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September 04, 2005

「国の方がよりよく出来る」と言った結果は?

古川康佐賀県知事が、月刊「地方財政」(2005年8月号)に講演録を載せておられますが、その中で、国が行う国民年金の徴収事務の運用と国が地方の生活保護運用への注文を比較し、机上の議論と運用現場の実態をギャップについて分かりやすく話をされています。

古川知事は、難しい話を、面白く分かりやすく解説する能力が高い人として、結構有名です。講演録全体を通して、具体例を引きながら、三位一体改革・交付税改革に臨む地方の立場を展開されています。

国が生活保護の運用に当たって、現場対応が甘い、地方の財政負担を増やせばもっとしっかりやるはずだ、と批判していることに関し、国民年金の徴収事務との比較に於いて論じているものです。(なお、国民年金は、従前は市町村が機関委任事務として国民年金徴収事務を行っていました。平成9年の勧告を受け平成14年に完全に事務を移管した後は、社会保険事務所が国民年金徴収事務を担当するようになっています。従前は80%を越えていた徴収率は、国民年金徴収事務が国に完全に移管されて以降、60%前半に落ち込んでいます。)

(国に移管して徴収率が下がった国民年金)
・国民年金の徴収はかつては地方がやっていた。
・分権一括法を制定する際に、徴収を地方に残すか、国に持っていくか、ということになったときに当時の厚生省は、「地方は甘いから徴収が適切にできていない。国家公務員がやれば、地域とのしがらみもないのできちんと徴収できる」と言ったので、それなら国の方でやって下さいとしたところ、数年間で徴収率が10ポイントも下がった。
・言わんことではない。今までは、自治会費を集めるのと一緒に年金も集めたりしていた。そんなふうにして地べたをはうように徴収していたのに、国の事務になったら、国民の義務だからと言って通知表を渡し、ここに振り込んでくださいと言えばみんなが振り込むと思っている。これは大間違い。
・去年、年金の未払いが問題になったので、保険事務所の人が県内を回っていた。私の知っている町長は「徴収に協力してくれ」と言われたので断ったと言った。
・「市町村に任せていては徴収できないから自分たちでやると言って、持っていった事務じゃないか。それをどの面下げて協力してくださいと言いに来れるのか」と言っておられたが、これが地方の偽らざる気持ちだ。

(生活保護も国が事務を執行しても地方以上の仕事は出来ない)
・生活保護もこれと同じだ。国は自分たちがやっていないから好きなことを言う。しかし、これを地方が返上して、国にやらせたら、絶対に今以上のレベルの仕事は出来ない。そういうことをもっと彼らはまじめに考えるべきだ。
・机の上で物事を考えていると、整理すれば上手くいく。霞ヶ関と永田町はそれで通用するかも知れないが、現場はそれでは通らない。しょっちゅう苦情を言ってくる人がいたりするのが現実の姿。そんなことは国の基準には書いてない。
・こういう人たちと向き合って仕事をしているといくことを、もう少し国の人たちは考えた方がいい。

(厚生省は、国民年金を国が執行すれば大丈夫と言明。結果は全く逆)
国民年金の徴収に関し、国の事務とするか地方の事務とするかの議論が数年前にありました。その際に、当時の厚生省は、地方分権推進委員会に資料を提出し、徴収事務を「国の直接執行事務」とすることを主張しました。「年金をはじめとする社会保険事業は、・・・質量とも業務量が急激に増大しており、その正確、迅速な処理を期するためには、今後とも専門知識を有する職員による一元的な事務処理体制」が必要だという理由です。そして、この事務を「国の直接執行事務」ではなく、「法定受託事務とした場合、国の指揮監督及び人事管理のいずれもできなくなり、保険者としての経営責任を全うすることが出来ず、事務処理の効率性も低下する」と断言しました。

おまけに、「法定受託事務」とした場合には、「経営責任がないので、十分な経営努力を期待し得ず、保険料徴収率の低下、となり財政悪化をもたらすおそれがある」、とまで言い切っていました。

結果は、古川知事の指摘の通り、全く逆です。そういう「前科」のある厚生労働省が、何故か、再度現場の葛藤に敢えて目をつむり心ない理屈を展開することに対して、福祉事務所で生活保護行政に携わっているケースワーカーなどからは悲憤の声が挙がっています。そういう声を古川知事も直接聞いて、以上のような講演をされたものと考えます。

(国の責任分野と地方の責任分野)
何でもかんでも地方にやらせるということが地方分権ではありません。国が責任を持つべき部門と地方に委ねるのが望ましいものとは自ずからあるのです。それを適切に切り分け、財源配分もそれに沿ったものとすることが必要です。仮に、本来国が行うべき事務の執行を地方に委ねざるを得ないのであれば、その財政負担は国の責任にふさわしいものとすべきです。

では、国が責任を持つべき部門と地方に委ねるのが望ましいものの切り分けは、どの様に考えるべきなのでしょうか。

(住民が協力して設立する地方政府のイメージ)
立教大学池上岳彦教授は、同じ月刊「地方財政」の寄稿論文で、分権論と地方財政改革論に関し、改革の方向を次のとおり示されています。まず、教授は、地方政府の存立根拠を、地域社会に属する住民が協力して社会サービスの供給に参加する義務を負うが、対人社会サービスの専門家ではない住民が直接労働を提供するよりも、地方政府を設立してサービスを行わせ、住民は地方税を負担するシステムが効率的であるところにこそあると立論し、地方政府は本来住民の側の組織であり、「民」から離れた「官」ではない、と位置付けています。

(現金給付は国、対人社会サービスは地方)
地方政府をそのように位置付けた上で、分権論から見た財政改革の原則に関し、以下の指摘を行っておられます。
・サービスや現金移転の受給者の地域間移動性等を考慮した場合、年金・生活保護等の現金給付は国が責任を持って担う分野と言える。
・それに対して、住民から身近な地方公共団体は、住民ニーズに応じてサービスの現物給付を担い、また住民が公共部門を監視しやすいシステムをとることになる。保育、教育、高齢者介護、保健・環境衛生等は地方公共団体が主体的に担う普遍的な対人社会サービスであるから、それらについては国庫補助負担金と国の指導・規制に依存した集権的システムから分権型システムへの転換が求められる。

以上の観点に立った切り分けの元に、国庫補助負担金の廃止・縮減を一般財源化に結びつけることが出来れば、「名実ともに地方公共団体として意志決定する場面が大幅に増大」し、「これは、首長以下、職員の「やる気」を刺激する一方で、住民の不満に対して「国の指示でやっていることなので」という言い訳を不可能にする」と地方側の意識改革の契機となる意義についても言及しています。

「分権改革」に便乗して、生活保護の国の負担を軽減しようと動きには、古川知事と池上教授それぞれの観点から、異論が提示されているのだと受け止めました。地方分権は、国の役割との棲み分けの理論に沿って行われないと、おかしな方向に行ってしまいかねません。国の財政負担の肩代わりの為の受け皿ではないのです。

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