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May 06, 2005

新緑の安曇野、高瀬ダム、親の背中

連休で故郷に帰り、親の顔を見てきました。昨年父親が大病にかかり、命の危険がありましたが、何とか脱しました。リハビリに励んでいますが、たまに顔を見に帰ると元気になるようです。

今年の連休は、リハビリをかねて安曇野を車で回るアルプルパノラマ・温泉巡りツアーに両親を誘いました。両親は安曇野に住んでいるといっても知らないところもあるだろうからということで、たまたま知人から聞いた、高瀬ダムツアーに参加して見ました。

(高瀬ダム)
東京電力が企画しているもので、大町市の平という地区に「高瀬川テプコ館」がありそこでバスに乗り換え、七倉ダム、高瀬ダムと巡ってくれます。唐澤岳の地下にある、世界最大級の揚水式発電所の新高瀬川発電所を見学するツアーです。
http://takasegawa.tepcokan.jp/

ロックフィル式の両ダムは、周囲の自然と調和させようという意識がだいぶ込められているように思われました。巨石を積み上げてダムにしたものがロックフィルですが、新高瀬ダムはエジプトのクフ王のピラミッドの5倍ほどの体積があるとのことでした。

新高瀬ダムのダムサイトからは槍ヶ岳の穂先がちょこっと垣間見えました。高瀬ダムから歩いて4時間ほどの所に湯俣温泉があり、噴湯丘という温泉成分が固まって岩の洋になったものがあるという話で、この夏にでも行ってみようと思いました。天然記念物なのだそうです。軽いハイキングのような気分で往復できるようです。
http://bunka.nii.ac.jp/jp/heritage/detail/133001000259.html

長年安曇に住んでいたのですが両親とも始めてきたのだそうで、こんなものがあったのかと喜んでいました。灯台もと暗し、でした。

ツアーガイドの丸山さんという東京電力のOBが丁寧に専門知識を元に話をしてくれました。高瀬ダムの運転をしていたのだそうです。この地域の自然には詳しく、高瀬渓谷の美しさを独自の基準で序列付けをしていました。

私の中学時代の友人の福岡祐二さんが同じく東電の発電所に勤めていると聞いていたのでご存じか伺うと知っておられました。大自然の中での勤務は大変だけれども都会の殺伐さと比較すると羨ましい面も多々あると感じました。

(世界最大級の地下式発電所)
地下発電所である新高瀬川発電所の規模にも驚きました。トンネルでアルプスの地下深く刳り抜き、霞が瀬ビルを横にした大きさの空洞に発電器4機が据えられています。夜間電力で七倉ダムの水を揚水し、夏場の日中の電力需要のピーク時の需要対応に機動的に備えるための施設です。

水力発電は、「スイッチを押して1分」で電力を送れるのだそうです。火力発電は1時間以上かかるのだそうです。原子力は一日以上。従って小回りの利く発電システムなのだそうです。首都圏の快適な生活を大町市のこの発電施設が支えているのです。

東京電力は、このような施設見学で、ちゃっかりと日本の電力供給体制の全体像を説明しています。やはり、原子力発電が基本(特に東京電力は4割が原子力)であり、それを補完する形で火力、水力、その他の新エネルギーなどが多面的に支えているとの解説でした。原子力は、基本的に昼夜を問わず運転を停止せず、電力安定供給の柱だという説明をしっかりとされていました。

この説明を聞いた人の多くは、納得するような内容でした。原子力発電は、核廃棄物の処理という解決の難しい問題があります。私も茨城県の勤務の際に、東海村の原子力発電所、原子力事業所を随分見せていただきましたが、現在の電力供給体制の中では、あと数十年は注意深く原子力発電を生かしていくことが必要なのだと思います。一方で、燃料電池や太陽光発電などの効率のよい新技術の開発も望まれます。

二時間半程度のツアーでしたが、両親も新しい発見があり喜び、私も勉強になりました。父親は、新高瀬川発電所の階段の上り下りをきちんと出来たということも嬉しかったようです。リハビリ中で、体力の回復を実感できたようです。私の肩を貸して上り下りしました。

(葛温泉)
高瀬渓谷のダムツアーの後は、葛温泉に行きました、私は年に1-2回「かじか」という温泉宿を尋ねますが、両親と行くのは久しぶりでした。昨年の父親の大病で、もう2度と一緒に行けないと覚悟しましたが、こうして再度訪れることが出来ました。お客さんも少なく、ゆったりと入れました。父親の背中を私が流し、父親が私の背中を流してくれました。昔ならば、気恥ずかしくてそういうことができませんでしたが、今は自然に出来るようになっています。したいと思っても出来ないことの有り難さが漸く実感を持って理解できたのです。親の病気はいろんなことを教えてくれます。
http://www.tabier.com/yad/kuzu_kajika.html

いつまで親と温泉に行けるか分かりませんが、チャンスを見つけ何度でも行こと思っています。

(高齢兄弟訪問)
大町市街地に出て、そこでお蕎麦を食べました。40年ほど前まで大町市に住んでおりましたが、今は随分と風情が変わっています。大町市の来年早々の合併に向けて準備に大わらわです。両親とも、「昔は大町は寒かった。お前達は、寒い寒いと言って泣いていたのだから」と当時を懐かしがっていました。当時は、ストーブというものが家になかったと言っていました。転勤安月給サラリーマンの生活は貧しかったのでしょう。

さてそれからどうするかと思い悩みましたが、三郷、松本に在住の父親の兄姉を訪ねることとしました。三郷には87歳の長兄がいます。広い屋敷の庭の片づけをしていました。長年、公の仕事をしており、先頃漸く「引退」し。これからは放置した屋敷の整頓に関わると言っていました。牧場の隅に生えているタラの木の芽をもらってきました。また裏庭に群生しているオコギの葉も採取してきました。これはこの時期にしか食せない貴重な植物です。サッと湯がいて食べるとキュキュとした歯触りのあるおつな味です。

松本では、私の女房の実家に寄り、このタラの芽とオコギをお裾分けしました。オコギのことは松本の人も知っていました。この地区では普通に食していたものなのです。仙台藩では伊達政宗が推奨して、武家屋敷の垣根として植えさせたとの話を三郷の跡取りの従兄弟から聞きました。

帰りに、松本市島内在住の父親の姉(83歳)を尋ねました。本峰作りの立派な屋敷は以前のままでしたが、こういう家は維持するのに大変だと思います。犀川の河川幅拡張で以前の所から移築したのだそうです。

父親の兄弟は男4人女3人ですが、87歳から77歳まで皆元気で頑張っています。年をとってくると兄弟の絆が強まるのかどうか分かりませんが、少なくとも気にはなるようです。仕事で一度はそれぞれの道に行ってもまた気持ちは晩年になるとまた家族の原点に戻るのかも知れません。戦時中長兄はシンガポール戦線、三男の私の父親は満州に行きました。私の父親はシベリアに抑留されましたが、生きのびて戻ってきました。そうやって戦中戦後を兄弟姉妹が何とか過ごしてきたのです。

故郷も同じかも知れません。鮭は生まれた川に戻ってきて死にますが、人間の本質にも、意外にそんな要素があるのかも知れません。深層心理の何処かに定着した原風景があるのでしょうか。ここらへんは、今度知り合いの心理学者に聞いてみようと思います。このあいだ阪神大震災10周年に因み、神戸の長田区にご一緒した吉川肇子先生あたりは詳しいかも知れません。

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