« 代議士の引退 | Main | 野辺山高原のガットウルグアイラウンド対策施設 »

August 20, 2005

「ゴディバ」のイチゴと千曲川源流地域

今年最後の夏休みをとり、家族連れで八ヶ岳の東側、野辺山高原、川上村方面に行って来ました。東京の蒸し暑さをしばし忘れることが出来ました。この地域は南佐久郡ですが、ここに一定時間滞在するのは初めてでした。

金曜に藤原忠彦川上村長からのかねてからの依頼の講習会に参加するために、その前後に夏期休暇を取って出掛けたのです。

川上村は700戸の農家の大半が国税を納め、村全体では200億円の農業粗生産を上げており、若い嫁さんが都会から来て、後継者不足にも問題がないのだそうです。若年労働者比率も高いとのこと。

役場の職員自体が殆ど兼業農家で、早い人は朝2時3時から作業、役場の仕事をこなし、また夕方から作業。といったパターンなのだそうです。

役場職員であるとともに、農業の現場にも明るいわけで、地場産業と自治体が本当の意味で運命共同体です。村長自身が兼業農家。「ちょっと作っている」レタスはどのくらいあるのでしょうかと聞きそびれました。

南佐久のどん詰まりの村、というイメージは一瞬にして崩れ去りました。明るく自信に満ちて、全国視野で産業振興をしている。今の時期は、全国あるいは世界からアルバイトがこの地域に集まり、その規模は、数千人。毎朝、朝取れレタスが首都圏西日本各地にトラックで出荷されていきます。最南端の鹿児島まで16時間で大型トラックが往復するのだそうです。

村独自のブランドレタスもカリフォルニア大学の協力で開発し、リバーグリーン、サワーアップという新種が全国に販売されています。藤原村長、小林仁史係長に村内をご案内いただく際には、「サカタのタネ」のOBの方(小林係長の話)が畑を心配そうにご覧になっている姿を見かけました。

消費者の志向を常に開拓しながらの産業育成です。農業は川上村では完全に「企業活動」です。市況や天候情報に耳をそばだて、JAや役場を中心にまとまり、村民が一丸となって村の振興に取り組んでいます。集荷場も見せていただきましたが、巨大な予冷装置があり、ここでレタスを冷やし、長持ちするように手を加えて全国出荷を行っているのです。市場に出すものと、大手スーパーと直接契約して出荷するものと両方あるようですが、全国展開の事業をしています。藤原紀香の大きなポスターがあり、川上のレタスをPRしていました。私はレタスよりも紀香さんの方に目が行きましたが、売り込み方も、本格的です。紀香さんとは3年契約でのPRだそうです。

野菜のほかに、イチゴの生産も盛んになりつつあるようです。ハウス栽培の農家で藤原村長のご親戚の藤原さんのハウスを見せていただきましたが、鉄骨作りのしっかりとしたハウスの中には、整然と人の腰から胸の高さの台座に直線に並んだイチゴの列が何列もありました。サマープリンセスという種類のイチゴだそうですが、イチゴの端境期の夏から冬にかけての生産が売りなのだそうです。ダウンロード img_1088.JPG (677.4K)

現在夏のイチゴはアメリカなどからの冷凍輸入が多いのだそうですが、国産の品質のよいイチゴの需要が高いのだそうです。恰幅のよい藤原さんのハウスからは、「ゴディバ」への出荷も手がけておられるそうです。このハウスから出荷されるサマープリンセスは、「摘み取ってから少し経って熟すると、イチゴの表面に自然に光沢が出て、評価が高い」と、社長の言。表面は赤く、中は白く透きとおっている、そういうイチゴです。藤原村長は、「いま、中味も真っ赤になるような品種が出来ないか検討してもらっている」とおっしゃっておられましたが、社長からは、「赤い成分は酸味であり、甘さが損なわれるので難しいのでは」と反応し、プロ同士の会話に花が咲いていました。

社長から私に、「冬場を迎え、灯油で暖房を行う場合に、石油価格上昇で採算が厳しくなっている。農家の責めに帰せない要素に関し、生産コストを下げるために何らかの工夫がないものだろうか」という切実なご相談がありました。こういう声を、長野県の当局にも伝えて行かなくてはなりません。実は長野県の農業生産額は、米よりも野菜や果樹の方がずっと大きいのだそうです。

このハウスには、中国からの研修生も複数働いており、「残業も厭わない熱心さ」なのだそうです。24歳の逞しい息子が農業後継者として親父さんを支えていました。いい嫁さんをゲットできそうなナイスガイとお見受けしました。

好調なのは農業だけではありません。都市と農村の交流に力を入れ、大自然を生かした息の長い交流活動を行っています。武蔵野市、町田市、蕨市、三鷹市の自然休暇村が川上村の自然にマッチした形で設置されており、利用率は殊の外高いとのこと。例えば武蔵野市では小学校の生徒を定期的に川上村に送り込んでおり、小さい頃から川上村の親しんだ首都圏の市民は自然に川上村へのリピーターになっています。藤原村長によると、土屋市長もリピーターそのものだそうです。「つい最近ここで飲み交わしたときには、衆議院選挙出馬のことは言っていなかったが」ということでした。首長同志の緊密なネットワークも出来上がっているようです。藤原村長は、長野県の町村会長、全国町村会の役員でもあります。

川上村は、千曲川の源流域です。金峰渓谷、甲武信ヶ岳に発する千曲川水源地域は、休日にもなるとハイカーで一杯です。金峰渓谷沿いにある小川山周辺はロッククライミングのメッカで、そそり立った屏風岩に多くの若者が挑んでいます。「世界的にも著名なクライマーがここで育った」と藤原村長の言。村営のロッジでレタスアイスクリームを頂きましたが、甘さが抑えられ絶妙のレタス味がしました。

サッカーの合宿も盛んです。良質の芝生をサッカーグラウンドがあり、大変評判が高く、高校・大学のサッカーチームが入り込んでいます。村道からグランドを臨んだときに、大きなサッカー場では高校生らしきチーム、小さなところでは大学生らしきチームが練習をしていました。真っ黒に日焼けしていましたが、標高1500メートルを超える高原での練習は清々しいはずです。民宿で合宿しているのだそうで、村民所得向上にも資しています。ダウンロード img_1082.JPG (854.1K)

千曲川源流の入り口まで車でご案内いただきました。清涼な水が豊富に流れ下っていました。口にその水をふくむと、甘い味がしました。いつか、源流まで辿ってみたいなと思いました。ダウンロード img_1078.JPG (842.6K)

アイデア、創意工夫により、山村地域も発展のしようがあるという非常によい見本が川上村だと感じ入りました。しかし、夏場の人口は軽く1万人を超える川上村も定住人口は4800人に過ぎません。小規模町村の川上村はご他聞に漏れず、地方交付税への依存度が非常に高い現状にあります。当面合併は選択してはいないようですが、今後の地方財政の行方を見据えながら、検討は行っておられるとのこと。村の着実な発展とそれを支える行政体制のありかたについて、大きな課題が横たわっていますが、常に果敢に新しい課題に立ち向かっている川上村ならば、立派に乗り切って行かれると確信しました。

ところで、川上村には、西川という千曲川の支流をまたぐ架橋があります。「川上大橋」という農道事業で造った橋です。一時期、県知事が「無駄な公共事業の象徴」として、橋のピアを作っただけで工事を中断、「晒しもの」にした時期がありました。地元の熱心な要請で現在は開通しています。この道路を通って、大型トラックが首都圏や西日本各地に毎日野菜を運んでいます。橋が出来るまでは、トラックが谷を上がったり下ったり、大変だったとのこと。川上村から中央道に抜けるこの坂道は危険だということで、自転車の通行が禁止されていたのだそうです。

橋が出来たお陰で交通が非常にスムースになり、川上の野菜が更にスピーディーに全国に配送されるようになっているのだそうです。おまけに、橋を挟んで200haの野菜団地と300haの野菜団地が一体になり、野菜集荷場も2箇所ではなく1箇所の整備で済み、経済効率も向上しているとのこと。

この川上大橋という物流向上、安全確保の為の公共事業に、地元で文句を言う人はいないと藤原村長の言でした。

地方自治の様々な課題がコンパクトに学習できた一日でした。

|

« 代議士の引退 | Main | 野辺山高原のガットウルグアイラウンド対策施設 »

Comments

川上村の野菜作りの歴史について、小林仁史さんが記した記録を見つけました。
野菜作りに米軍が絡んでいたとは知りませんでした。もっと知るべきことが沢山ありそうです。また川上村に伺います。

<小林論文抜粋>

・昭和十年の旧国鉄小海線の開通により搬出可能となった広大な森林資源だった。村外の大資本が各所で豊富な水力を利用した工場を稼働させ、村はこれによって永久に繁栄し続けるかにみえた。
・あくなき略奪的な伐採によって大森林は次第にはげ山と化し、続く戦中の強制伐採がこれに拍車をかける結果となった。自分たちの地域を他人の力で興そうとした他力本願のツケが、荒涼たるはげ山となって残ったのである。
・戦後、すべてをなくした川上村の先人たちは、厳しい気象条件と激動する社会情勢の中で、林業に代わる新しい産業を興そうと、いくつもの研究グループをつくり、血眼の模索を続けた。こうして遂に探り当てたのが、厳しい気象条件を逆手に取った「夏出し野菜」だった。
・こうした中、終戦後に駐留米軍が村に大きな転機をもたらした。日本中で、レタスの栽培適地を探していた米軍は、夏出し野菜の川上村に目をつけ、本村に調達駐在を置き、種子、栽培技術、そして購入まで文字どおり丸抱えの育成に乗り出してくれたのである。
・この結果、レタス栽培農家は急激に増大し、川上村の主産業へ、さらには全国一の野菜王国へと発展していった。とくにレタスは、最盛期には全国市場の六〇%以上を占める日本一の生産量を誇れるようになった。アメリカのレタス産地ワトソンビル市(カリフォルニア州)とも姉妹都市を結んだ。
・この発展は、行政と村民とが同じ目標を持って二人三脚で歩んできた血のにじむような努力の成果でもあった。
・川上村では、レタスをはじめ、白菜、キャベツ、グリーンボールなど野菜栽培を基幹産業と位置付け、「基幹産業の推進によって、以後この村から一人の落後農民も出さない」を目標に、あらゆる施策をこの振興一点に集中した。野菜栽培は、コメと違って政府による価格補償がないため、安定経営への道は規模拡大による近代化農業しかない、ととらえ、農地造成をはじめ、道路網整備、近代化施設などあらゆる事業を導入して全村挙げて整備を進めた。
・本村では、広大な採草原野を八つの集落がそれぞれの責任の下に管理している。うち開墾可能地約千五百ヘクタールを集落が開墾して、全農家に均等に農地として配分した。その結果、かつては農地の「もてる者」と「持たざる者」との間にあった十倍以上の格差が、一挙に解消できた。

Posted by: むーさん | August 20, 2005 at 06:45 PM

先日はありがとうございました。
職場の若手研修会を当村で開催してください。

Posted by: 小林仁史 | August 20, 2005 at 04:35 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/58165/5551524

Listed below are links to weblogs that reference 「ゴディバ」のイチゴと千曲川源流地域:

« 代議士の引退 | Main | 野辺山高原のガットウルグアイラウンド対策施設 »