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May 12, 2005

水俣病公式確認50年

来年2006年は、水俣病公式確認50周年にあたります。

鹿児島に用事があったついでに、九州新幹線で水俣に足を伸ばし、5月11日に水俣病の現地を訪問して参りました。

国や県、市の資料館を訪問すると同時に、被害者支援団体が作っている資料館も見せてもらい、さらに原因者のチッソの工場も視察させていただきました。被害者の多かった茂道、湯堂の集落も巡りました。幸いにも熊本県の水俣病対策課の方の案内を得ることが出来ました。

<参考リンク>
水俣病情報センター
http://www.nimd.go.jp/archives/index.html
水俣市立水俣病資料館
http://www7.ocn.ne.jp/~mimuseum/
熊本県環境センター
http://www.kumamoto-eco.jp/
水俣病歴史考証館
http://soshisha.org/koushoukan/koushoukan.htm
チッソ株式会社水俣製造所
http://www.chisso.co.jp/com.html

チッソの水俣製造所では、田畑常務執行役員のお話を伺い、最新鋭の液晶プラントも見せてもらいました。

私の所属する職場で、水俣病の被害者救済、チッソ支援の財政スキームを関係省庁と一緒になって作ってきたという経緯もあり、そのために、一度現地を見て参りたいと思っていました。

チッソは、1500億円の負債を抱えながらも、業績は好調で、液晶製品ではドイツの企業に並び世界をリードしています。「液体であるにもかかわらず光学的異方性を持つ物質」、が液晶の物性のようですが、付加価値の高い製品が携帯電話や家電製品の画像高度化で飛ぶように売れているようです。

そうは言っても、会社は負債の多さに押しつぶされるような状況に変わりがありません。被害者支援、公害除去事業のために、国と県の支援の元に会社を存続させていたというのが実態だと言っても過言ではありません。液晶技術のヒットは、会社存続の思わぬ副産物でした。

来年は水俣病公式確認50年ですが、実は私の生まれ年に水俣病が公式に確認されたのでした。日本人として、一度は、この世界的公害被害の原点を見ておくことが必要だと思います。特に、中学生高校生には必見です。現地を訪ねてみないと分からないことが沢山あります。

水俣市や芦北郡などの関係地域社会は、苦い公害の歴史を乗り越え、世界にその体験を発信し、環境重視の地域作りを精力的進めています。災い転じて福となしたいとの意気込みが伝わってきます。

しかしながら、世界の各地では、水俣病の悲惨な経験にも拘わらず、同じ過ちが繰り返されつつあります。開発途上国では、目先の経済成長を求める余り、将来必ず生じるであろう悲劇の元が同じように積み上がりつつあります。

失敗を繰り返さないためにも、水俣の経験は世界の多くの人に共有されなければなりません。

不知火海の自然は,公害のイメージとは全く異なり、驚くほど静かな美しさでした。しかし、この水俣の歴史は、静かに置いておいてはならない宿命にあるのです。

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