「信州自治」第47巻第4号
通夜と告別式の間は、女房の実家が慌ただしいので、子供と私は安曇の実家に泊まりました。祖父と祖母は孫達が泊まりに来るので大喜びでした。
葬式ということで子供達も半ば強制的に帰省させることで、元気の出る人もいるのです。
次男が、高校に進学し、この夏の読書感想文作成の宿題が出ているとのこと、その候補の本が何冊か示されていました。私が、「本屋で買うのもいいけれども、おじいちゃんの書斎に沢山本があり、何冊か候補の本もあるはずだから調べてみたらいい」と薦め、祖父も含め皆で2階の書斎に上りました。祖父も病を得てからは余り書斎には行っていないようで、埃を払いながらの本の探索になりました。
候補の本の中で、武者小路実篤の「友情」と三島由紀夫の「金閣寺」が見つかりました。「両方読んで、感想文を二つ書けばいいじゃないか」と子供に勧めました。若い時代に祖父が購入し読んだ本をその息子が読み、更に数十年を経て孫が読むということは、単に読書感想文の宿題をこなす以上の意味が確実にあります。これも「葬儀の教育的効果」なのかも知れません。
書斎を探索していて、もう一つ思わぬ発見がありました。平成6年4月に発行された「信州自治」第47巻第4号を見つけました。長野県庁地方課が事務局の「信州自治研究会」の発行する月刊誌です。当時は、長野県庁に頼まれ、仕事の内容をたまに寄稿していましたが、この4月号には特別の思いがあります。
当時、消費税の引き上げ議論に絡み、地方消費税を導入すべきか否かが、一つの政策論争になっていました。当時の大蔵省は、「消費税の引き上げに対する波乱要因になり、理屈の上でも成り立つ租税ではない」との立場で大反対でした。当時の大蔵省は、「国民福祉税」の導入を図るなど「飛ぶ鳥を落とす」勢いがありました。小川是現横浜銀行頭取が当時の主税局長でした。それに対し、「弱小官庁」の当時の自治省は、「ただでさえ少ない地方の独立税が、消費税創設時の地方間接税の整理で譲与税化してしまった。電気税、ガス税、料理飲食等消費税などが廃止縮小された。今回消費税引き上げで、その傾向が加速されることになれば、地方自治の観点からは問題が大きい。消費税引き上げにあわせて地方消費税という独立税源を導入すべきである。理論的にも消費型付加価値税を地方税として制度化することは十分に可能である」として導入論を展開しました。当時の自治省税務局長は滝実現衆議院議員でした。政府税調や与党税調の場でも、賑やかな議論が闘わされました。
その理論的・政策的立場を、当時、地方消費税導入の担当課長補佐として、対談方式で説明したのです。インタビューアーは「村山建太」氏、実は当時の地方課長でその後佐賀県知事となった古川康氏でした。「地方消費税って何ですか」という表題の記事で、消費税導入に至までの過去の議論の回顧、地方消費税の導入意義、地方消費税の構想内容、議論になっている論点などについて対談方式で解説しているのです。
インタビューの模様が写真入りで紹介され、「髪の毛は黒く、体型もほっそりして」おり、子供達に見せると、「パパ、若い」の一言。長男はそれに加えて、「でも今の方が大人の貫禄があり、いいんじゃないの」と言ってくれました。
あのころに比べたら、随分と地方自治制度が分権的観点から進展しました。分権一括法で、国と地方の関係が「対等」になりました。紆余曲折経て地方消費税も導入され、地方の自主税源は充実しました。情報公開や行政手続き法も整備されました。市町村合併は急速に進み、3200あった市町村が、本年度末には1800強になります。更に三位一体改革で、国庫補助金という国が地方を財政的に縛る仕組みを整理して地方税源を更に増やす改革が進行しています。そして、徹底的な国地方の行革を進めた後の、国民負担の増加を果たす際には、国と地方で消費税と地方消費税に、どのように増収分を振り分けるかの議論も始まります。地方消費税は、その受け皿として機能することが期待されています。
そういう制度改正の節目節目に仕事をする機会に恵まれることは、嬉しいことです。一方で、社会の変化のスピードは早く、国の制度改正が果たしてそれに追いついているのだろうかという問題意識も覚えます。いろんな立場の考え方があり、なかなか容易に制度の見直しは進みません。当時の「信州自治」の対談を10年ぶりに眺め、改めて初心に返る思いがしました。これは、私にとっての「葬儀の教育的効果」でした。
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