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August 09, 2005

身内のシベリア抑留体験

今年は、敗戦後60周年です。今年の8月に81歳になった父親が、自らの若い時代の戦争体験・シベリア抑留体験を以下の通り語ったことがあります。

幼い頃の思い出に、こたつに足を入れていて、父親の足に自分の足が当たると、チクッと痛い思いをした記憶があります。父親の親指の凍傷痕が固まって子供の足には痛く感じたのです。

「若い時の苦労は買ってでもしろ」という諺がありますが、とても真似をしたいとは思いません。家族で帰省をする度に、父親はこの体験を少しずつ孫に伝えているようです。少なくともこういう体験を語り継ぐことは大切なことです。

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 左足関節を砕く大けがをして小学4年の半年間学校に行けず、算数がわからなくなった。ジフテリアの後遺症で心臓弁膜症にもなってしまう。登校するふりをして蚕室の2階にこもり、本を読んで時間をつぶし、帰宅時間を見計らって姿を見せるというような少年時代を過ごした。

 旧制中学の受験に失敗、上伊那農学校も心臓障害のために不合格、大きなコンプレックスを抱えて地元の農蚕学校に通った。進路を決めねばならないとき、旅順師範学校(中国遼東半島)に来ないか、と在学中の親戚から誘われた。旅順は日露戦争で激烈な戦闘が繰り広げられた地、当時は日本の領土だった。「大陸か。よし、満州開拓移民の子どもたちを教える先生になろう」。海を越えた。昭和18年の春浅い頃。

 寮生活は朝6時に起床、1キロのランニング、裸になってのたわし摩擦から始まった。二〇三高地までの駆け足登山もきつかった。楽しみにしていた夏休みは、ソ満国境に勤労奉仕に駆り出される始末。翌年は大連の陸軍飛行場などに勤労動員され、「何のための学生か」と学校側に抗議したが、どうにもならなかった。

 昭和20年6月、徴兵検査、7月には召集令状が来て学徒出陣である。/花も蕾の赤桜 五尺の命引っ提げて 国の大事に殉ずるは―の歌に送られて旅順の街を後にした。「これでおしまいかの思いです。でも怖くはなかった。」

 入隊の際、身体検査で軍医から「心臓障害があるね。帰りたけりゃ帰っていいぞ」と言われたが、「帰りません」ときっぱり。大勢の見送りや情けを受けてここまで来た、おめおめ帰るのは恥だ。

 ところが、ほどなく敗戦。大隊本部が置かれていた青龍に向かう8月15日夜、月に照らし出された万里の長城の冴)え冴えと美しかったこと。

 行軍はいつ果てるともなく続き、1カ月後に武装解除、ソ連軍の監視下に入った。帰国できると思ったが甘かった。全面結氷の黒龍江(アムール川)を渡り、貨車に詰め込まれてシベリアへ。ヤーヤーという町の収容所に入れられ、捕虜生活が始まる。

 強制労働、栄養失調、肺炎、零下50度の極寒…。骨と皮になって死んだ友の衣服が剥ぎ取られ、冷たくなった体からシラミが一斉に這い出る光景を目の当たりにしたとき、国家権力の非情さを心底憎んだ。「死んでたまるか」と意地で生き長らえた。

 1年11カ月のシベリア抑留後、昭和22年6月に帰国を許される。ああ、懐かしの故郷、北アルプス、白壁のわが家。母がまぶたを押さえて無言で玄関先に立っていた。

 恩師を訪ね、欠員の生じていた教員の職を得た。教職の傍ら慶応大学の通信教育を受ける一方、太平洋戦史などを通読した。「自分がこれほど苦しめられた戦争はなぜ起こったのか、理解したかった」。

 西田幾多郎の孫で、時流におもねることなく教育探究に打ち込んだ上田薫に師事、上田が立ち上げた「社会科の初志をつらぬく会」に共鳴して、子どもたち一人ひとりの可能性を開く教育に打ち込んできた。教師である前に人間としてどう生きるべきか。「相手が誰だろうと、筋が通らないことは譲らない」という心情の原点はあの戦争と抑留体験にある。

<父親の戦争体験・シベリア抑留時履歴>
・昭和18年4月 関東州旅順師範学校入学
・昭和20年7月12日 在学中召集 承徳関東軍881部隊入隊
・昭和20年8月22日 旅順師範学校卒業
・昭和20年9月12日 ソ連軍により武装解除
・昭和20年11月 シベリア強制抑留
・昭和22年6月10日 舞鶴帰国 召集解除


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