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June 20, 2005

「蛸壺」教育論

土日の中教審の議論には、いろんな人が傍聴していたようです。私の知り合いから、極めて醒めた感想が寄せられました。

「神野先生の講義と中教審委員とのやりとりだけ聞いて参りました。中教審というのはああいう人がやっているのか、ということがわかっただけでも収穫だ、と自分をなぐさめながら帰ってきました。教育という「蛸壺」のなかで、教育費が減らないようにするにはどうしたらいいか、という圧力団体としての発想から出発しているので、例えば、予算が減る中でどうやって身のある教育をしていくのか、という考えには及ばないみたいですね。そういう人たちが、神野直彦教授の話を聞いても「英国は例外だろう」とか「スエーデンの教育費のGDP比率は落ちている」とか、「例外」の指摘をするのがせいぜいで、「分権社会の教育」がまるで発想できない。」

この感想を聞いて、私も、今の時代に於いて、中教審の「論客」メンバーが、とにかく国の地方への関与に極度に拘る姿勢は、世の中の流れと教育論とどういう関連づけで思想を構築しているのかと、若干違和感を覚えました。ひょっとして、私の考えがおかしいのかとも、自問してみましたが・・・

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