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May 27, 2005

長野県栄村の生き方

長野県栄村への訪問団に随行してきました。職場の仕事の関係で山村振興施策の財政支援措置を担当していることもあり、この機会に訪問メンバーに加わることとしました。

実は、この2月に保利耕輔代議士が会長をされておられる全国山村振興連盟の役員会で、「三位一体と山村振興」という演題で話をしたことがありました。その中に、同連盟の副会長の栄村の高橋彦芳村長もおられ、随分と失礼な話を申し上げた記憶がありました。

私が話したのは、「三位一体改革があって、実は交付税は確保されているという現実をなんとかご理解頂きたいと思っています。17-8年度の三位一体改革の後の対応は、全体としてのスリム化の圧力が高まります。この中で、如何に地方団体がまとまって行動できるかに、交付税制度の財源保障機能の堅持もかかってきます。自治体間の内部分裂は愚の骨頂、全国の首長の敵味方識別装置が壊れているようでは、とても国の熾烈な構造改革路線のなかで、地方自治体の共通の財産である地方交付税は守れません。」という趣旨でした。

栄村をはじめとして、全国の山村地域をかかえる自治体は、今後の地方交付税の在り方をはじめとして、悩み深い実態にあります。「農村は、自分たちはろくに税を納めず、都市の住民の納めた税が原資である地方交付税を一方的にもらうばかりだ。田舎の町村に市町村合併を求めるのは都市の当然の主張である」と言った厳しい指摘を受けながら、栄村は、当面合併しないでやっていくという苦しい選択をしています。私は、いつか栄村を訪問し、どのような考えでこれからの厳しい時代を乗り切るつもりなのか、じっくりと伺ってみようと思っていました。

栄村は、合併しない選択を取る前提として、村の財政について、 5年後までに総額を3割削減すると表明しています。平成15年3月に行った中学生以上の村民に対して行ったアンケートもとに、「栄村将来像モデル」を百人委員会でまとめたものがあり、そこで、平成15年度の栄村の予算総額は30億円を平成20年には20億円にしようという計画を表明しています。

そこには、そのために行うべき処方箋が具体的に書かれています。村議は16名を12名に、国民健康保険税は3割アップ、各種補助金の削減、特別職の給与の3割カット、職員数も92名を85名に減らし、給与は15%カット、といった厳しい内容が並んでいます。18億円程度の交付税が相当減ることを覚悟し、徹底的なスリム化を検討せざるを得ないという悲壮な計画になっています。(次のホームページに、この計画は掲載されています。
http://www.vill.sakae.nagano.jp/ )

ところで、栄村は高橋彦芳村長のリーダーシップの元、既にいくつかの先駆的な取り組みで著名な村です。

農家の空き家を利用しての都市と農村の滞在型交流が盛ん。
猫用の「つぐら」を特産物に仕立て上げるなど地域の物産を発掘していること。(「つぐら」とは藁で編んだ冬の保温器で、それは猫が潜り込める大きさのもの。たまたま都会から来た人がそれに興味を示し、その人の猫用に所望したことから広がった由。)
栄村の棚田水田の圃場整備を、以前の10アール当たり約 130万円位かかっていた補助金適用型から切り換え、昔農家が農閑期にモッコやスコップを使って土地に改良を加える「田直し」を行っていた方法を応用し、米価から計算して、農家の投資が10アール当たり20万円程度なら何とかなるのではないかと考え、10アール当たり40万円の事業費として、農家と村で50%ずつ負担する形の田直し事業を始めて、これが成功していること。
「地域循環型」の経済システムを導入していること。例えば、降雪により村内80キロを40班に分けて除雪する際、村の青年たちを雇用。保健休養施設運営等の事業を行う栄村振興公社は、扱う資材はできる限り村内で調達。食品、お酒等は、近隣県のディスカウントショップでは購入せず、あえて地域の酒屋から購入。公社の売上げ約 3億円のうち、71~ 2%は村内に還元される計算。
介護制度についても、栄村では「げたばきヘルパー」という制度を度入し、地域の助け合い方式で、非常に効果的な介護体制を作り上げていること。豪雪地帯の栄村は、少ない人口が広範囲に点在し、特に冬場は、吹雪の日に最奥の集落まで人を派遣したら、その日のうちには帰ってこれない状態。介護者が遠方に出向く場合、旅費の負担も大きく、ましてや、外部から専任の人を雇い24時間態勢を作るのは困難。そこで各地域に住んでいる人にヘルパーになってもらい、昼間は勤めたり、農業に携わる傍ら、社会福祉協議会から要請があればすぐに対応できる制度を採用。介護保険制度導入前から早速準備を開始し、多くの住民がホームヘルパーの資格を取る講習会に参加し、現在、 2級・ 3級の資格を持つ人は 160名。げたばきで動ける範囲で介護の輪を作ったことから「げたばきヘルパー」と命名、お呼びがかかれば、誰かが、いつどんな時でも行くことができる状態。保険を使う介護について、保険単価から割り出して、身体介護は時給1500円、家事支援は1000円をヘルパーに支払。 現在65歳以上の介護保険料は月1950円と長野県内で最安(県平均は月3200円)。これは多くが居宅介護でいる事情もあるが、近所の「げたばきヘルパー」や、雪が積もれば「雪害対策救助員」が雪下ろしをするといったボランティア的な要素を多分に含む仕掛けが寄与。

こういう取り組みの積み重ねの上で、合併を当面選択しないという決断を行っているのです。

高橋村長は、そうは言っても、「現在高齢化と過疎化で集落が弱っている、ここで行政機能がこの地域から撤退することになれば、この地域は無くなってしまう」という地域を支えていく自らの責任の重さを噛みしめておられました。きれい事だけでは済まされない現実があるのです。

その上で、夢もないといけないということから、自分たちの持っている資源を生かせる「地域密着型の産業」を興していく計画を温め、都市の人材を活用し、近い将来、各分野別に 5~ 6名の名誉研究員集団を組織し、地域密着型産業の可能性などを探っていきたいとおっしゃっておられます。

私たち訪問団一行は、役場の職員が自分たちで開設した村道、田直し事業の済んだ水田、都市と農村の交流拠点、秘境で知られる秋山郷、村に3つある小学校のうちの1つ秋山小学校(小学校の生徒数10人の複式学級。2年生と4年生がいないため、1-3年生と5-6年生で複式学級を採用)、秋山民俗資料館(民家をそのまま資料館にしている民間経営の資料館)などを訪問し、役場の方や資料館の方からじっくりと話を伺いました。

村に根を下ろし、村を捨てるわけには行かない方々の真剣に将来のことを見据えている姿に感動しました。都会の制度所管の人たちが思っているほどの「モラルハザード」は少なくとも栄村にはありません。

資料館の田中さんというおばあさんからは、「新潟中越地震で観光客ので足がぴたっと止まってしまった。特に今年は雪が多く、連休中に志賀高原に抜ける道路の通行が遅れたため、サッパリ客が来ない。道路が空けば空いたで、栄村に泊まらないで皆志賀高原の方に行ってしまう」という実状をマタマビ酒をご馳走になりながら伺いました。高橋村長が言う、単なる観光ではダメで、「滞在型交流」がやはり栄村には必要なのです。

秋山小学校では、校長先生以下が不在で、お話を伺うことは出来ませんでしたが、複式学級のクラスの様子、学校図書館の様子などを見ることが出来ました。案内をしていただいた役場の斎藤保企画財政班長は、「金はなくとも、学校図書購入費は削りません」ときっぱりと言っておられました。斎藤さんのお嬢さんも、小学校の時は、女1人、男5人の学年で、それが中学(村に中学は一つ)で始めて女友達が出来たということだったそうです。やはり少人数も行き過ぎると活力の面で問題が出るようです。しかし、3つある小学校の統合は考えないでいきたいとのことでした。小学校が地域の精神的な支えになっているのです。

高橋村長や斎藤さんと夕刻、食事もご一緒しましたが、仕事以外のことでもいろいろ示唆に富むお話を伺えました。

戦前、この地域に、信濃川発電所(http://www.tepco.co.jp/shiryokan/exhibition/shina-j.html)という信濃川の豊富な水を利用する当時の国内最大の発電所出力を誇る水路式発電所が建設された頃は大変賑わったこと、その後も、揚水式発電所の建設で栄村の人口は7000人を数えた時期があったこと、などのお話をお聞かせいただけました。

信濃川発電所の建設工事には、多くの朝鮮人が徴用され、頻繁に戸板で運び出される朝鮮人工人がいたのを目撃したこと、その際には、「アイグー、アイグー」という朝鮮人女性の悲嘆の声が聞こえたこと、その頃の友人に大変優秀な韓国人がおり、その後朴大統領の下で短期間ではあったものの首相にもなったこと、といったお話を伺いました。

高橋村長は、「信濃川発電所建設が済んで、その後、日本は、朝鮮半島の発電所建設に向かったんだ」とおっしゃたので、私から、「村長さん、それは鴨緑江水豊ダムですね。今でも北朝鮮の貴重な電力源ですよ。それを作ったのは、あのチッソの前身企業ですよ。」と「御進講」させていただきました。過日チッソ水俣製造所を訪問した際に得た知識に過ぎませんでしたが。

村長さんは、しきりに、霞ヶ関、特に財政当局が、田舎に対するシンパシーが少なくなっていることを気にしておられました。私も同感です、と申し上げました。大学を出て東京の官庁に就職する田舎出の人が少なくなり、自分を養ってくれた家族が農村部にまだいるという世代が徐々に少なくなっていくということは危ない兆候です、と。

少なくとも、われわれは、山村地域が崩壊してしまうような地方財政制度の改革をさせないように、精一杯頑張らなければなりません。

私は、実は、群馬県の課長時代に、栄村秋山郷から苗場に登山しました。秋山郷で一泊し、赤湯温泉の民宿で山菜料理に舌鼓を記憶が鮮明です。もう20年近く前のことですが、一度訪れてみたいと思っていました。一種のノスタルジーでした。

新幹線で長野から飯山線のディーゼル普通列車に乗り換え、日本一の豪雪地帯の駅で有名な森宮野原で降りて栄村に到着しました。天気は快晴で、新緑の苗場山、鳥甲山の残雪が爽快でした。雪解け水なのでしょうか、至る所に沢水が溢れ、山肌にはワサビは自生していました。奥信濃の桃源郷そのものでした。こういう地域を守ってくれている人の生活を守ってこそ生きた地方交付税度のはずです。経済効率優先の市場原理を無原則に適用してはならない現場をしっかりと見聞きできました。

高橋村長とは、東京でもう一度懇談することを約束しました。そして、私は翌朝の7時7分の飯田線に乗り越後湯沢経由で帰京しました。飯田線のディーゼル列車は高校生で一杯でした。30数年前の自分の姿を思わず見たような気がしました。そのような一瞬の記憶のフラッシュバックに後ろ髪を引かれながら、引きつづき職場の「作業」に向かいました。


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