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May 12, 2005

チッソと鴨緑江水豊ダム

チッソ水俣製造所の訪問時に、応接室の壁に掲げられた二枚の古めかしい写真が目に入ってきました。一つは鴨緑江水豊ダム、一つは日本海(あちらでは東海と呼ぶ)に面した興南に建設した肥料工場の写真です。

田畑常務執行役員からは、この二つとも日本窒素の全額出資により作られたとの説明を受けました。当時の日本窒素は、この発電所からの電気で化学肥料を製造したのだそうです。

1941年、水豊ダムは完成、当時世界で最大規模の70万キロワットの発電所が設置されたのだそうです。このダムと発電所は、「朝鮮の産業革命」と言われるほど朝鮮の工業発展の原動力となり、更にその後、同水系には多くの発電所が建設され、最終的には200万キロワットの発電能力を持つようになったとのことです。その当時、日本国内の最大出力は4万5千キロワット過ぎないことから考えると、当時の日本の国力をこの地域に注ぎ込んだということになります。

世界最大の重化学工業地帯が、植民地支配の日本によりつくられ、200人の寒村が、ダムと工場により18万人の工業都市興南市に生まれ変わったのです。

朝鮮戦争で、米軍はこのダムをつぶさなければ北は屈服しないと考え、爆撃を繰り返したものの水豊ダムはつぶれなかったとの歴史事実もあるのだそうです。

北朝鮮は、1970年代までは韓国の経済を凌駕していたと、その昔世界史で学んだ記憶がありますが、その背景には日本の戦前の遺産の水力発電施設があったのです。しかも、これが民間資本により作られたのですから驚嘆すべきものです。

野口遵という東大の電気学科出身の立志伝中の人物がそれを実現したとのことですが、その野口さんが、現在のチッソ株式会社の創始者なのです。

ダムが建設された下流には、日本窒素を中心とする企業が次々と工場が建設され、昭和9年に日本アルミ金属、朝鮮石炭工業、昭和11年に朝鮮窒素火薬、大豆化学工業、朝鮮石油などの設立と供に朝鮮の重工業化は次々と進んでいったのだそうです。日本窒素グループがこうして朝鮮に築き上げた全資産は、敗戦とともに消え、現在では、その存在すら忘れさられ、チッソといえば多くの人は水俣病を連想し、水俣の応接室の壁の写真が往時の隆盛を語るのみです。

チッソの関係者の脳裏には、日本資本主義の発展に尽くした会社の歴史に自負心もあるのでしょう。これらの設備投資額を現在価値に置き換えると8兆4600億円相当であると田畑常務執行役員は説明されておられました。

現在は、電力が決定的に不足している北朝鮮にとっては水豊ダムの修復工事は実は大懸案なのですが、これをチッソの前身企業が作ったのだということも、水俣に行って認識しました。

日本資本主義とその後の高度成長の光と影を会社の歴史からも垣間見る機会となりました。

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