなってこそ、近いうちに政令都市となる浜松市に、対抗できる南信州になりうるのだと思えます。
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Comments
今は亡き先達者に聞いた「行政は半鐘が聞こえる範囲」を思い出します。田中知事が提唱する独善的で難解なコモンズ。その理念ゆえか「自律」が評価され、長野県では合併が進みません。が、それは理想的過ぎて非現実的です。
財政破綻と少子高齢化時代を生き抜く「小さな政府」は国、地方を問わず必然で、機構としてのスリム化が必要です。
自立を目指す町・村の精一杯の努力に水を差すつもりはありませんが、生活や経済、教育圏が旧来の市町村の範囲を越え、交通や通信手段が飛躍的に整備された今、地域の核都市を中心とした合併による生き延び策は避けて通れません。過疎過密はその中で吸収されるべきです。
人気取りの「自律」では、やがて抜き差しならない負の遺産を子孫に残すことになるでしょう。課題は、いかに地域の特性、文化、コミュニテイを継承発展させるか?その意味での模索だと思います。
過疎を脱却するための過剰な施策、サービスは、下条村は兎も角として?税の重点配分に依拠していて、それは真の意味での地方分権ではなく、むしろ何処に住もうが国民が公平に享受すべき福祉に反します。
「実は、地域の自立を目指すという意味では、理念は共通しており、その手段が現在のところは異なっているということに過ぎないのだ、私には思われました。」
ーーバランス感覚ある大人の受け止めですが、「いずれは、もう一歩の広域合併の展開もあり得るようにも思えてきました」が肝心なところと受け止めます。
「自律」の試行錯誤の内に、信州が県境を越えた都市間、エリア間競争で遅れをとらないものかと危惧しています。一長野県人です。
Posted by: sisizanoushi | November 16, 2005 09:13 PM